那古野村の入り口
太陽は、とっくの昔に西の空に沈んだ。
もう、真夜中だ。
月と星の明かりを頼りに、俺たちは那古野を目指す。
突然、ガクッ、と舟を漕いで俺は慌てて鞍に座り直した。
危なっ!
今、ちょっと………寝てた……!
みんなは、美濃からずっと歩いているのに。居眠りなんかして、みんなの前で落馬したら、カッコ悪いぞ。
気をつけろ、俺。
もう、那古野村は近いはずなのに、辺りはしんと静まり返っている。
普段、夜ふかしなんてしないからよく分からないけど。真夜中って、こんなに静かなのか……。
あ〜。眠い……。
大声でも出したら、少しはスッキリするんだろうけど……。
今頃、みんなぐっすりと寝ている時間だ。村の皆を起こしたら申し訳ないので、あまり音を立てないようにしないと……。
……。
……………。
うわっ!
また、カクッてなった!!
まずい! また寝てしまいそうだ。
何か……考えなければ!!
俺は、昼間見た、賑やかな市場を思い出す。
――売り手も買い手も、喜んでいた。
(楽市楽座、か……)
※※
座は、商売の独占権を握る組合だ。
商人は、「本所」となる寺に上納金を納めることで、組合に入り、商売の権利を手に入れる。
上納金は高額だ。
当然、品物の値段は高くなる。
ちなみに、寺の組織力は半端ない。
座に入らずに商売をしようもんなら、すぐさま「本所」系列の寺から僧兵がやってきて、ありとあらゆる嫌がらせをする。商品や店を壊されるのは当然で、酷い時には殺されることもあると聞いた。
もちろん、数え切れないほどの大名が、楽市楽座を目指して奮闘している。
だけど、成功した例はほとんど聞かない。
なぜなら、寺は、武士よりも、ずっと強いからだ。
本州と九州と四国(つまりは日本国)の、約3分の2の資産を保有する経済力。
国内すべてのエリアを網羅する寺社ネットワーク。
国内最高レベルの知識と、技術力。
時には、武家を凌ぐほどの兵力。
極めつけは「仏のたたりがあるぞ」という脅し文句。
――寺の持つ力は、圧倒的だ。
※※
それでも美濃で楽市楽座が行われていたということは、美濃では、斎藤道三の力が、寺社の力すらも上回っている事を示す。
(斎藤道三……。
……火鳥の父親。
――すごい人だ……!)
彼は、土岐家の家臣として成り上がり、裏切りを重ねながら、遂に土岐家を排除した。
道三の嫡男は、土岐家の血を受け継いでいるという。
美濃の侍たちは、道三を「土岐家が紡ぐ歴史の中の、ほんの数年の『つなぎ』」としか考えていない。
……だけど、道三自身はどうだろう。
出自は商人階級かもしれない。それでも、あの覇気と、権力と、美濃の賑わいは、間違いなく本物だ。
彼は何度も主君を裏切りながら成り上がった。そんな彼が、苦労して手に入れた力を、あっさり土岐家に返すものだろうか?
彼がもう一度、裏切ることがないなんて、いったい誰に、言いきれるだろう……。
「うわっ!!」
最初、蜘蛛の巣が顔に絡みついたと思った。
手で払いのけようとしたが、その手の動きが鈍い。
大きく腰をひねると、全身に糸が絡みついた。
これは、蜘蛛の巣なんかじゃない!
網だ!!
俺は、頭から網をかぶせられた!!!
――誰だ!!?
刀に手を伸ばそうとしたが、遅かった。俺の指が柄にかかる前に、腕と胴に、太い縄のようなものが巻きつき、ぐっと後ろに引っ張られる。
「ぎゃあっ!!」
勢いよく、鞍から引きずり降ろされた。
驚いた馬が棒立ちになる。
俺は、地面にたたきつけられることを覚悟して体を固めた。たが実際には、人の腕に抱え込まれた。たちまち体が拘束される。
後ろから羽交い締めにされたようだ。手も足も、ピクリとも動かない。
「離せっ!!!」
「捕まえたぞ!!」
耳元で聞きなれた声がする。
えっ?
この声は……。
――……一益っ―――!!?
まさか。
一益が裏切ったのかっ!!?
「動くな!」
「敵襲だっ!」
「応戦っ!」
「大将は生け捕ったぞ!」
「騒ぐな!」
「灯りをつけろ!」
敵の物か味方の物か分からない怒声が入り乱れ、どこかで松明に火が付いた。
「あぁ……」
俺たちの周りから、どっと力が抜けたようなため息が聞こえた。
俺たちを襲ったのは、那古野村の男たちだった。
「――あ~……。
すみません、和颯殿」
耳もとで声がした。やっぱり一益だ。
一益は、俺への羽交い締めを緩めつつ、悪びれる様子なく言った。
「……清州軍の、夜襲かと」
「あ~……」
――もう。どうして間違えるかなぁ……。
「みんな! 済まなかった! 夜襲ではなかったようだ!!
それぞれ家に帰って、ゆっくり休んでくれ!」
一益の言葉に、那古野村の皆は安堵と拍子抜けが混じったような顔をして、あくびをしながら帰っていく。
俺は、腕をさすりながら起き上がった。さっき、馬から引きずり降ろされた時に、縄が食い込んだところだ。
もう……。痛いし……。
「――どうして急に襲ったりした?」
やめて!
ホント。
そういうの。心臓に悪いから。
俺、一益に裏切られたかと思っちゃったじゃないかぁ〜〜!!
一益は、飄々と答えた。
「清州から、偵察部隊が来てたからな」
――何だって!?




