白銀の絶望、白熱の希望(プロミネンス・ガスト)
『巨蟻の迷宮』の攻略から数日。
死力を尽くした戦いの傷もようやく癒え、僕たちの体には新たな強さが宿っていた。
だが、次に僕たちが選んだダンジョンは、蟻たちが蠢く湿った土の底とは正反対の、凍てつく巨大な氷山――Fランクダンジョン『氷竜の住処』だった。
「氷……。僕にとって、最も相性の悪い環境だ。」
寮の部屋で装備を確認しながら、僕は思わず独り言をこぼした。
隣でリナが、鋭い視線を僕に向けながら書類をまとめている。
「分かっているのなら、対策を怠らないことね。あんたの炎は高出力だけど、極寒の環境では魔力の消費が激しくなる。……死にたくなければ、まずは防寒具の調達よ。後、補助用の炎の魔石があると炎魔法を補助できると思うわ。」
彼女の言葉は、相変わらず冷たいが、どこか心配しているような響きがあった。
「助言ありがとう。そうさせてもらうよ。」
僕はリナの横顔を盗み見る。
彼女は僕よりも、常に一歩先を見据えている。
そんな彼女に少しでも追いつきたいという思いが、僕の焦りを少しだけ和らげてくれた。
「……何よ、人の顔をじろじろ見て。さっさと準備しなさい。F1クラスに上がったからって、氷山で凍え死んだら笑い種にもならないわよ。」
「ああ、分かってる。」
翌日。
僕は軽く手を振り、フェイたちが待つ中庭へと向かった。
「ティアくーん! こっちこっち!」
中庭では、フェイが浮遊しながら元気に手を振っていた。
その傍らには、いつものように冷静なシエル、大きな盾の手入れをするガルス、地図を確認するゼノ、そして少し不安げに尻尾をいじっているミアの姿があった。
「みんな、揃ってるね。」
僕たちは転移門をくぐり、ダンジョンへ向かう前に、氷山への入り口に最も近い商店街へと足を運んだ。
年中雪が降り積もる極寒の地に挑む冒険者たちが、最後の準備を整えるために集う場所だ。
冬の訪れを告げる冷たい風が容赦なく吹き抜ける中、僕たちは『冬装束専門店』の古びた暖簾をくぐった。
「すみませーん。誰かいませんか?」
薄暗い店内に店員の姿は見えず、フェイが声を張り上げる。
すると、奥に積まれた毛皮の山が揺れ、中からなんだか胡散臭い老婆が這い出してきた
「氷竜の住処へ行くのかい? ……なら、この『炎の魔石』を編み込んだマントが一番だ。これがあれば、多少の冷気なら体温を逃がさないよ。ヒッヒッ……」
老婆は濁った瞳で僕たちを値踏みするように眺める。
その老練な店主の勧めに従い、僕たちは差し出された重厚なマントを羽織った。
胸元からじんわりと温かい魔力の波動が伝わってきて、凍えていた肌が解き放たれるのを感じる。
「いくらになりますでしょうか?」
「まとめ買いしてくれるなら、5000でいいよ。……まあ、またおいで。生きて帰れたら、の話だけどね。」
ゼノが学園からの支給金を支払い、店を出ようとした時、僕だけが足を止めた。
(……高出力の魔法ほど魔力のロスが激しくなる。死にたくなければ備えなさい。)
リナの言葉が頭をよぎる。……念には念を入れるべきだ。
「ティアが来ない。ミア見てくる。」
「おう、先に入り口に向かってるぞー!」
ガルスたちが先へ進む中、ミアが店に戻ろうとすると、ちょうど中から急いで出てきた僕と正面からぶつかった。
「痛い……。ティア、何してたの?」
ミアは尻もちをつきながら、琥珀色の瞳で僕を見上げた。
「ごめんミア、遅くなって。……ちょっと、個人的に用意したいものがあってね。」
「……くんくん。……火の匂いが強くなった。見つかったの?」
「うん、見つかったよ。みんなを待たせてる。僕らも急ごう。」
僕はリナの助言通り、店主に掛け合って個人的に質の良い『補助用の炎の魔石』を買い足し、懐に忍ばせていた。
これがあれば、どんな寒さでも僕の火は消えないはずだ――。
そう自分に言い聞かせ、僕はミアを助け起こして駆け出した。
装備を整え、僕たちはついにダンジョンの入り口に立った。
マントの温もりを、氷山の冷気が容赦なく奪い去ろうとしている。
