当日 〜陽の巻〜
聖徳寺は、石山本願寺系列の豊かな寺だ。
当然だ。美濃も尾張も、この寺から税を取ることはできていない。
だが、面会の場所は提供してもらえることになった。
那古野から聖徳寺は20Km以上ある。
道のりのほとんどは尾張国内ではあるが、織口家の勢力範囲外での移動だ。
しかも、美濃との国境、木曽川を越える必要がある。俺は700人の仲間たちを連れて行くことにした。
木曽川では渡し船を使った。さすがに700人が一度に乗れる船はないので、俺たちは数十人づつ分乗して、木曽川を渡る。
俺は、尾張を離れるのは初めてだ。舟が陸を離れると、国境を越える心細さが骨に染みた。
5年前、火鳥も、こんな心細さを抱いて美濃から尾張に嫁いできたのだろうか。
俺たちから少し離れた、別の船の一番前では、火鳥が一人で船の縁に腰掛け、前方をじっと見つめていた。
長い髪が風に揺れている。
各務野が死んでから、火鳥は身の回りの事をほとんど一人でこなす。
火鳥一人ではどうしようもない時だけ、萌が手伝っているようだ。
火鳥は今日も、侍女を連れてこなかった。
それどころか、正徳寺にも「馬で行くから籠はいらない」と言っていた。さすがにそれで道三に会いに行くのは、俺が気まずいので、無理やり籠に乗せた。
「……和颯様、大丈夫ですか?」
下から覗き込むようにして、遠慮がちに声をかけられた。
「えっ……?」
我に返ると、皆が俺を取り囲むようにして座っていた。皆、一様に心配そうな顔をして俺の方を見ている。
「あ……」
そうだ。不安なのは俺だけじゃない。
みんなだって、尾張を離れ、不安なはずだ。それでも、こうして一緒に、ついてきてくれた。
俺は笑顔を作って、皆を見回した。
「ありがとう。大丈夫だ」
「大丈夫ですよ、和颯様」
背中に、ゴツゴツとした温かな手が添えられる。
「――俺たちが、ついてます」
毎日朝から晩まで一緒に訓練している仲間たちの手は、豆だらけだ。
俺の耳元で小さな声が聞こえた。
「和颯様の愛する火鳥様は、俺達が決して道三に引き渡したりはしません」
俺は火鳥の乗る船を見た。
船着き場で籠から降りた火鳥は、とっとと目の前の船に乗り込んでいた。だから俺と火鳥は別の船に乗っている。
火鳥は先ほどから身じろぎもせず、船の進行方向を――美濃の方角を――じっと見つめていた。
俺の位置から火鳥の表情は見えない。
彼女は今、何を考えているのだろう。
――今すぐにでも、美濃に帰りたいと思っているのだろうか。
…………ん?
「――んなっ……っ!?」
先ほど耳元で囁かれた言葉が脳に届くのに、時間がかかった。
今、なんつった?
俺が、火鳥を、愛――!?
「だ―――っ!
違っ……ッ!
違うから!
そういうんじゃないんだよッ!!」
顔から火が噴き出す。
俺は声を潜めた。
「好きとか、嫌いとか。
そういうんじゃないんだって!
これは――これは、えっと……政治!
そう、政治なんだって!!」
仲間たちのジトッとした目が、こちらを見ている。
俺は必死に弁解する。
「今、俺たちは、今川義元に狙われている。
美濃は、大切な同盟相手だ。
俺はその同盟を維持する必要がある。
だから、この婚姻は破棄するわけにはいかないの!
それだけ!
本当に!!
それだけなのッ!!」
「はいは〜い、そうですね〜。
失礼しました〜。
分かってますよ〜」
いかにも、めんどくさそうに答える声。
俺は焦る。
「ちょっ! テキトーに言ってない??
ホントに分かってる!!?」
耳が、熱い。
「勿論です!」
年長の1人が今にも笑い出しそうな口元でそう言って、他の皆に目配せをした。
「和颯様のためじゃなくて、尾張のため、ですよね?」
「そう!」
かかかか勘違いしないでくれる!?
「分かってますって」
「俺達、頑張りますよ」
「ガツンとぶちかましてやりましょう」
「とりあえず、火鳥様は渡さないってことですよね?」
なんだかニヤニヤしながら言われる。
「ちょっ―――!!」
ねえ、みんな。
……ホントに、分かってる??




