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~陰の巻~

 織口信勝と接触する機会は、向こうからやってきた。

 

 火鳥は各務野と、山の中で剣術の稽古をしていた。

 隙あり、と、固い枝でしこたま打たれた背中が痛い。


 稽古の後は、周辺を歩きまわる。

 この辺りの地理は、ほぼ理解したと言っていいだろう。



(火鳥様――)

 各務野が、火鳥の袖を引いた。

(あちらを、ご覧ください――)


 川で、馬に水を飲ませている男がいる。

 従者と一緒にいるのは――。

 織口信勝!


 ――願ってもない好機(チャンス)――

 

 火鳥は、各務野に向かって頷くと、足元に目を落とした。

 ちょうどいい尖り具合の小石を見つけた。

 

 火鳥は草履を脱いだ。尖った小石で、手早く草履の鼻緒をこする。鼻緒が切れる寸前まで細くなったところで、足の親指と人差し指の間に小石を挟み、その上から草履を履いた。


(わたくしは、信勝に接触します。各務野は、従者を遠ざけて)

(承知いたしました)

 既に各務野は、右手に角ばった石を持っていた。



 火鳥と各務野は、談笑しながら織口信勝に近づいていく。

 信勝がこちらに気が付いた。


「あら?」

 火鳥は笑顔を作った。

「信勝様ではございませんか?」


「ああ!」

 信勝も笑顔を向けた。

「火鳥姫! なぜ、こんなところに?」

「まあ。姫などと」

 火鳥は恥ずかしそうな顔を作って俯いた。

「もう既に嫁いだ身でございます。火鳥とお呼びくださいませ」

「では――火鳥義姉(ねえ)さまとお呼びしても?」

「ええ。もちろん――今日は、どうなさったのですか?」

「はい、兄上に用事があり――」


 従者と信勝の注意が十分に火鳥に向いているのを確認した各務野が、手に持った石を馬の腹に向かって投げた。

「ぎゃあーっ!!」

 間髪を入れず、鋭い声を出す。


 腹に石を当てられた上に、突然の大声。馬は驚いて駆け出した。

「大変です。馬が! 逃げてしまいました。追いかけなければ!」

 自作自演の各務野が、従者の袖を引っ張る。

 各務野に追い立てられるように、従者は馬を追いかけて行った。

 後には、火鳥と信勝だけが残された。


「あ、待って、わたくしも……」

 火鳥が後を追おうとするのを、信勝が引き留めた。

「火鳥義姉さまが馬を追う必要はありません。

 馬は彼らに任せ、我々は先に、兄上の屋敷へ参りましょう」

「ええ。そうですね」

 火鳥は微笑んだ。


 ――作戦通り。


「――信勝様は、和颯様に用事がおありだと、仰っていましたが……」

「はい。これを――」

 信勝は、懐から小さな包みを取り出した。

「兄上にお届けするよう、言われましたので」

「まあ」


 ――警戒すべきは密書。

 火鳥はさりげなく包みを触り、感触を確かめた。


 紙類は入っていないようだ。

 だが、品物の中に密書が隠されていることもある。

 こればかりは、実際に中を開けてみないと分からない。


「では、後ほどわたくしから和颯様に、お渡しいたします。

 中身を、お伺いしても?」

「はい。干し柿です。兄上の好物なので」

「まあ。和颯様は干し柿がお好きなのですね。知りませんでした」

「ええ。大好物です。去年など、正月に、皆で食べる予定だった干し柿を30個ほど、兄が一人で全部食べてしまったことがあり――お腹を壊して大変でした」

「まあっ!」

 火鳥は笑った。

「子供みたい!」


「本当に――子供みたいな人なのです。火鳥義姉さまもご苦労されると思いますが、どうか――」

 信勝が歩き出そうと、前を向いた。


 ――今だ!


