~陽の巻~
火鳥と信勝が連れ立って歩き出そうとして。
ふつり、と火鳥の姿が消えた。
え?
と思う間もなく、信勝が慌てた様子でしゃがみ込んだ。
地面に向かって声をかける。
火鳥の手を取り、助け起こそうとしているようだ。
ああ。
鼻緒が切れたのね。火鳥の草履の。
それか、石にでも躓いたか――。
じゃなくて!
俺の妻なんだけど!
気安く触んないでくれる!?
まあ、道に転がったまま、放っておかれても困るんだけどね!
だいたいさぁ!
火鳥は、斎藤道三の放った暗殺者かもしれないんだよ?
信勝。跡継ぎのお前を守るために、俺が火鳥と結婚したの!
っていうか、夫の俺ですら、この一か月間、まともに話せていないのに。
信勝。お前、なにやってんの!?
ああ。もう!
なんなの、お前!?
っていうか、なんなの、俺!?
訳わかんないだけど!
火鳥が信勝に手を取られ、立ち上がった。
信勝が、地面から何かを拾い上げる。
二人は、ひとことふたこと、言葉を交わして――。
信勝が、火鳥に背中を向けて、しゃがみ込んだ。
ええ!
おんぶ!?
おんぶするの!?
火鳥は信勝の背中におぶさった。が、一拍遅れで表情を変え、不意に体をよじった。
信勝はあわてて火鳥を地面におろす。今度は火鳥の背中と足に自分の手を差し入れて――。
ええええっ!!
お姫様抱っこ!?
嘘だろ!!?
火鳥が何か言って身をよじった。
信勝は余裕の笑み。火鳥を腕に抱き、すたすたと歩きだす。俺の屋敷のある方角だ。
火鳥の顔が、遠目にも分かるほど、朱く染まっていく……。
ねえ、ちょっと!
俺のいないところで、何やってんの!?
信勝――っ!!!!
お前、余裕ぶった顔しているけど、今、心臓バクバクだよな!?
兄貴を舐めるな。お見通しだぞ!
くそっ!
「――さま?」
ん?
「和颯兄さま?
……聞いていらっしゃいますか?」
ん?
ああ……。
萌か……。
……そういえば、萌と馬に乗っていたんだった。
「―――あ、ごめん……。
……ちょっと――聞いてなかったわ」
「もう。萌が一生懸命お話ししておりましたのに」
萌はぷうっと頬を膨らませる。
かわいいなぁ。
かわいいんだけど。
ちょっと、今、それどころじゃなくて。
「ごめんね。
ちょっと、兄さんは、急に大事な用事ができたみたいだ。
――話はまた今度聞かせてくれる?」
俺は萌の返事を待たずに馬の向きを変え、屋敷へ急いだ。
屋敷に着き、馬から萌を下ろすと、後のことは使用人たちに任せ、俺は足音も荒く、家の門へと向かった。
俺の家は、少し高い場所に建っているので、ほぼ村全体が見渡せる。
信勝が、火鳥を腕に抱き、村の真ん中を通って、俺の屋敷へと歩いてくるところだった。
「あっ! 兄上~!」
信勝の屈託のない声が聞こえる。
その声に、罪悪感は含まれていない。
バカなのか?
信勝よ。お前は、バカなのか?
信勝の腕に抱かれ、まだほんのりと頬を染めたままの火鳥が、俺の方を見て、安堵と落胆の混じったような複雑な顔をした。
落胆って。
信勝の腕に抱かれたまま、俺を見て落胆しないでくれないかな。
ねぇ、おかしいよね?
一応、俺が、夫なんだけど。
二人が、俺のいる場所までやってきた。
「――お前たち――どうしたんだ?」
声に棘が混じった。
庭を歩きながら、信勝が答える。
「火鳥義姉さまの草履の、鼻緒が切れてしまって」
信勝の腕に抱かれたままで火鳥が言った。
「信勝さまには、すっかりご迷惑をかけてしまいました……」
「いえ、迷惑だなんて。とんでもございません」
「重かったでしょう。どうやってお詫びをしたらいいかしら」
「お詫びなんて、いりません。ただ火鳥義姉さまのおみ足が心配です」
「そんな……何かわたくしに、お役に立てることはないでしょうか」
おい。二人で見つめ合うな。
俺は信勝に向かい、屋敷の縁側を指さした。
「――早く、おろせよ」思ったより低い声が出た。
「はい」
信勝が、縁側に火鳥を座らせた。壊れものを扱うように、そっと。
火鳥の体は縁側に下ろされても、火鳥の左手はまだ信勝の肩に残っている。細い左手が、するすると信勝の腕を伝う。自然に信勝の右手が火鳥の左手を取る形になり。
信勝の大きな手が、火鳥の華奢な手を包みこむ。
ねえぇ? 二人とも?
俺の前で、手を取らないでくれるかな?
一瞬ののち、火鳥の手はするりと抜けた。
ああもう! なんかイライラする!
「何しに来たんだよ」
つっけんどんな言い方になった。
「干し柿を届けに来たのです」
信勝が言った。
「はあっ!?」
いらんわ、そんなもん! と言いたいのに、言えない。
美味しいよな。干し柿。
嬉しいよ!
大好物だよっ!
火鳥が、懐から包みを取り出し、俺に手渡す。
あ。さっき、信勝から受け取っていたやつ。
――つまり、信勝から火鳥への贈り物じゃなく、父上から俺への差し入れってこと?
「父上が、兄上に届けてこい、と言って」
ああ。俺の、生存確認ね。
「歩いてきたわけじゃないだろう?」
「はい。馬で来ました。
馬に水を飲ませていた時に、火鳥義姉さまと出会ったのです。ところが突然、その馬が走り出してしまって」
ああ。だから、信勝の従者も各務野もいなかったのね。
みんな、馬を追いかけて行ったから。
うんうん。
納得だぞ。
そういうことか。
……。
…………。
ん?
んん!?
そんなこと、あるか~!?
信勝が干し柿を届けに来たのは良い。
だけど、水を飲んでいた馬が、突然走り出すか?
そこに、たまたま火鳥が居合わせる確率はどのくらいだ?
しかも、そのタイミングで、鼻緒の緒が切れた?
本当に? そんな偶然ってある!?
運命の女神のしわざ!?
それとも……
――仕組まれて、いたのか?
どこまでが偶然だ?
誰が仕込んだ?
やっぱり火鳥なのか?
いつ?
どうやって?
何のために?
「和颯様!」
火鳥に名を呼ばれた。
俺は現実に引き戻される。
……火鳥と話すのは、一か月ぶりだ。
「火鳥は、信勝様の馬が走っていくところを見ました」
え? あ?
そうなの?
……で?
「奇麗な栗毛の馬でした」
ふうん。そう。
あれ?
本家に、栗毛の馬なんていたっけな。新しい馬か?
機会があれば、俺も乗ってみたいぞ。
「信勝様の愛馬ですか?」
俺が答えられないでいると、信勝が答えた。
「はい。私が持っている馬の中で、一番良い馬です」
おい、信勝。割り込むな。
「名前をお伺いしても?」
「栗丸です」
「まあ。ご覧くださいませ。栗丸が帰ってきたようです」
火鳥が指し示す方を見ると、馬を連れた従者と各務野が、村の外のあぜ道を、こちらに向かって歩いているところが見えた。




