魔法ならざる咆哮(マジックレス・ロア)
学生寮の朝。
「……おい。いつまで寝ている。さっさと起きろ、ティア。」
至近距離からの声に薄目を開けると、そこには既に完璧に男装を整えたリナが立っていた。
彼女の手には魔法杖が握られ、その先端が正確に僕の鼻先を指している。
「……おはよう、リナ。その杖、危ないんだけど。」
「私のことは、学園内ではアルヴィスと呼びなさい。……昨日のことは、脳細胞ごと焼き切って忘れることね。わかったらさっさと準備しろ。遅刻は万死に値するわよ。」
リナは吐き捨てるように言うと、僕を置いて部屋を飛び出していった。
足早に去る彼女の耳の付け根が、少しだけ赤くなっているのが見えた。
僕は溜息をつきながら、支給された安っぽい制服に袖を通す。
鏡の前で、首元に提げた『秘宝』を制服の奥へとしまい込んだ。
冷たい金属の感触が、僕に「ここへ来た理由」を思い出させる。
昨日パーティーを組んだガルスたちは、自分たちよりも上の上位クラスへと散っていった。
Fクラス、それも最下層の「F4」に配属されたのは、僕とフェイだけだ。
学園は徹底した階級社会だった。
Sクラスはわずか6人の精鋭が4組。
対して僕たちのFクラスは、30人4組。F1からF4まで、数字が大きくなるほど「将来のない落ちこぼれ」として扱われる。
クラス替えは常に行われ、優秀さを見せつけることで上位クラスになることができる。
つまり、ここから這い上がるには、実力で証明するしかない。
F4クラスの教室に入ると、そこには淀んだ空気が漂っていた。
窓から差し込む光は弱く、並べられた机はどれも傷だらけだ。
「チッ、なんだよ。騎士団長のコネ野郎が同じクラスかよ。」
「推薦の癖にF4とか、よっぽど無能なんだな。そういってる俺も無能だけど...」
教室内には、家柄だけを誇る没落貴族や、やる気のない不貞腐れた生徒たちが溢れている。
「ティアくーん! こっちこっち!」
唯一、フェイだけが明るい声で僕を手招きしてくれた。
「フェイ、一緒のクラスでよかったよ。」
「フェイも嬉しい! でも、他のみんなはDとかCクラスに行っちゃったんだって。寂しいけど、フェイたちも頑張らなきゃね!」
フェイの無邪気な笑顔だけが、この薄暗い教室で唯一の光に見えた。
そこへ、講師の男が入ってきた。
「着席しろ、クズ共。私はF4の担任、マルスだ。お前たちがゴミなのは知っているが、最低限の魔法知識・技術だけは叩き込んでやる。よりよい教育を受けたくば努力し、その惨めな才能を磨くことだ!」
厳しい言葉だが、その瞳には他の貴族生徒のような蔑みはなく、真剣に教えようという意志が感じられた。
だが、マルス教官の視線はすぐに僕で止まった。
「……ティア・アドラス。お前には注目している。団長の推薦が『本物』か、あるいはただの『温情』か、今日の訓練で見せてもらうぞ。」
教官の鋭い眼光。僕は何も答えず、ただ静かにそれを見つめ返した。
授業の一環として、クラス内で6人パーティを組むことになった。
僕とフェイの他に加わったのは、4人の生徒。
「俺はカイゼン。魔法なんて面倒なだけだ、適当にやるぜ。」
やる気のない表情で椅子にふんぞり返る男。
「私はルナ。あーあ、なんで私がこんなクラスなの……。推薦のあんた、足引っ張らないでよね。」
常に不機嫌そうに爪を磨く女。この二人は僕を見て、隠そうともしない敵意を剥き出しにしている。
「あ、僕はソフィ。よろしくね。」
「俺はバッシュだ。まあ、仲良くしようぜ。」
頼りなげな少年ソフィと、覇気のないバッシュ。
この二人は敵意こそないが、どこか全てを諦めたような目をしていた。
結局、僕とフェイ以外はまともに作戦を立てる気すらなさそうだった。
「ねえ、ティアくん、どうしよう……。フェイたち二人だけのパーティーみたいになっちゃってるね。」
