陽の巻
俺は、口元まで運んだ盃を、ゆっくりと下に下ろした。
慎重に、言葉を選んで口に出す。
「――火鳥の父上である道三殿が、わざわざ美濃から送ってくださった酒だ。
俺が先に飲むのは申し訳ない。
これは火鳥が先に、飲むと良い――」
火鳥は仕草だけで小さく頷いた。俺ににじり寄り、両手を差し出す。
袖の中に入れられた右手が、下から盃を支えた。しなやかな左手を添えて、俺の持つ盃を受け取る。
「お気遣いをいただき、恐れ入ります。
では、お言葉に甘えて、わたくしから頂戴いたします」
火鳥は盃を自分の口元に運んだ。
俺は体中の集中力を総動員して、火鳥の動きを注視する。
紅に彩られた唇がわずかに開き、盃の中の酒が注がれる。
唇が閉じ、喉が小さく上下した。
「――甘い、美酒でございます」
火鳥はたった今飲み干した盃を、自分の目の前に小さく掲げた。
「和颯様も、お召し上がりください」
「いやしかし――」
俺の脳裏に、戦のあとの砦の様子が浮かんだ。
そう。
「あんなのは――大勝利とは言えない」
俺は低くつぶやいた。
「――火縄銃は、不発だった。
湿った火薬に火がつくはずがない。そんなことは子供にだって分かる。
でも、俺はそんな当たり前のことにすら気付かなかったんだ。
――作戦は、失敗だった。
俺は――多くの仲間を失った」
「いいえ」
火鳥が盃に目を落とした。
「新しい試みには、思いもよらない失敗がつきものです。
後から失敗を笑うことは、誰にでもできます。
ですが、未知の挑戦に臨むことは、誰にでもできることではありません」
珍しく、火鳥の言葉に熱がこもっていた。
火鳥はまっすぐに俺を見上げた。
頬がうっすらと色づき、瞳が潤んでいる。
火鳥も。酒は強くないのかもしれない。
俺は、盃を受け取った。
「たしかに。今回は悔いが残る結果だったかもしれません。
ですが。失敗して、傷ついてもなお。
和颯様は、次の挑戦に挑むことができる強さもお持ちです」
火鳥は、自分の脇に置いた徳利に目を落とす。
「これから先、和颯様はきっと、今よりずっと、ずっと強くなられます」
火鳥の手が徳利を持ち上げ、俺の盃に酒を満たした。
「だからこそ――父はこの酒を、送ってきたのでしょう……」
火鳥は俺を見上げた。
今にも切れそうな糸が必死に耐えるように、痛々しいほど切なげな瞳が微笑んだ。
こんな顔で注がれた酒が、俺に拒めるはずがない。
ああ! もう!
――なるようになれ!!!
俺は一思いに、盃の酒を飲みほした。




