那古野 和颯の屋敷
「どう思う?」
俺は書状を一益と貞じいに見せた。
二人とも、気まずそうに黙ってしまった。
「――書いてあることは、至極もっともでございます」
しぶしぶ、といった様子で、貞じいが言った。
「緒川砦が落ちれば、いずれ知多半島が落ちます。知多半島が落ちれば、そのうちに熱田も落ちる。
熱田が落ちれば――次は、織口家本家。
……ですが、阻止しようにも今川は強大すぎます。
我々が全力で今川に刃向ったとしても、まるで蠅を落とすように潰されてしまうでしょう……」
俺は語気を強めた。
「じゃあ、指をくわえて見ていろと言うのか!?」
そんなのは、嫌だ!
「落ち着いてください。
強大すぎる敵と戦っても、勝ち目はない。ただ、当たり前の事をと申し上げているだけです」
貞じいは冷静に言った。
「それが分かっているから、信勝様は援軍を出さなかったのでしょう」
そうだ……。
水野信元の手紙には「信勝に書状を送ったが、援軍は来なかった」と書いてある。
秀貞は噛んで含めるように言う。
「視野を広くお持ちください。
渥美半島と熱田は大切ですが、東から攻められても、まだ西に逃げることができます。幸い、津島の支配権はまだ失っておりません。
限られた兵力は、我々が西へ逃れるために温存しておくべきです」
二年前、鳴海が寝返ったと聞いた信勝は「兵力を温存しておきたい」「今、オレが鳴海に裂ける兵力はない」と言っていた。
信勝は、鳴海には兵を出さなかったが、坂井大膳を抑えるためには兵と柴田勝家を出した。
――信勝は、清州を突破するために、全勢力をつぎ込むつもりなのだろうか……。
清州は、守りに特化した要塞都市だ。
攻め落とそうとすれば、多大な犠牲を伴うに違いない。
だが、彼らの隙を突いて通過するだけなら可能かもしれない……。
一益は、俺と貞じいの会話をあまり聞いていないようだった。
部屋の隅を見つめ、じっと考え込んでいる。
「一益、どうした?
何か気になることでもあるのか?」
「……なぜ、水野信元は、今川に寝返らなかったんだろうな」
一益が独り言のようにつぶやいた。
「俺が水野信元なら、こんな状況になる前に、とっとと今川家に忠誠を誓うぜ」
確かに……。
俺はもう一度、書状を読み直した。
今川家の出した条件は、魅力的だった、と書いてある。
それでも水野信元は、今川に寝返らなかった。
書状には『信秀殿の生前に、多くのご恩を受けた』とあるが、具体的な内容には言及していない。
一益が、秀貞に向かって尋ねた。
「――秀貞殿、この『ご恩』の内容にお心当たりは?」
「――いや……。
信秀さまは、支配地域の政治には心を砕いてらっしゃった。
だが、緒川砦や水野信元に、何か特別な温情をかけたという話は聞いていない」
「なるほど……」
一益は、口を結んで腕を組み、天井を見上げた。
「和颯様」
貞じいが、真剣な目で言った。
「緒川はもう、どうしようもありません。
まかり間違っても、緒川を救援に行こうなどと、考えてはなりませぬぞ!」
「和颯殿」
俺が部屋で、地図を睨んでいると、一益の声がした。
「一益か。入れ」
音もなく扉が開き、鼠色の地味な着物に身を包んだ一益が現れた。
「どうした? どこか行くのか?」
一益は頷いた。
「いくつか、確認しに来た。
今の織口家の状況を考えると、緒川砦は見殺しにするのが合理的だと思うのだが、俺の主殿はどうするつもりだ?」
「緒川砦は、絶対に見殺しにしない。
周りを敵に囲まれて、孤立して。
それでも今川家の出した魅力的な条件を蹴って、織口家に従おうとしている。
ギリギリまで粘って、信勝にすがって、それでもダメで、命がけで俺に助けを求めてきたんだ。
視野が狭くても、合理的じゃなくても――。
見殺しになんてできるわけがないだろう」
一益は頷いた。
「じゃあ、救援に行くってことで良いんだな。
もし行くんなら、覚悟しろ。
敵は大国・今川。
攻撃目標は、今川が、強大な国土と軍事力を使って築き上げたという村木砦だ。
こちらも相応の覚悟と準備が必要だ。
――場合によっては、生きて帰れないかもしれねぇ。
それでも行くんだな?」
俺は頷いた。
「もちろんだ」
「分かった。
じゃあ、俺は俺の仕事をする。
今から俺は、村木砦に行く。
砦の視察は俺に任せろ。
なるべく詳細に砦の様子を探ってくるから、その情報をもとに作戦を立てろ」
「分かった! 任せておけ。
俺が、ありったけの知恵を絞って、良い作戦を――」
「いや。お前の作戦はゴミだ。
作戦は、本家に行って柴田殿に立ててもらえ」
――うぐっ。
「お前は、敵の裏をかくのが苦手だ。
作戦を立てるのには向いてねぇ」
――ぐふっ……。
図星だよ……。
俺は、がっくりとうなだれた。
一益は言った。
「お前は俺のように忍びの技術はねぇ。作戦を立てる能力もねぇし、たいしてデカくも強くもねぇ。
俺は、お前より腕のいい忍びを何十人も知ってる。もっと上手い作戦を練れる奴も、もっと強いやつだって、いくらでもいる。
だけど、俺はあんたに惚れた。
他の誰でもなく、あんたのためなら。
――この俺様の命を懸けてやる」
俺はまじまじと、一益の顔を見た。
一益は、顔いっぱいに口を広げ、にやりと笑った。
「まぁ、俺はまだまだ、死ぬ気はねぇがな」
だよね!
死なないで!
一益はすぐに顔を引き締めると、けじめをつけるように姿勢を正した。跪いて両手を地面につけ、頭を下げる。
「数日、留守にします。
戻り次第、村木砦の様子を詳細にご報告いたします」
「よし、頼んだ」
俺が言うと、一益は頷き、その姿はかき消すように消えた。