 火鳥は足の指の間に挟んでいた小石で、自分の草履の鼻緒を切った。小石はそのまま、地面に捨てた。

「きゃっ!」

 軽く悲鳴を上げて、わざと転ぶ。

 信勝が振り返り、慌てた様子で近くにしゃがんだ。

「大丈夫ですか?」

「――ええ」

「火鳥義姉さま、立てますか?」

 信勝が、右手を差し出した。


 ――来た!!!――


「ありがとうございます」

 火鳥は左手を差し出した。信勝が、火鳥の手を握る。

 火鳥は全神経を左手に集め、信勝の手のひらの感触に意識を集中させた。


 ――ああ。なるほど。


 信勝の手は固かった。

 だが、(斎藤 道三)の手はもっと固い。寝室で触れた織口和颯の手も。


 手には、剣術と槍術の、練習量が刻まれる。

 稽古を積めば、豆ができ、手が固くなる。

 

 おそらく、信勝も、跡取り息子として、それなりの稽古量はこなしているはずだ。

 単に父や織口和颯の稽古量が、もっと多いだけ。


 或いは。たぐいまれな弓の名手、ということもありうる。

 弓ならば、どれだけ練習しても、右の手のひら全体が固くなる事はない。


 もっと多くの情報が欲しかった。


 信勝に手を引かれ、火鳥は立ち上がった。

「お怪我はありませんか?」

「ええ。大丈夫です。ありがとうございました」

信勝は、鼻緒の切れた火鳥の草履を拾い上げた。

「――ああ。鼻緒が切れてしまったようです。これでは、履けませんね」

「裸足で歩きますから、大丈夫です」

 信勝と話しながら歩けば、新しい情報が手に入るかもしれない。

「それはいけません。私が兄上に叱られてしまう――」

 信勝は、火鳥に背を向けて、かがんだ。


 ――おんぶ!?――

 予想外の展開に、ちょっと驚いた。


 ――だが、悪くない。

 自然に背中に(さわ)れる。筋肉の付き具合が確認できる。

 

「すみません……では、お言葉に甘えさせていただきます……」

 火鳥は信勝の背中におぶさった。


 ――やはり――


 それなりに、筋肉はついている。

 そこそこ、体も動かしているのだろう。

 だが、彼の兄ほどの鍛錬を積んでいるというわけでは無さそうだ。


 信勝が、火鳥を背負い、立ち上がった。

 背の高い信勝に背負われると、視界が変わる。

 先ほどまでは見えなかった、遠くの景色までが見渡せた。


 ――!!!!――


 織口和颯だ。

 馬に乗っている。

 一緒にいるのは――萌!?


 萌は、一生懸命に何かを話しているようだ。

 まだこちらには気づいていないようだが。


 ――萌には、見せたくない……。


 自分の両手は既に血まみれだ。この心は、裏切りと陰謀にまみれて、醜く汚れているけれど。

 萌は。萌にだけは。この身にわずかに残った良心と、ほんのひとかけらの美しい部分だけを見せ続けたい。


 こんな――嘘にまみれ、三番目の夫の弟を騙している真っ最中の姿など、萌の目に晒したくなかった。



 信勝の背中についた筋肉を確認するという、目的は達成した。

 萌に気付かれる前に、この背中から降りたい。

 そのためには――。


「痛っ……」

 火鳥は、体をよじり、顔をしかめた。

「大丈夫ですか?」

 あわてて信勝が、火鳥を地面に下ろす。

 ――よし。これでいい。


「ええ……。足をくじいてしまったようで。 

 おぶわれると、余計に痛むようです。

 わたくしは後からゆっくり歩いて参りますので、信勝様は先に屋敷へお戻りくださいませ」

 ――その間に、先ほどの包みの中身も確認してしまおう。もしかしたら、干し柿の中に、密書が隠されているかもしれない。


「なんということでしょう。火鳥義姉さまに痛い思いをさせてしまったなんて。

 どのようにお詫びを申し上げたらいいのか――」

「いいえ。お気になさらないでくださいませ」

 ――もういいから。早く先へ行ってくれないかしら。


「では、このようにすれば――」


 火鳥の背中と膝の裏に、信勝の両手が差し入れられ、火鳥の体がふわりと浮かび上がった。


「!!」

 お姫様抱っこ!?

 いきなり!?

「ほら、これなら足も痛くないでしょう」

 ――なんてこと!


「お……下ろしてくださいませ……」

 ――このままでは、萌に見られてしまう!


 火鳥は本気で身をよじった。

 だが、体格の良い信勝の、がっしりとした両手からは抜け出せなかった。


「いえ。このまま屋敷までお連れいたします」

 信勝が腕の位置を少し変えた。火鳥の小さな身体は、信勝の腕の中にすっぽりと収まり、ほとんど身動きが取れなくなった。


 ――なんという屈辱!

 火鳥の頭に血が上り、頬が燃えるように熱くなった。


 信勝は、織口和颯の屋敷に向かって歩いていく。

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