〜陽の巻〜
突然。
ふっ、と重圧が消えた。
俺が驚いて見つめると、斎藤道三はすっと目を細めた。
彼は観念したように小さく息を吐き、傍に控える男に合図を送った。
すぐに湯漬けが運ばれてきたので、俺と道三は黙って湯漬けを食べた。
続いて酒が運ばれてきた。
道三が軽く顎をしゃくると、その場にいた者が全員外に出ていった。
静かに、座敷の扉が閉まった。
俺たちは誰もいない部屋で、黙ったまま、二人で酒を酌み交わした。
「――火鳥は、元気にしているか?」
道三がぼそりと言った。
――来た……
道三は、再三書状で『火鳥と離縁しろ』と繰り返していた。
『火鳥を連れてくること』がこの会見の条件だった。
道三はこのまま、火鳥を連れて帰るつもりだろうか。
――嫌だ――
俺はぐっと目に力を込めて道三を見た。
「はい」
俺は慎重に答えた。
道三は俺をちらりと見た。
「――火鳥は、この五年間、どのように過ごしたのだろうか」
火鳥が美濃に、頻繁に手紙を送っていることは知っている。
だから、知りたいのは「出来事」ではないはずだ。
「――萌を、とてもかわいがっております」
俺は話し始めた。
「――那古野村の皆に、慕われております。
村では『天女の奥方様』と呼ばれています」
道三の片眉が、ピクリと動いた。
「仮装大会では、仮装を見て大笑いしていました」
「各務野が死んだ時は、こちらの胸が苦しくなるほど嘆き悲しんでおりました」
火鳥に関することなら、いくらでも話し続けることができる。
盗賊が来たときは、裸足で夜の那古野村を駆け回ってくれた。
あまが池では懐剣を握りしめていた。
鞍を落とした黒龍の背に乗り、勝ち誇ったように微笑んでいた。
それから、それから――。
「――わかった。もういい」
道三が俺をさえぎった。
気が付くと、喉がカラカラになっていた。
俺はずいぶんと長い間、ひとりで話し続けていたらしい。
俺が話せば話すほど、道三が寂しそうな顔をするように思えて、何とかしなければと必死だった。
「――火鳥は、今、どこに?」
道三が聞いた。
「寺の別棟の『はなれ』にいると聞いております」
寺についてからは、自分の支度で手いっぱいだったので、俺もまだ『はなれ』には行っていない。
道三がわずかに目線を下にずらした。
「火鳥と二人だけで、話したいのだが」
それは要求を伝えるというよりは、哀願するような言い方だったので、俺は戸惑う。
「もちろんです。心ゆくまでお話しください」
道三が口の中でぼそりと何かを言った。
「すまぬな」とも「悪いな」とも聞こえた。
「今日は婿殿に、会えてよかった」
道三は立ち上がった。
俺たちの会見は、終わったらしい。
一拍遅れて、俺は自分が初めて『婿殿』と呼ばれたことに気が付いた。




