真夜中 ~陽の巻~
疲れているはずなのに、眠れなかった。
黒龍の背で乱れて揺れる、長い髪。
弾けるような笑顔。
ふいに漂う色香。
髪に揺れるヤマツツジ。
口元からちらりと見えては隠れる小さな歯。
至近距離で、空を眺める横顔
海を見て、みるみるうちに輝きを増す瞳――。
慣れない夜更かしに、心臓がバクバクと音を立てる。
俺は、庭に出た。
昼間はここで、剣術や弓の稽古をする。
夜の庭は、広くて殺風景でひんやりとしていて、火照った体を冷ますのにちょうどよかった。
俺は庭の隅に植えられた、柿の木にもたれかかって、星を見上げた。
静かに、扉が開く音がした。
俺は振り返った。
夜着の上に薄い打掛を羽織った火鳥が、庭に出てきた。
火鳥は空を見上げたまま、草履も履かず星に導かれるようにして、ふわふわと歩き、庭の真ん中でぼんやりと立ち止まった。
俺は息を殺した。
小さなため息ひとつで、この空間にかかっている、不思議な術が消えてしまう。
そんな気がした。
火鳥は、少し迷うそぶりを見せた後、不意に口を開き、唄い出した。
『月の雫を髪に挿し
泉の傍に佇めば
いつかあなたが気が付いて
私を見つけてくださるかしら――』
ぞくぞくぞくっと、背中が泡立ち、鳥肌が立った。
こんなにも美しい歌声を聞いたのは生まれて初めてだった。
俺は満足に息をすることすらできずにいた。
星が、唄い続ける火鳥の顔を、白く照らしていた。
風が吹き、彼女が肩にかけていた着物をはためかせる。
それはふわりと浮き上がり、まるで鳥の羽のように見えた。
――迦陵頻伽!――
極楽には、迦陵頻伽という半人半鳥の天女がいて、それはそれは美しい声で唄うという。
だがたとえ極楽に住む迦陵頻伽でも、こんなに美しくたたずむことも、こんなに美しく歌うこともできまいと思った。
唄い終わると火鳥は、空に向かって何かをつぶやき、屋敷の中へ戻って行った。
俺は、夜が明けて空が白むまで、ぼんやりとそこに突っ立っていた。




