〜陽の巻〜
俺たちは寺についた。
約束の時間には、まだ余裕がある。
だが、川を超えるのに手間取ったので、予定よりは遅い時間だった。
俺は休む間もなく、自分の周りに屏風をぐるりと張り巡らせた。
まずは髪を正式な折り曲げに結う。
真新しい褐色の袴、新しく作っておいた小刀。
急いで、だがきっちりと着付けてもらう。
ものすごく緊張する。
喉の奥で心臓がバクバクと音を立てる。
――大丈夫だ。
しっかりしろ、俺。
準備は、何とか約束の時間に間に合った。
俺は屏風を横に開いて外に出た。
盛装で木の床の上を歩く時は、草履を履いて外を歩く時と、歩き方が違う。ずっと昔、秀じいに教わった。
俺は臍の下に力を入れ、腰を落とし、背筋を伸ばして歩いた。
床の上を、するすると滑りながら進むようなイメージだ。
少しでも斎藤道三の心証を良くするよう、俺は必死だった。
慣れない歩き方に神経を使いながらも、なんとか御堂に出る。
信じられないことに、御堂には、立派な盛装をした侍が、ずらりと並んでいた。
――なっ……、なんだこれは!!?――
俺は面食らった。
――さあ、この中から儂を探し出してみよ。
斎藤道三の声が、聞こえた気がした。
さあっと血の気が引く。
――誰が、斎藤道三だ……!?
どの武士もいかつい顔つきで、立派な身なりだ。この中の誰が斎藤道三だと言われても納得せざるを得ない雰囲気を醸し出している。
ここで間違えたら大恥だ。
どうする? どうする? どうする!?
目が泳ぎそうになる。
―― 落ち着け、俺! ――
うろたえるな!!
斎藤道三には会ったことがない。
肖像画すら見たことがない。
だから、顔で判断するのは不可能だ。
――できないことをやろうとするな。
俺は、小さく息を吸った。
ならば――。
――できることを――。
俺は、一益と、柴山の頂上で盗賊団の頭と会った時のことを思い出した。
あの時、一益は盗賊団の頭の顔など知らなかった。
それでも一益は、あの場に足を踏み入れた瞬間、中央に座っているのが頭ではないと瞬時に見抜いた。
――俺にも、できるはずだ……!
俺は並み居る強面の武将たちの前を、ゆっくりと通り抜けた。
体中に神経を行き渡らせるようにして、相手の反応を探る。
どの武将も、俺が目の前を通る時は言いようもない威圧感を発してきた。
見た目と威圧感だけなら、誰が道三だったとしてもおかしくはないだろう。
だから、俺が注目しているのは、目の前の武将の反応ではない。
俺が見たいのは、目の前に《《いない》》武将の反応だ。
俺が本物の道三の前を通れば、ここにいる誰かが、きっと何らかの反応をするに違いない。
注意深く観察すれば、きっと俺にも……分かる。……はず――だ!
俺は、御堂全体に神経を張り巡らせながら、ゆっくりと武将たちの前を進んでいく。
だが、半分以上進んでも、誰も何の反応も示さなかった。
――わずかなサインを、見落としたのだろうか……。
俺は焦る。
もう一度、柴山の経験を思い出す。
あの時、山頂に頭が姿を現した途端、盗賊団はピリリとした緊張感に包まれた。
今、この御堂に並んでいる武将たちはまるで、群れの中に放り込まれた一匹のネズミを、面白がって眺めている猫のようだ。
どうやってなぶり殺してやろうかと、嬉々として舌なめずりをしている。
彼らの間に、あの時の盗賊団の、ひりつくような緊迫感はない。
つまり――。
俺は、ぴんと神経を張り詰めたまま、居並ぶ700人の武将達の、最後の一人の前を通り過ぎた。
誰からも、何の反応もなかった。
――ここに、斎藤道三は、いない――
俺は、張りつめていた神経を、一気に弛緩させた。
どっと徒労感が襲ってきた。
――くそっ、こっちは真剣なのに。馬鹿にしやがって!
俺は御堂の隅の柱に背中をつけて、どかりと座った。
音のない静かなざわめきが、御堂を満たした。