「さあ、これで準備は完璧だろう。……行くぞ、俺たちの力を証明しに!」
ガルスの号令とともに、僕たちは白銀の世界へと足を踏み入れた。
そこは、静寂が支配する白銀に閉ざされた世界。
鋭く垂れ下がる巨大な氷柱は、まるで侵入者を貫こうとする牙のようだった。
足元の厚い氷の下には、大昔に閉じ込められたと思われる生き物たちが、逃げ場のない絶望の中で固まったような苦悶の表情のまま静止している。
それは、一度捕らわれたら二度と逃げられない「死の庭」だった。
僕たちは氷の壁が迷路のように続く、上層の通路を歩き出していた。
防寒具のおかげで体温は守られているが、それでも吐く息は白く、空間そのものが僕たちの体温を吸い尽くし、命を削り取ろうとしているような圧迫感がある。
「……静かだね。蟻のダンジョンとは大違いだよ。」
フェイが少し不安げに呟く。
確かに、あまりにも静かすぎた。
氷の壁に僕たちの足音だけが硬く反響し、それがかえって奇妙な不安を掻き立てる。
「まぁ、戦闘が多すぎないのはいいことだ。今は温存しておこうぜ。ティア、さっき買った魔石の調子はどうだ?」
ゼノの問いに、僕は懐を確かめてから頷いた。
「ああ、完璧だよ。リナの言った通り、魔力の循環が安定している気がする。」
そんな他愛のない会話を交わしながら、さらに奥へと進んだ時だった。
角を曲がった先で、僕たちは思わず足を止めた。
「……なんだ、これは。」
そこには、おぞましい光景が広がっていた。
先に入っていた数名のパーティーが、無残な屍となって転がっている。
彼らが着ていた服は獣の爪によって無残に引き裂かれ、血の赤が氷の白と混ざり合い、凍りついたまま生々しい模様を描いていた。
「……全滅か。」
シエルの声が、普段よりも低く冷たかった。
その直後、背後の暗闇から低く唸るような響きが聞こえた。
氷の影から現れたのは、分厚い銀色の毛皮に覆われた『氷狼』の群れだった。
彼らの牙には、まだ乾いていない生温かい血がこびりついている。
「彼らをやった奴らか! ゼノ、指示を!」
ガルスは盾を構え、ゼノに声をかけた。
「……クソッ、奇襲か! ガルス、正面だ! ティア、援護射撃を頼む!」
ゼノが叫ぶと同時に、氷狼たちが一斉に飛びかかってきた。
だが、今の僕たちは蟻の迷宮を潜り抜けたからか、自信がついている。
個々の動きは以前よりも鋭く、迷いがない。
ガルスが盾で突進を完璧に受け流し、その隙を突いてシエルが地面から突き出した氷の棘が狼たちの足を止める。
補助用の炎の魔石によって増幅した炎の魔力で、僕は一体一体倒し始めた。
「炎魔法、紅炎の一槍!」
一直線に突き抜けた炎は、分厚い毛皮を焼き焦がし、狼たちを次々と灰へと変えていく。
魔石の補助のおかげで、その熱量は氷の空間を容易く制圧した。
熱風が吹き荒れるたび、周囲の壁からパキパキと氷の裂ける音が響く。
フェイによる索敵で、ゼノは指示を出し、ティアとガルス、シエルは無双した。
ミアは狂歌魔法で同士討ちをさせ、群れの数を減らしていく。
数分後。
周囲には、焼け焦げた狼たちの死骸が散らばっていた。
圧倒的な勝利。
だが、誰一人として喜ぶ者はいなかった。
僕たちは、無残な姿を晒す先行パーティーの亡骸の前に立った。
彼らの顔には、死の直前まで感じていたであろう恐怖と、無念が刻まれている。
僕たちが一歩間違えれば、この姿になっていたのは僕たち自身だったのだ。
「……埋葬しよう。」
僕の提案に、ガルスたちが無言で頷く。
シエルが杖を振ると、地面から氷の板がせり上がり、彼らの亡骸を静かに包み込んでいった。
それは墓標というよりも、冷たい氷の棺だった。
彼らの時間が、この冷酷な白銀の世界に永遠に閉じ込められた瞬間だった。
「……これがダンジョン、ってことか。」
僕が小さく呟くと、ゼノが僕の肩に手を置いた。
その手は、防寒具越しにも分かるほど震えていた。
「Fランクとはいえ、ダンジョンはダンジョン。お前たち、気を引き締めていこう。」
ここは学園の訓練場ではない。
命が、あまりにも軽く消えていく場所なのだ。
