〜斎藤 道三〜
娘に取り残される父親がくやしまぎれに放つ、最後のひとあがきのつもりだった。
「お前は、火鳥の唄を、聞いたことがあるか?」
当然、「いいえ」という答えが返ってくることを期待した。
当時はカゲロウと呼ばれていた火鳥が甲賀を去る時、黒トカゲは彼女に「敵地では唄うな」と言っていた。
その真意は、未だ道三にも分からない。
だが火鳥は、道三の前ですら、とうとう一度も唄わなかった。
「えっ?」
織口和颯の動きが止まった。
彼の目が何かを思い出すように大きく揺れた。
――まさか……。
道三は、その質問を口にした、自分を呪った。
「あり、ます……」
彼は答えた。
道三の胸を、はっきりとした敗北感が満たす。
「………………どうであった……?」
お願いだ、教えてくれ。
儂の娘は、どのようにして唄うのか。
若い侍の瞳が、気遣わしげに迷いながら彷徨った後、まっすぐにこちらを見た。
「――極楽に住むという、迦陵頻伽が、唄っているのかと思いました」
…………ああ…………。
「………そう、……か……」
火鳥は、嫁ぐ。
突如としてはっきりと、そう、悟った。
道三は立ち上がった。
はるか神代の昔から。たとえ時代が変わっても。
娘を嫁がせる父は、いつも寂しい。
だが、その寂しさを婿に悟らせないのが、舅の張れる、最後の意地だ。
道三は、御堂に続く扉を開け放った。
覇気を放つ。
700人の家来たちが、一斉に頭を下げた。
――見ろ、若造。これが、俺の力だ。
儂は、最愛の娘を取り返すために戦った。そして間違いなく負けた。
だからこれは、負け惜しみだ。
それでも、己の持つ力を、精一杯見せつけずにはいられない。
――敗北宣言など、喉が裂けても口にするものか。
道三は言った。
精一杯の威厳を込めて。
「火鳥はもうしばらく、お前に預けておく。
だが、覚えておけ。
ふさわしくないと思えばいつでも、美濃に連れ帰る。一戦を交えてでも。
――励め。
全力で生きよ」
胸中を喪失感でいっぱいにした父親は、渾身の捨てゼリフを残し、その場を後にした。




