当主・信勝 ~陽の巻~
「信勝に会いたのだが」
ダメ元で一益に相談してみたら、あっさりと「御意」と言われた。
「あ、えっと……。
実は俺、父上の葬儀で、ちょっと『やらかした』から……。
多分、本家は出入り禁止になっていると思うんだけど……」
一益はにやりと笑った。
「俺は忍だと言っただろう。
誰にも知られずに侵入するのは、専門分野だぜ。
もっとも、俺なんかより、か――」
一益は、はっと口をつぐんだ。
「……おっと、喋りすぎたようだ。
とにかく――任せておけ」
本家に着くと一益は、しばらくここで待つように言うと、ひらりと壁を乗り越えて中に入った。
俺の足元には、大きめの麻袋が置いてある。袋の口はしっかりと閉じてあるが、中で何かが、ごそごそと動いているようだ――生き物、か……?
しばらくすると一益は、入った時と同じようにして壁を乗り越えて出てきた。
――身軽だ。
「信勝様は中にいる。
だが、近くに付き人もいるようだ。
今から付き人を追い払うから、その隙に会ってくると良い。
俺は庭に隠れて待機しているから、用事があれば呼んでくれ」
俺は開いた口が塞がらない。
――忍、すげぇ。
俺の顔を見ると、一益は満足そうに笑った。
「まあ、見とけって」
一益は地面に置いた袋を担ぐと、また壁を乗り越えた。
しばらくすると、短い悲鳴が聞こえ、ドタバタと騒がしい足音が響いた。
「狐だ!」「3匹はいたぞ!」「探せ!」「どこから入った!?」「台所には入れるな!」
怒鳴り声が入り乱れて飛び交う中を、一益が戻ってきた。
一益は俺が壁を乗り越えるのを手伝ってくれた。
俺は、父の部屋だった場所へと歩み寄り、中を覗いた。
いつも父が座っていた場所に、信勝が座っている。
それは少し奇妙な感覚だった。
信勝は、父の屋敷と、父の家臣のほとんどを受け継いでいる。
まあ、それが跡取りってことだ。
屋敷の中はバタバタと騒がしいが、信勝は尾張の地図をぼんやりと眺めていた。
少し、疲れているようだ。
「おい。……信勝…………信勝……!」
庭からささやき声で呼びかける。
信勝が眉根を寄せて辺りを見回した。
俺を見つけて、信勝の顔が一瞬の驚きの後、ぱっと輝く。
信勝が大声を上げた。
「兄上!」
信勝が弾かれたように立ち上がり、こちらに駆け寄ってくる。
裸足のままで庭に降り、がしっと抱きついてきた。
――ああ。やっぱり来てよかった。
「し~~っ! 静かにしろ!」
俺は人差し指を自分の唇に当て、しかめっ面を作った。
信勝はあわてて自分の口を手で押さえた。
「さあ、早く。
人に見られる前に部屋へお入りください!」
信勝は俺の腕を引っ張って、自分の――当主の――部屋へ招き入れた。
俺は下座に座った。
信勝は一瞬迷うそぶりを見せたが、いつも父が座っていた場所へ腰を下ろした。
「……母上は、まだ怒っているか?」
おそるおそる尋ねると、信勝は目を泳がせた。
――あ。まだ怒ってるのか。
父の葬儀で俺がとった行動は、故人の妻であり、俺の生みの親でもある母の顔にも泥を塗ったことになる。
仕方ない、か。
「母上は『わたくしの目の黒いうちは、和颯に本家の敷居は跨がせない』と仰せです」
――あっちゃ~……。そんなに、かぁ~。
「ですが『兄上があのような行動をとった理由を知りたい』とも仰っていました。
理由の如何によっては――許すおつもりなのではないでしょうか?」
「あ~~……」
俺は天井を見上げた。
信勝は慎重にこちらの反応を見ながら続けた。
「――わたくしは兄上が、一度は立派な喪服を着て寺にいらしたところを見ております。
つまり兄上は、わざわざ屋敷に戻って、着替えてこられたということですよね?
なぜ、あの日、兄上は、あのような行動をとられたのですか?」
俺は信勝を見た。
お前のためだ。
そう言えたらどれだけ楽になるだろう。
だけどそれは、織口家本家の家臣の一部が信勝を裏切り、俺に従おうとしていた、という事実を信勝に伝えることになる。
そんなことを、今さら信勝に伝えて、何になる?
ただ信勝の自尊心を傷つけ、跡継ぎとしての自信と、既に自分に従っている家臣への信頼を失うだけじゃないか。
今は俺の奇行により、俺に従いたいと思う家臣などいないはず。
――ならば、信勝は、知らない方がいい……。
俺は不真面目そうな笑みを作って見せた。
「あ~……。ほら。俺はさ。
跡継ぎからも外れて気楽な分家の身分だから。
ちょっと羽目を外してみただけさ。
俺は長男なのに、跡継ぎにしてもらえなくて『チクショー』っていう気持ちもあったしな~」
信勝は、むっとした顔で俺を見た。
「兄上!」
俺はへらへらと笑ってみせた。
「あ~、悪ぃ、悪ぃ。
お前は跡継ぎだもんな。
いろいろ考えなきゃいけないことも多いのに、兄貴の俺がお前の足を引っ張っちまった事は、申し訳ないと思っているぞ」
信勝は、掴みかかるように言った。
「そうじゃない。
隠さないで、ちゃんと話してほしい!
弟を舐めるな!
ずっと一緒に育ってきたんだぞ!!
兄貴のウソなんてお見通しだ!」
――!!
「オレを騙せると思うな!
