~陰の巻~ 火鳥の部屋
使者は、音もなく床に酒を置き、口を開いた。
「道三さまは、このままでは『儂の息子達はいずれ、織口和颯の門前に馬をつなぐことになるであろう』とおっしゃいました」
(門前に馬をつなぐ=家来となる)
「『やはり、織口和颯は。隣国には、いてほしくない男だ』と――」
使者は、帰った。
火鳥は酒と共に一人、部屋に残された。
火鳥は身じろぎもせず、そこに座りつづける。
いつの間にか、日が暮れかけていた。
火鳥は、薄暗闇の中で立ち上がった。
部屋の隅の葛籠を開ける。徳利と盃を取り出した。
それはらまるで、葛籠の中でずっと火鳥を呼びつづけていたかのように、暗がりの中でもすんなりと見つけ出すことができた。
これを使うのは、7年ぶりだ。
もう、7年も経ったのか。
いや、7年しか経っていないと言うべきか。
あれは――。
月の美しい夜だった。
「ああ、火鳥。今夜は特に奇麗だ」
頼純が、耳元でささやく声が甦る。
「月から舞いおりた天女のようだ」
火鳥は明かりを灯した。
葛籠の奥にしまい込んでいた、大きくいかつい化粧箱を開ける。
幾種類もの白粉、眉墨、紅、櫛、油――。いずれも厳選された高級品ばかり。
今は亡き各務野と共に、幾度となく試行錯誤し、考え抜いた使用部位と順番。こんなに時が経っても、体が覚えている。
火鳥は化粧箱から、一つ目の白粉を手に取った。丁寧に慎重に、額の中央からのせていく。
化粧箱の中には、まるいかたちの、小さな漆塗りの入れ物がある。
蓋を開けると紅が出てくるが、実は二重底になっていて、紅を外すとごく少量の、黄色い液体が入っている。
記憶の中の火鳥が、唄うようにささやいた。
「父が。美酒を送ってくれました。
頼純様と二人で飲むように、と――」