僕たちは再び歩き出した。
その背中に、氷山からの吹き下ろす冷風が、まるで警告のように強く突き刺さった。
下層で遭遇した氷の魔獣たちを、僕たちは危なげなく退けていた。
魔石の恩恵もあり、僕の『紅炎の一槍』は冷気を切り裂き、敵を確実に葬っていた。
全滅したパーティーを埋葬した時のあの重い決意が、僕たちの動きをより鋭く、無駄のないものに変えていた。
「あんな無残な姿にはならない」という強い意志が、僕たちの連携を一段上のレベルへと引き上げていたんだ。
しかし、中層へと足を踏み入れた瞬間、空気の「質」が変わった。
「……なんだ、この圧迫感は。」
ゼノが顔をしかめる。
そこは、巨大な氷の柱が乱立する広大な空間だった。
轟音の足音とともに、巨大な影が立ち上がる。
全身が半透明の硬質な氷で形成された、中層のゴーレム系モンスター『凍土の巨像』だ。
その巨体が動くたびに、地面の氷が悲鳴を上げるように激しく震える。
「ガルス、行くぞ! ティア、最大火力で焼き払え!」
ゼノの指示に合わせ、僕は魔石を握りしめた。
「全部、溶かしてやる。炎魔法、紅炎の噴火!!」
僕が放った紅蓮の劫火が、ゴーレムの足元から一気に噴き上がった。
しかし、激しい蒸気が収まった後、そこに立っていたのは……表面をわずかに濡らしただけの、無傷のゴーレムだった。
「嘘だろ……。魔石まで使った僕の火が……相殺された?」
信じられない光景に、思考が一瞬停止する。
「紅炎」は僕の誇りであり、復讐の唯一の手段。
それが、まるで雪に落ちた小さな火種のように、ただの「ぬるい風」のように扱われたのだ。
「ティア、下がれ! こいつに炎魔法は効果ない!」
ゼノの指示でティアが下がるが、ティアに向かってゴーレムが巨大な氷の腕を振り下ろす。
「させないわ! 氷魔法、氷結の鎖!」
シエルが放った氷の鎖が、同じ属性を持つゴーレムの関節に絡みつき、その動きを数秒だけ封じ込めた。
「うおおおおおっ!!」
その隙を突き、ガルスが咆哮と共に肉薄する。
重厚な盾の縁を叩きつけた一撃が、ゴーレムの胸部を粉々に砕いた。
露出したコアに向け、ゼノが魔法を放つ。
「雷魔法、雷神のいかずち!」
雷鳴がとどろき、ゴーレムのコアを砕いた。
崩れ落ちる氷の巨塊。
勝利したはずなのに、僕の心には冷たい敗北感だけが残っていた。
「……ハァ、ハァ……。なんて硬さだ。ティア、顔色が悪いぜ。大丈夫か?」
「……ああ、なんとかね。」
ガルスの気遣いに、僕は曖昧に頷く。
火が通らない。
それは、同様の敵に対しては、僕が「兵器」としての価値を失うことを意味していた。
「復讐」という二文字が、指先からこぼれ落ちていくような恐怖が僕を支配する。
そんな僕の焦りを見透かしたように、フェイが僕の顔を覗き込んできた。
「ティアくん、落ち込まないで! 炎が足りないなら、もっと強くすればいいんだよ。」
「強くする……?」
「そう! 私の風魔法で、ティアくんの炎に酸素を送り込むの。火力を強制的に引き上げる『合体魔法』だよ。……ねえ、上層に向かう道すがら、試してみようよ!」
僕たちは中層を突破した後、上層の比較的安全な広場へ着いた。
「いくよ、ティアくん! 風魔法、増幅の疾風!」
フェイが杖を振ると、僕の放った『紅炎の一槍』に向かって一点集中の突風が吹き付けられた。
「……ッ!?」
風を受けた炎が、瞬時に青白く輝くほどの超高熱へと変貌した。
それは氷の壁を一瞬で蒸発させ、分厚い氷塊を豆腐のように切り裂いていく。
今まで見たこともない、純粋な「破壊の熱」がそこにはあった。
「これだ……。これなら、さっきのゴーレムだって!」
「うん! 私たちの力を合わせれば、どんな氷だって溶かせるよ!」
フェイの明るい声に、僕の胸の奥で燻っていた火が再び灯った。
一人でダメなら、仲間と届かせればいい。
その当たり前のことが、今の僕には何よりも救いだった。
僕たちは上層の偵察を行った後、一度学園へ戻り、次なる戦い――最深部の『氷竜』との決戦に向けて、戦術を練ることにした。
