~陽の巻~ 和颯の書斎・日没後
扉の向こうから声がした。
「火鳥でございます」
遠慮がちに問いかけられる。
「入っても、よろしいでしょうか……?」
「ああ、火鳥か。ちょうど良かった。入ってくれ」
俺は、書きかけの紙から目を離さずに答えた。
静かに扉が開いて、閉まる音がした。
扉の近くに何かを置く気配。
「墨が。切れかかっている。磨ってくれ」
「はい」
やけに従順な返事。衣擦れの音が立ち上がり、俺の隣に座った。
ふわり、と、花のような香りがした。
俺のすぐ右に置かれた硯に伸びる、華奢でしなやかな手の気配。
丁寧に墨を擦る音。
俺はふたたび、目の前の作業に没頭した。
「ふう」
思いつくままに一気に書き上げ、俺は目を上げた。
火鳥は、床に散らかった紙を拾い上げていた。
「村木砦での戦没者と、遺された家族の一覧――ですね」
「良く分かったな」
「帰還しなかった者の名と、その家族が書き連ねてあります」
把握、していたのか。
兵士たちの名も。誰が帰還しなかったのかも。その家族の名まで。
「ですが、他にも帰還しなかった者がいたように思います」
火鳥が強張った声で続けた。
「滝川一益。……森可成、坂井彦左衛門、それから――」
「あいつらは居残りだ。戦後処理をしている。今夜は帰らない。明日には帰ってくるだろう」
「ああ。……そうですか」
火鳥の声から、硬さが抜けた。
――きっと、一益が帰らないので、心配していた……のだろう。
名前を付けられない感情が、俺の胸をざわざわと不愉快に撫で上げる。
俺はその気持ちに、無理やり蓋をした。
火鳥は紙に、目を落とした。
「丸印がついているのが――身寄りのない家族ですね」
「その通りだ」
……正直、頭を痛めている。
俺は火鳥の持つ紙を指さした。
「又吉の娘が、一人残された」
「……なえ、ですね。
安食村の熊吉と、恋仲だと聞いておりますが」
「何だって!?」
そんな話、知らないぞ。
「結婚を後押しして、少し多めの祝い金を持たせてはいかがでしょうか。
熊吉は働き者のようですので、きっとなえは幸せになるでしょう」
「――火鳥……」
俺は火鳥をまじまじと見つめた。
「そんなことまで知っている、のか」
火鳥は、ふっと目を伏せた。
「――女たちの間では常識です」
なにっ! そうなのか!!
俺は別の個所を指さす。
「あと、源介の妻が妊娠中だ」
「はる、ですね。
源助もはるも、篠木村の出身でした。篠木の両親のもとに送り届けてはいかがでしょうか」
「両親は健在なのか?」
火鳥は頷いた。
「孫の誕生を楽しみにしているとか。
ですが、はるは、今、つわりがひどい時期のようです。
皆が言うにはあと2ヶ月もすれば落ち着くだろうとのこと。
しばらく那古野で面倒を見て、つわりが落ち着いてから篠木に送り届けるのが良いかと」
「火鳥……」
そんなにも、皆のことを気にかけてくれていたのか――。
「ありがとう……。
――他にもまだ、相談したい者がいるんだ……」
ー・-・-
「あ~~!
終わったぁ!!」
どうにかこうにか、村木砦で戦死した仲間の家族全員の、身の振り方を考えることができた。
俺は晴れ晴れとした気持ちで筆をおいた。
「ありがとう!
最初はどうしようかと思ったが――。
火鳥のおかげで、終わらせることができた!
これで安心だ!」
行く当てがなく、どうしようもない者は、俺の屋敷で働いてもらってもいい。数人くらいなら、俺が面倒を見ることができるだろう。
火鳥が、膝立ちになった。筆を片付けようとしている。
「――もう、やり残したことはございませんか?」
火鳥はこちらに背中を向けたまま念を押す。
「ああ。これで全部だ」
「――そうですか」
火鳥の左手がしなやかに動き、文机の右端にある硯を手に取った。
……あ。
先日、火鳥の部屋で抱いた違和感の正体に気付く。
右手で文字を書くのなら、硯は右側に置くはずだ。
だが、火鳥の文机の上の硯は、机の左側に置いてあった。
ということは、火鳥は、左手で文字を書いているのだろうか。
扉の近くに、徳利と盃が載った盆が置いてある。
さっき火鳥が持ってきたのだろう。
火鳥は、筆記具と文机を、部屋の隅に片付けた。
そのまま扉の方へ歩いていく。盆の脇で膝をついた。
こちらには背中を向けている。
火鳥が静かに口を開いた。
「父が。美酒を送ってくれました。
和颯様と二人で飲むように、と――」




