数日後 織口家本家
「ダメだ、兄さん。
援軍は出せない」
信勝は冷静な顔を崩さずに言った。
本家の座敷。
俺の上座に、信勝が座っている。
俺の傍には一益が、信勝の傍には柴田勝家が控えていた。
「そんな――っ!
緒川砦は見殺しにするのか!?」
「分かってる。
オレだって苦しいんだ。
だけど。
冷静に考えてよ。
オレたちの本当の敵は、村木砦じゃない。
西の大国、駿河の今川義元なんだよ?
今川の兵力は、俺たちの何十倍もある。
力の差がありすぎる。
村木砦なんかを攻めに行ったら、別の砦から大軍がやってきて、逆にこっちが包囲される。
――だから、救援は無理だ」
「だけど! それじゃあ!
水野忠正がかわいそうじゃないか!」
「兄さんのいる那古野から、村木砦までは直線距離でも20Km。
途中、鳴海砦と沓掛砦の間を通り抜けないといけないけれど、この二つの砦は既に今川方に寝返っている。
見つかったら攻撃されるよ?
オレには、そんなリスクを冒してまで、兄さんが緒川にこだわる理由が分からない」
「緒川の砦は!
俺たちに!! 助けを求めてきているんだぞ!」
「――あのさ。
言いたかないけど――。
織口家は今、今川に包囲されそうになっているんだよ?
追い詰められているのは、オレ達なんだ。
他人をかまっている余裕なんてどこにあるの?」
「水野忠正はどうなる!?」
「ねえ、兄さん。
頼むから、合理的に考えて。
清州の坂井大膳と、村木砦は、今川を通じて繋がっているんだよ?
そして坂井大膳は、俺たちの隙を突こうと狙っている」
知ってる。
俺が美濃に行った2日の間に、坂井大膳の偵察隊が動いた。
「敵の砦の間を通りながら20Kmも進軍するなら、日帰りはできないよね?
兄さんが泊りがけで村木砦を攻めに行ったら、坂井大膳は必ず那古野を攻めに来る。
今、那古野を落とされると、オレも後がないんだ。
冗談や比喩じゃなく、本当に織口家が崩壊する」
「でもっ――!」
「兄さんにだって、分かるだろ?
緒川城は――諦めるしかないんだ。
オレだって辛い。
だけど、オレたちには、本当に、余裕がないんだ。
今は。兄さんには、自分の兵力を温存しておいてほしい」
「だけど――!」
「兄さんっ! 頭を冷やして、よく考えてっ!」
めったに聞かない信勝の大声に、俺は驚く。
俺たちの目が合いそうになり、信勝がさっと顔を横に背けた。
信勝の、何かを押し殺すような声。
「とにかく――!
オレは、兄さんの出陣には反対だ。
本家からは、兵士も武将も、絶対に出さないよ。
兄さんも、緒川砦に援軍を出すのは諦めて。
いいね?
……この話は終わりだ」
信勝は、自分の顔を隠すようにして、部屋を出て行った。
勝家が、座ったままで静かに頭を下げた。
「うう〜……」
信勝のいなくなった部屋で、俺はうめいた。
「――一益、どう思う?」
「信勝様のおっしゃることは、ごもっともです。
一から十まで、正論でした」
だよなぁ~……。
俺だって分かってる。分かってるんだよ……。
その時俺は、勝家がまだ座ったままなのに気が付いた。
「あれ? 勝家。
信勝と一緒に行かなくて良かっ――」
俺が言い終わる前に、一益が言葉をかぶせてきた。
「勝家殿は、信秀殿の側近だったと伺っております。
もしや、緒川砦の水野信元殿ともお知合いですか?」
勝家は、ギョッとしたように一益を見つめて固まっている。
――ん、どうしたんだ?
俺がそちらを見ると、一拍遅れで勝家が反応した。
「……あ……。ああ。
小豆坂の合戦でも、共に戦った」
――ああ。そうだったのか。
小豆坂の合戦は、7年前に岡崎の南で、父上と三河の武士が戦った合戦だ。
激戦だったと聞いている。激戦の末、父上は負けた。
それまでは、三河の岡崎も織口家の領地だった……。
勝家は続けた。
「水野信元には、甥がいる」
――ふうん。
「甥の名は、徳川家康」
――おおっと!?
徳川家康は、11歳。今は今川家の人質になっているはずだ。
一益も、驚いているようだ。
俺は疑問を口にする。
「――じゃあ、水野信元は今川に『緒川城が従わないなら、甥の家康を殺すぞ』とか言われているのかなぁ」
一益が首を横に振った。
「それはないだろう。家康を失うと、三河が反乱を起こす。
損をするのは今川だ」
勝家が顔を引きつらせながら頷いた。
「ですが、人質の甥を盾にして脅すくらいのことはやっているはずです。
それにも関わらず、水野家が断固として今川に従わない理由が解せません」
今川家は破竹の勢い。一方の織口家は崩壊寸前だ。
「……俺なら、今川につく……」
俺はぼそりと言った。
「失礼ながら――わたくしが水野信元だったとしても、そうします」
一益が言うと、勝家が脇に置いた刀に、さっと手を伸ばした。
ん? どうしたんだ? 刀に虫でも飛んできたのか?
俺がきょとんとして勝家を見ると、勝家は目を泳がせ、座りなおした。
一益の、からかうような声がする。
「残念ですねぇ、和颯殿。
ここで水野信元を見殺しにしてしまっては、水野信元が、そこまでして今川に抵抗しようとした理由が、分からずじまいになってしまいます」
「だ――っ!
なんてこと言うんだ!
そんなこと言われたら、気になっちゃうじゃないかっ!!
一益。その理由、探ってこい!」
「無理でございます」
一益はしれっと言った。
「村木砦の構造であれば、現地に行って偵察してきたので分かりますが、人の心の中までは覗けません。
人の心を覗くには、心を開かせなければ――」
「――村木砦の偵察に、行ったのか……?」
勝家が、口をはさんだ。