「ティアの紅炎の一槍とフェイの増幅の疾風による合体魔法、『紅炎の暴風』。これが俺たちの切り札だ。」
ゼノがノートに描かれた陣形を指差す。
「ティアとフェイが最大火力を放つには、数秒の溜めが必要になる。その間、俺とガルス、シエルで氷竜の猛攻を食い止める。ミア、お前は全力で二人の魔力を底上げしてくれ。」
「……うん、やってみる。二人を、強くする歌を歌う。」
ミアが小さく、けれど力強く頷いた。
その瞳には、上層で死を目の当たりにした時のような怯えはなく、仲間を信じる強い光が宿っていた。
夜。
リナが自室のお風呂から上がってきて、ティアが書いている日記に手を伸ばす。
「……合体魔法、『紅炎の暴風』。合体魔法とは面白わね。」
寝落ちしているティアに毛布を掛けてあげ、自分は別途に横たわった。
「合体魔法。私にもそんな相棒がいたらなー。」
悲しげにティアのほうを向いてつぶやいた。
その呟きは、誰にも届くことなく暗い部屋に溶けて消えた。
翌日。
僕たちは再び『氷竜の住処』へと足を踏み入れた。
上層、中層を突破するスピードは前回を遥かに凌駕していた。
フェイの風を纏った僕の炎は、行く手を阻む氷壁を瞬時に蒸発させ、最短距離で最深部へと到達する。
最深部――そこは、空気が凍りついてダイヤモンドダストが舞う、巨大な氷の空洞だった。
奥に鎮座していたのは、透き通るような青い鱗を持つ、『氷竜』。
氷竜が蒼き瞳を開いた瞬間、空間全体の温度がさらに数度下がった。
凍てつく殺気が、肌を突き刺す。
「来るぞ! 散開ッ!!」
ゼノの叫びと同時に、氷竜が咆哮を上げた。
それは物理的な衝撃波となって僕たちを襲う。
「ガハハ! 竜相手に引いてられるかよ! 獣魔法、不屈の咆哮!!」
ガルスが盾を構え、竜の吐き出した極低温のブレスを正面から受け止める。
盾がみるみる凍りついていくが、ガルスは一歩も引かない。
「俺が盾だ!」と言わんばかりの咆哮が、洞窟を震わせる。
「シエル、足元を固めろ! ティア、フェイ、準備しろ!」
「分かっているわ。氷魔法、氷結の鎖!竜相手じゃ長くはもたない!急いで!」
シエルが竜の足元を氷で拘束し、動きを制限する。
しかし、竜も黙っておらず、凄まじい力で次々と氷の鎖を引きちぎる。
「いくよ、ティアくん!」
「ああ、頼む、フェイ!」
僕は懐の魔石を握りしめ、全魔力を右手に集中させた。
フェイが僕の背後に回り、杖を高く掲げる。
「二人を強化する。狂歌魔法、英雄の凱歌!」
ミアの歌声が響き渡り、僕たちの魔力量が増加する。
「くらえ雷撃!今だ、放てッ!!」
ゼノの雷撃が竜の視界を奪ったその瞬間。
「炎魔法、紅炎の一槍!」
「風魔法、増幅の疾風!」
「「合体魔法――『紅炎の暴風』!!!」」
僕の放った『紅炎の一槍』に、フェイの『増幅の疾風』が重なり、巨大な炎の渦となって螺旋を描いた。
それはもはや炎ではない。氷の絶対零度を強引に塗りつぶす、白熱の熱線だった。
「グォォォォォォッ!!!」
氷竜の悲鳴が氷の空洞に響き渡る。
熱線は竜の強固な鱗を焼き、その肉体へと深く突き刺さった。
閃光が収まったとき、そこには首を大きく焼かれ、力なく倒れ伏す氷竜の姿があった。
「……やった、のか?」
ガルスは冷えた盾を地面に下ろす。
静寂が戻った氷の空洞で、僕たちは互いの無事を確かめ合うように視線を交わした。
一人では決して届かなかった火力が、仲間との連携によって奇跡を起こしたのだ。
「これが合体魔法の威力。」
「ティアくん、すごかったね……!」
フェイがふらつきながらも笑顔を見せる。
「……ああ。君のおかげだよ、フェイ。フェイのおかげで氷竜に勝ったんだよ。」
火が通らない敵がいるなら、誰かと共にその壁を壊せばいい。
復讐のために「兵器」になろうとしていた僕の心に、仲間という名の確かな「熱」が刻まれた瞬間だった。
だが、崩れ落ちた氷竜の背後。
その奥にある、さらに深い闇から――何かが僕らを見ていた。
蒼き光を放つ、無機質な「機械の目」が、僕たちの戦いを冷静に観察していた。