「大丈夫だよ、フェイ。ガルスたちがいなくとも、二人で何とか乗り越えよう。……僕には、止まっている暇なんてないんだ」
そんな僕たちのパーティに、ニヤニヤと近づいてくる一団があった。
「おい、推薦野郎。推薦を受けたくせに最下位のクラスかよ。」
F1クラスの連中だ。同じFクラスでも、最上位の彼らは自分たちを特権階級だと思い込んでいるらしい。
「今はそうでも、すぐにSクラスまで上り詰めるさ。」
「ハッ、大見え切りやがって! 身の程をわきまえさせてやるよ。 マルス先生、今回の訓練はパーティ内の連携ですよね。実戦のほうが連携が体で分かると思います。模擬戦の許可をください!」
マルス教官は不敵な笑みを浮かべ、手に持っていた教本を閉じた。
「面白い。実戦に勝る訓練はないからな。……ティア・アドラス、お前に拒否権はない。F1チームとの模擬戦を許可する。他の4人はどうする?」
「俺はパスだ。怪我したくないしな。」
カイゼンが欠伸をしながら壁際へ移動すると、ルナたち3人もそれに続いた。
「勝手にやれば? 推薦組の実力とやら、見物させてもらうわよ。」
ルナの冷たい言葉に、F1チームのリーダー格の男が鼻で笑った。
「ハッ、味方からも見放されたか。……行くぞ、お前ら! 魔法の格の違いを教えてやるぞ!」
「模擬戦開始!」
マルス教官の号令とともに、演習場の空気が跳ねた。
「フェイ、下がれ! 攪乱を頼む!」
「了解だよ、ティアくん! 吹き荒べ、風精霊魔法、そよ風!」
フェイが小さな杖を振ると、演習場に決して強くないが風が巻き起こる。
その風が地面の砂を巻き上げ、相手パーティーの視覚を奪った。
「くそ、目に砂粒が入って目が開けない。みんなあいつらがいた方向にとりあえず攻撃しろ!」
F1チームは僕たちに向かって、とりあえず攻撃してきた。
「危ないっ!」
とフェイが声を上げるが、僕は既に動いていた。
視界が塞がり、闇雲に放たれた火球や氷弾は、僕にとって止まっている標的と同じだ。
砂煙に包まれた演習場に、激しい魔法の炸裂音が響く。
しかし、そのどれもが僕たちの影を捉えてはいない。
焦ったF1チームの魔法は、目隠しをされた子供の空振りのように虚空を切り裂くだけだ。
(――今だ。)
一人が孤立した瞬間、僕は脚部に魔力を流し込み、低く、獣のような姿勢で加速した。
「な、なんだ!? 何かが横を通ったぞ!」
「ぐはっ!」
孤立した生徒の真後ろに、僕は音もなく滑り込んだ。
驚愕に振り返ろうとする彼の首筋へ、正確に手刀を叩き込む。
「一人目。」
短い宣告とともに、彼は声もなく崩れ落ちた。
「おい、どうした!? 返事をしろ!」
仲間の気配が消えたことに気づいた別の生徒が、恐怖で火球を乱射する。
その火光が砂煙を照らした一瞬、彼は僕と目が合った。
復讐の炎を宿した、冷徹な僕の瞳と。
「ひっ……!」
「二人目。」
怯んだ隙を逃さず、僕は彼の懐に飛び込み、鳩尾へ掌底を叩き込んだ。
魔法を練る間もなく、彼は胃の中のものをぶちまけながら膝をついた。
「風よ、もっと舞って! フェイのそよ風は、弱いけどこの密閉空間ならそこそこ役立つんだから!!」
フェイがさらに杖を回すと、砂煙は意志を持っているかのようにF1チームの周囲に密集し、逃げ場を奪う。砂と風の檻の中で、彼らはパニックに陥っていた。
だが、F1チームもただやられてばかりではない。一人が風の合間にフェイの姿を捉えた。
「くそっ、この風の元を叩いてやる。水魔法、ウォーターニードルズ!」
針のような水がフェイに向かって飛んできた。
「ティアくん、ごめん! いったん解除して回避する!」
フェイは何とか回避に成功したが、維持していた魔法が解け、ゆっくりと砂塵が晴れていく。
それにより、僕たちの位置が露呈してしまった。
