〜カワセミの唄〜《甲賀の里・過去》
「ここを去るなら、寝床を片付けてから行け。何も残すな」
黒トカゲが言った。
カゲロウは、一礼して、さっといなくなった。
道三が、袂から小袋を取り出した。
金粒がつまっているのであろう小袋は錦織で、ずっしりと重そうだった。道三は2つの小袋を床に置き、黒トカゲの前に滑らせた。
黒トカゲはちらりとそれを見て、2つの小袋のうち1つを、道三の前に押し戻した。
「伊賀の里は女人禁制。
この小屋から、くのいちが巣立ったという、噂が立つと困ります」
道三は頷いた。
「心得た。
儂も、娘がくのいちだと知られては困る。
決して口は割らない。
ご安心なされよ」
道三は、押し戻された小袋を、再び黒トカゲの前に滑らせた。
黒トカゲは、またそれを押し戻した。
「あの………」
俺は口を開いた。
カゲロウがここを去るなら、今、渡しておかなければならない。
「うるさい。用事があるなら、後にしろ」
不機嫌そうに黒トカゲが言った。
俺は素早く立ち上がった。
「失礼」
小屋の引き戸の縁の、割れ目の1つに小刀を差し込み、割れ目をぐっと押し開く。
割れ目の奥には縦5cm、横30cm、厚み3mm程の空間があって、そこは、俺だけの秘密の隠し場所だった。
中に隠しておいた紙の端を小刀の先に引っ掛けて、「それ」を引っ張り出す。
扉の割れ目の奥の隠し場所から、小さな薄い紙の包みが現れた。
黒トカゲの目尻が、神経質に動いた。
俺は、紙の包みを両手で持ち、目の上に掲げて道三に手渡した。
道三は、紙を開いた。
中には懐剣の刀身だけが入っていた。
数年ぶりに光を浴びた刀身が、鈍く光る。
怪訝そうな顔をして、顔を上げた。
「鞘と柄は、もうありません」
俺は言った。
「カゲロウの、持ち物でした」
黒トカゲが目を剥いた。
「とても大切なものだったようです。
本人はもう、覚えておりません。
――いつか。渡してやってください」
道三は、穴が空くほど俺を見た。
「心得た」
静かに言って、黒トカゲの前に錦織の小袋を押し戻した。
「刀身しかないとはいえ、見事な造りの懐剣だ。思い入れもひとしおらしい。
これはその代金として、置いていく」
今度は黒トカゲも何も言わなかった。
小屋の扉が、開いた。
「支度が整いました」
カゲロウが立っていた。
荷物は、何もなかった。
「では、参ろうか」
道三が、カゲロウに向かって言った。
「はい」
カゲロウは、しっかりと道三の目を見て頷いた。
道三は立ち上がった。
「カゲロウ、1つだけ、忠告しておく」
黒トカゲが口を開いた。
「敵地で、唄うな」
カゲロウが驚いた顔をして、黒トカゲを見つめた。黒トカゲはあさっての方角を見て鼻を鳴らした。そして二度と、カゲロウの方を見ようとも、話しかけようともしなかった。




