翌日 〜陽の巻〜
その夜は寺に泊まった。
聖徳寺から3kmくらい北に行くと、とても大きな街道に出る。
美濃の市場は、とても活気があるらしい。
仲間達の中には、美濃から来た奴らもいるが、俺はこれでも一応、「織田信秀の長男」だ。
現在、美濃とは友好関係を保っているとはいえ、数年前には大戦闘を行ったばかり。俺なんかが美濃に行くと不要なトラブルの種をまく。
だから俺は尾張から出たことがない。
でも、せっかくここまで来たのだから、美濃の市場を見てみたい。
貞じいに相談したら、火鳥を通じて道三に許可を取ってくれた。
道三は稲葉山に戻るというので、途中まで見送る事にして、俺たちは、市の開かれている街道沿いの街に出た。
街道は、きれいに整備されていた。ひっきりなしに人が歩いてくる。
なんと、ここから西にあと3日か4日行けば、京の都に着くという。
――すげぇ……!
道沿いに、数え切れないほどの店が立ち並んでいた。
噂に違わぬ活気だ。見たこともないような商品が、いくつも並んでいる。
俺は後ろを振り返った。
尾張から来た仲間たちは、口をぽかんと開けるようにして、美濃の活気に驚いている。
北東には、深い緑をたたえた、信じられないくらい広く高い山が、荘厳と佇んでいる。稜線沿いには木の屋根が連なっていて、俺たちを悠々と見下ろしていた。
あれこそが道三の住む、稲葉山の館だという。
――ここが、美濃………!
火鳥も籠の御簾を上げて、目を細め、市場を眺めていた。
昨日から、火鳥は、新しい懐剣を帯に挿している。
美しい細工の施された、白い鞘に入った懐剣だ。きっと、道三殿に渡されたのだろう。
――そうだ! 俺から火鳥に、何か買ってやれないだろうか……。
ふと思いついた途端、ソワソワと落ち着かない気持ちになってきた。
何が良いだろう。紅か、白粉か、それとも――。
俺は火鳥の乗る籠を振り返った。
「少し買い物をしていかないか?」
火鳥の顔が、ぱっと輝いた。
「良いのですか?」
膝を乗り出すようにして、期待に満ちた目で俺を見上げる。
たったそれだけで俺はもう、舞い上がってしまいそうだ。
「実は……少し前から欲しいと思っていたものがあるのです」
うんうん。
そうか、そうか。それは良かった!
隣りにいる貞じいが、苦虫を噛み潰したような顔で冷たく言った。
「のんびりしている暇はございません。
2時間ほどで出発です」
「そうですか――」
火鳥は神妙な顔になって俯いた。
俺は貞じいを見た。
「なあ、貞じ――」
「では、2時間後にこの場所で」
言うが早いか、火鳥はさっと籠から降り、瞬く間に人ごみに消えた。
えっ、ちょっ、待っ――!?
俺は、呆気にとられたまま、その場に取り残された。
結局、俺は貞じいと一緒に市場を見て回る事になった。皆にも、自由に市場を見て回る許可を与えた。
紅や白粉を売る店ならいくつもあったが、どの商品も同じに見える。違いが分からないので、買うのはやめた。
どうせ火鳥も同じ市場にいるんだ。欲しければ勝手に自分で買うだろう。ふん。
俺は、着物の帯を売る露店の前で足を止めた。尾張の店より、明らかに種類が豊富だ。
そうだ、帯を買おう。那古谷で留守番をしてくれている一益の土産にしたら良い。
俺は、一益が好みそうな帯を一本見つけて手に取った。
「なぁ、この場所はいつもこんなに活気があるのか?」
俺が帯を手に持ったまま尋ねると、帯を売る男は愛想よく答えた。
「やあ、兄さん、他所から来たのかい?
そうさ。驚いただろう?
いつもこんなもんさ。
美濃の市場なら、座に入らなくても商売できるからな」
「――楽市楽座、か……」
話には聞いていた。
「道三殿の家系は、商人階級だったと聞いております。道三殿は、商売人の気持ちが分かるのでしょう」
貞じいが囁いた。
なるほど。確かに。
「だけどさ、美濃の奴らはよく、商人階級出身の斎藤道三を受け入れたな」
俺たち武士は、主人の血統を重んじる。
美濃を治めていた土岐家は、源氏の流れを汲む名家で、400年以上の歴史を誇る。畏れ多くも源頼朝公が挙兵した際に、頼朝公にお味方して活躍。その後、代々、美濃を治めることになったという。
斎藤道三の覇気は凄まじかった。戦も強いのだろう。それに加えてこの経済感覚。
それでも……。
何百年もこの地を治めてきた土岐家を排除して、商人階級の出身者が頂点に立つなんて。
反発はなかったのだろうか。
貞じいは更に声を潜めた。
「これは、あくまでも噂ですが――。道三殿のご嫡男は、道三殿の実の息子ではないとか」
ふうん。
で?
「――かつて、美濃を治めていた正統な血統の守護・土岐頼芸殿の愛妾に、美芳野という美女がいたそうです」
ずっと昔、萌が言っていた。『今、美濃で一番偉いお方』が亡くなったら、次は萌の兄が、美濃で一番偉い方になる予定だった、と。
その『今、美濃で一番偉いお方』だった男が土岐頼芸だ。
「しかし美芳野は、斎藤道三に下賜されました。
その直後、彼女は、道三殿の嫡男・斎藤義龍殿を出産します」
――えっ、それって……。
義龍の本当の父親は、土岐頼芸ってこと!?
つまり道三自身は商人階級の出身でも、嫡男は、正統な土岐家の血統だということか……。
美濃の侍たちは、斎藤道三を受け入れているわけではない。
ただ、土岐家が紡ぐ400年の歴史の、ほんの数年間、道三が「つなぎ」の役割を果たすのを、黙認しているだけ――。
俺は、帯を売る男を見た。鼻歌を歌いながら明後日の方角を向いて、知らんぷりをしている。
男には、おそらく俺たちの会話の内容が分かっている。
公然の秘密、ということか……。
俺は男に金を払い、帯を買った。
帯は、尾張で買うより安くて上質だった。
買った帯を手に持って、顔を上げた。
200mほど先の街道の隅に、ひっそりと薬屋が建っていた。
店先に並んでいる生薬は、色褪せてしなびて見える。
あまり繁盛しているようには見えないのに、屋根が新しい。
目つきの悪い男が一人、周りをうかがうようにして店の中に滑り込んだ。
すぐさま店員が、擦り寄るように近寄ってきて、一言二言話しかけた。
目つきの悪い男は、店の奥に目をやる。
そこには店主と思しき男がいて、女性客を奥の部屋に案内するところだった。女性客は、後ろ姿しか見えないが……。
あの着物は――
火鳥!?
――あんな怪しげな店に、何の用事だ!?
俺は険しい顔をして店を睨んでいたらしい。
貞じいが、俺の目線の先を見て、息を呑んだ。
「和颯さま、あの女は――」
俺は返事もせずに人混みをかき分け、真っ直ぐに店へと向かった。