「そこにいたのか、この羽虫が! 全員、一斉に狙い打て!」
残る4人が怒りに顔を歪め、一斉に僕とフェイへ杖を向けた。
火、水、土、雷、複数の属性魔法が、逃げ場のない弾幕となって押し寄せる。
「フェイ、僕の後ろに!」
フェイは僕の髪の中に隠れた。
本来なら、防御魔法を展開すべき場面。
だが、僕の内に渦巻く魔力は、そんな静かな形を拒んでいた。
(守るんじゃない……すべて、壊すんだ。)
首元の『秘宝』が、心臓の鼓動に合わせてドクンと脈打つ。
『…………消えろ。』
突如として『秘宝』から魔法ではない何かが放出され、F1チームの攻撃を無効化した。
静寂が訪れる。僕はこの機を逃さず、残っていたF1チームに攻撃を仕掛けた。
「炎魔法、紅炎の噴火!」
F1チームの足元が赤く光り、燃え盛る炎が噴出した。
砂埃の先に立っていたのは、息一つ乱さない僕と、僕の腕の中で目を丸くしているフェイだけだった。
「……嘘だろ、一瞬で……」
燃え盛る炎が収まった演習場には、煤けた顔で気絶したF1チームの4人と、最初に倒した2人が転がっていた。
かつて彼らが誇っていた「魔法の格」など、そこには微塵も残っていない。
「て、ティアくん……すごかったよぉ……!」
僕の髪からひょこっと顔を出したフェイが、目を白黒させながら感嘆の声を上げた。
僕は高鳴る鼓動を抑え、熱を帯びた首元の『秘宝』を服の上からそっと押さえる。
今の力……魔法じゃない。あれは一体何だったんだ。
演習場は、しんと静まり返っていた。
自分たちをゴミのように嘲笑していたFクラスの生徒たちは、今や言葉を失い、僕を『別の世界の怪物』を見るような目で見つめている。
敵意を剥き出しにしていたルナは、磨いていた爪を止めて震えており、カイゼンはふんぞり返っていた椅子からずり落ちそうになっていた。
「そこまでだ。」
マルス教官の声が、凍りついた空気を切り裂いた。
彼は倒れた生徒たちを一瞥もせず、真っ直ぐに僕の前に歩み寄る。
「ティア・アドラス。お前、今のは『魔法』ではないな。その首に下げているものが何かをしたみたいに見えた。団長が執着する理由が、少しだけ理解できた気がする。」
「確かにこれが何かしたみたいですが、僕の実力は本物です。」
「まあいい。勝者はティアとフェイだ。お前たちには、後で別の『課題』をやる。F4の枠に収まるつもりはないのだろう?」
マルスの不敵な笑みに、僕は無言で頷いた。
その日の放課後。
寮の自室に戻ると、そこには不機嫌そうな顔で書類をめくるリナの姿があった。
「……聞いたわよ。F4の癖に、演習場をボロボロにしたんですってね。」
「耳が早いな。」
「エルフの耳は長いからね。……それでどうなったの? その先の結果までは届いていないわ。」
リナは書類から目を離さず、素っ気なく問いかけてきた。
だが、その指先がわずかに止まり、僕の答えを待っているのがわかる。
「異例だけど、今日一日でF1クラスに昇格したよ。フェイも一緒だ。」
リナの手が止まった。
彼女はゆっくりと顔を上げ、驚きを隠すように少し目を細めて僕を睨む。
「……F4からF1へ昇格? マルス教官も、案外焼きが回ったのかしら。それとも、あなたのその『野蛮な力』を認めざるを得なかったということ?」
「さあね。でも、これで少しはSクラスに近づけたはずだ。」
「……ふん。せいぜい調子に乗らないことね。F1なんて、私からすればまだ地上を這いずり回っているようなものだわ。……でも、まあ、おめでとうくらいは言ってあげてもいいわよ。……小声でならね。」
リナは再び書類に目を落としたが、その横顔には、同室の「友人」が少しだけ頼もしくなったことを喜ぶような、微かな変化があった。
復讐のためへの次のステップ。
まだ道は遠いが、僕は確実に、復讐のための道を歩き出している。