兄上のその顔は、兄上が誰かをかばう時の顔だ!!」
信勝は俺の目を覗き込んで、声の調子を和らげた。
「――ねぇ、話してくれよ、兄さん。
オレは兄さんを信じてる。
……俺たちはお互い、血を分けたきょうだいだろ?」
――ヤバい。俺、いま、泣きそうだ。
「ねぇ兄さん、今度はいったい、誰をかばっているの?
その人は、兄さんが、母さんを泣かせてまで、かばわなくちゃいけない人なの?」
――泣くな、俺。
俺は涙をぐっとこらえた。
父には多くの側室がいた。俺の兄弟はたくさんいる。
だけど、俺と信勝は特別だ。父も母も同じで、歳も近い。
俺たちは、お互いに相手を意識しながら、同じ屋敷で、ずっと一緒に育ってきた。
――信勝のためだ!
俺は、気合で涙を引っ込めた。
「悪い。信勝。お前には言えない。
だけど、俺はこれがお前にとって最善の方法だと信じている。
だから――。
頼む。これ以上、聞かないでくれ」
信勝は口をへの字に曲げて俺を見ていた。
俺はありったけの気合を込めて、信勝を見つめ返した。
やがて信勝が、諦めたようにふう、とため息をついた。
「――兄さんが頑固なの、オレが一番よく知ってる」
「――悪いな」
「……いいよ。
――母さんには、折りを見てオレからも上手く話しておく。
ほとぼりが冷めたら、母さんにちゃんと謝って、父さんの位牌に手を合わせに来てほしい。
――市も、兄さんに会いたがってる」
「……分かった……」
「で?」
重苦しい空気を振り払うように信勝が言った。
「わざわざその話をしに、ここまで来てくれたの?
違うよね?
兄さんはそんな人じゃない。
――何か、用事があったんだろ?」
――さすがは信勝だ。
信勝は昔から、俺と違って、合理的で頭が良い。
「聞いたか――?
鳴海の砦が、今川に寝返った」
信勝は顔を曇らせた。
「うん。
――その話なら、もう聞いてる」
鳴海は、尾張の東端、知多半島の付け根にある砦だ。
もともと今川の砦だったものを、父が織田方に寝返らせた。
「なら、どうしてほったらかしにしているんだ?
そのままにしておくわけにはいかないだろう!
早く奪い返しに行かないと!」
「そうだけど……寝返りを画策しているのは、鳴海だけじゃない。
父上が亡くなって、織口家の領地全体がぐらぐらしているんだ。
鳴海はもともと今川の土地だった。
場所も西の端で、鳴海が今川に墜ちたとしても、領地全体への影響は少ない。
きっとこれから別の場所で、もっと大変なことが起こる。
だから今は、兵力を温存しておきたいんだ」
「何言ってるんだ! 鳴海は熱田から目と鼻の先じゃないか。
熱田が襲われたら、どうするつもりだ!?」
鳴海は海からも近い。
鳴海を奪われると、伊勢湾の制海権が危うくなる。
「それに、鳴海は知多半島の付け根にある。
鳴海を奪われると、いまに知多半島全体が今川に乗っ取られるぞ!」
信勝はむっとした顔をした。
「分かってるよ! 分かってるけど、分かった上で。
それでも、今、オレが鳴海に裂ける兵力はない。
――そんなに言うなら、兄さんが行って取り返してきてよ」
「――よし、分かった。
俺が取り返してきてやる」
俺が言うと、信勝はぎょっとした顔をした。
「……えっと……。
ごめん、今の、ナシ……」
「何言ってるんだ。ここは俺に任せておけ」
「いやだけど。兄さん……。
……大丈夫…………?
言いたかないけど、兄さん、戦は下手くそだよね」
もごもごと言いにくそうに続ける。
「――初陣の時だって……
初陣は縁起物の儀式みたいなもんだから、絶対に負けないようにって、みんながお膳立てしてたのに――」
「くわあああっ! 言うな!
――確かに、初陣の時は―――えっと、あれだ。
そう! ちょっぴり運が悪かった! が!
俺は最近、自前の軍隊を鍛えている!」
「うん。噂は聞いてるよ」
俺は立ち上がった。
「あいつらを連れて行く。
さくっと行って、さくっと鳴海を奪い返してきてやる!
お前はそこで座って見てろ!」
信勝は面白そうに俺を見上げていた。
「あははっ。
じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
「よし! 任せておけ」
信勝は眩しそうな顔をした。
「――兄さん、変わったね」
「そうか?」
「うん。いつからだろう。兄さんは、変わった」
「――たぶん、火鳥が嫁いできてから……」
「……ああ。そうかもしれないね」
(……にいさんが、うらやましいよ……)
信勝が聞きとれないほど小さな声でつぶやいた気がした。
――え?
信勝はふっと笑った。
「――でも、兄さん、死なないでね。
オレには、鳴海の砦より、兄さんの方がずっと大事だよ」
「当然だ。任せておけ!」
信勝が声を立てて笑った。
やっと弟の笑顔が見られて、俺は安心した。
信勝が、驚いた顔で庭を見た。
庭の目立つ場所に、一益が立っていた。
俺は耳をすます。さっきまで騒がしかった母屋が、落ち着きを取り戻していた。
どうやら一益が放った狐が捕まったらしい。
そろそろ帰る時間だ。
信勝が微笑んだ。
「じゃあね、兄さん。来てくれてありがとう」
「おう。良い報告を待て」
「うん。とりあえず生きて帰ってきて」
「約束だ」
俺たちは、しっかりと手を握り合った。




