~カワセミの唄~ 熱田・嵐
熱田の船着き場で、俺達は言葉を失った。
目の前で、嵐の海が荒れ狂っていた。
美濃の男たちが、身を縮めるようにして船着き場の近くの小屋に入って行くのが見えた。
彼らは道三から『和颯の進軍の様子を、毎日知らせるように』という命令を受けて、俺たちについてきているらしい。
1000人の軍隊を出しているんだ。それくらいは当然だと思うが。
まさかこんな大嵐になるとはな。あいつらも「ツイてねぇ……」と思ってるだろう。
「なあ、どうするよ?」
梁田が俺の顔色を窺った。
俺たちの後ろには、ずぶぬれの全兵が控えている。
熱田の船頭たちも、申し訳なさそうな顔をして勢ぞろいしていた。
どうする――? って言ったって。
決めるのは俺じゃねぇ。
和颯だ。
その和颯は、さっきからずっと腕を組んだまま海を見て、波打ち際に突っ立ったままだ。
まあ――無理もねぇか……。
時々大きな波が来て、和颯の体を濡らした。
それでも和颯は、微動だにしなかった。
顎からは雨水だか塩水だか分からない水が、ぽたぽたと滴っていた。
熱田から緒川までの進軍ルートは、海を渡る以外にない。
美濃の援軍は那古野に到着している。清州も既に、気付いているはずだ。俺たちが熱田に来ていることも、すぐに伝わるに違いない。
清州と今川は繋がっている。
今川に、俺たちの目的地が村木であることに気付かれたら。
今川の大群が、村木に押し寄せるだろう。
俺たちは1000人にも満たない。援軍も別動隊もない。
大軍に囲まれたら終わりだ。
俺たちは弱小だ。
かりに囲まれなかったとしても、長期戦になれば勝てる見込みはない。
この作戦の肝は『今川軍が集結する前に決着をつけ、さっさと撤退する』だ。
それ以外に道はない。
一度撤退し、もう一度出直す、という方法も、あるにはある。
多少の予定変更なら、美濃軍も協力してくれるかもしれない。
だが水野信元の書状には、緒川はもう限界だと書いてあった。
次の出陣まで、緒川が持ちこたえられるかどうか分からない。
海の向こうの稲妻が、和颯の横顔を照らした。
和颯のまなざしが鋭く光り、嵐の海を睨んだ。
「――船を、出せ」
低く、だがはっきりと、和颯が言った。
俺の後ろから、ざわめきが広がった。
兵士たちが動揺している。
「いや、しかしですね――」
船頭の中の一人が立ち上がった。
和颯が振り向いた。
とびきりの笑顔だった。
全身から水を滴らせながら、明るい口調で、全員に向かって語りかける。
「なあ、みんな。
『平家物語』は知っているか?
きっと皆、名前くらいは知っているはずだ。
平家物語の中に、英雄・源義経が、嵐の海に漕ぎ出す場面がある。
目の前は暴風雨。
ほとんどの者は二の足を踏んだ。
だけど義経は、ただひたすらに前進することだけを考えて、海に出る……!
義経に従ったのは、わずかに5隻。
風を味方につけて嵐の中を突き進み、圧倒的な速さで屋島へ向かった。
敵は、嵐の中を義経がやってくるとは思っていない。
義経たちは奇襲を成功させ、たった5隻で、鮮やかな大勝利を収めるんだ!
義経が海を渡った時もきっと、このくらいの嵐だったのだろう。
恐れるものはここに残れ。
進みたい者だけが進めばいい。
俺は行く。
――さあ!
俺と一緒に、この嵐の海に、漕ぎ出していきたい者はいるか!?」
「「「「「うおおおおおおっ!」」」」」
割れるような雄たけびが熱田の海に響き、だれもかれもが荒れ狂う海へと向かって走り出した。
船頭たちも兵士たちも、高揚感に顔を輝かせ、われ先にと船へ乗り込んでいく。
―――コイツ……―――
俺はゾクゾクとした感覚に、足すらも満足に動かせない。
――ほんっとに………
………なんて奴だ………!!
兵士たちを乗せた船が、嵐の中を、次々と出港していく。
「ああっ! ちょっと待て!」
どこかで和颯の声がする。
「鉄砲500丁、持って行くのを忘れるなぁ!」




