真夜中 ~陰の巻~
夜中にふと、目を覚ました。
各務野に呼ばれたような気がした。
火鳥は夜具から起き上がった。
少し肌寒い。
薄手の着物を肩から羽織り、静かに外に出た。
裸足の足に、地面の冷たさを感じた。
そのまま歩いて、広い庭に出る。
空には満天の星が輝いていた。
あの中の一つに、各務野がいるのだろうか。
――敵地で、唄うな――
父に手を引かれて甲賀を出るとき、黒トカゲが目も合わせずに、ぼそりとつぶやいた。
結局、黒トカゲから貰った、教えらしい教えはその一つだった。
ここは尾張。だから敵地なのだろう。
それとも……。
それでも――。
火鳥は星を見上げたまま、口を開いた。
火鳥の口から、唄が、零れる。
『月の雫を髪に挿し
泉の傍に佇めば
いつかあなたが気が付いて
私を見つけてくださるかしら――』
各務野が良く歌っていた。
決してかなわぬ恋の唄。
――各務野……
今なら分かる。
一度も口には出さなかったけれど。
各務野にもきっと、想い人がいたのだろう。
『月の雫は見えるのに
私の指は届かない
決してかなわぬ願いなら
いっそ儚く散ればいい
どうせ消えゆく想いなら
うまれなければよかったものを』
空を見上げた。
星が瞬いた。
――辛いですか?
各務野の声が、尋ねた。
――こちらへ、いらっしゃいますか……?
昨夜までなら、迷わず『はい』と答えただろう。
だが火鳥は返事をためらった。
もうすぐ時間切れだと言うように、星が瞬いた。
各務野はこれから、今よりもっと、ずっと遠いところに行くのかもしれない。
――いいえ。
火鳥は答えた。
――私は、ここで生きていく――
――そうですか。
星が笑ったように思った。ひときわ強く輝き、各務野の気配が消えた。
……あ……
「――さよなら、各務野……」
最後にお別れを、言いに来てくれたのね……。
火鳥はもう一度空を見上げた。
各務野の気配はもう、どこにもいなかった。
火鳥は静かに、部屋へ戻った。




