44 心になってよ
ドロシーが創設した魔法で造られた人間研究所は、アメリカのダンバースという町にあった。
表向きには、オズ魔法協会の管轄下にある高度魔法研究機関だった。
魔法で造られた人間研究所と呼ばれてはいたが、それはかつての名残りであり、実際に魔法で造られた人間がつくられていたのはもう百年以上も前の話であると。
原初の魔女がいまもまだ生きており、現役でその施設の責任者を務めていること。
施設内で生み出されているのが、オズの十戒で禁忌とされているはずの魔法で造られた人間であること。
協会はその事実を把握しながらも、ドロシーがすることだからと黙認し、不干渉を貫いていること。
すべてが事実でありながら、すべてが噂に過ぎず──というより、噂以上のものにしてはならないという暗黙の了解が昔から町にはあった。
住人たちにとって、その場所はけっして足を踏み入れてはならない禁域。
書物や輪廻の話からそういった知識を事前に得ていた廻ではあったが、実際に研究所を訪れたのはそのときが初めてだった。
「ここにいる者のほとんどはオマエと同じ魔法で造られた人間だ。ふつうの人間は五名。職員として私の研究を手伝っている、それなりに優秀な魔法使いたちだよ」
前を歩くドロシーが軽快な口調で言った。
歩調に合わせて静かに揺れる彼女の赤髪を見つめながら、何も言わずに廻はその後に続く。
「いまいる魔法で造られた人間は全部で六十二体。どれもこれも私の理想とは程遠いできそこないでな」
「そんな言い方……」
「事実なんだからしかたないだろう? それに、私のこれは彼らに対する悪口じゃない。いつまで経っても完璧な人間を生み出すことのできない私自身への罵倒と戒めだよ」
無機質な白い廊下に二人分の足音が響いていた。
ドロシーの言葉に何と返していいかわからないまま歩いていた廻だったが、自動で開いた前方のドアから出てきた一人の子供を見て、わずかに目を見開いた。
十歳くらいの見た目をした、髪の長い少女だった。
ワンピースのような形をした白い検査服に身を包み、細い両手に分厚い本を抱えた彼女は、機械のように真っ直ぐな足取りで廻たちの向かい側から歩いてきた。
生気のない目。能面のような無表情。
感情がごっそりと抜け落ちたような顔で前だけを見るその少女は、廻たちの存在になどまるで気がついていないかのようにただ廊下を進んでいく。
彼女とすれ違うその瞬間。
廻の頭をよぎったのは、死ぬ直前まで一度も笑顔を見せることのなかった、自らの創造主の姿だった。
「輪廻を思い出したか?」
廻の心を読んだかのように笑い、ドロシーが立ちどまる。
「オマエ以外の魔法で造られた人間だとあれがふつうだよ。感情というものを一切持たない魔力の傀儡。他人にも自分にも興味がなく、話しかければ反応するが、返事はぜんぶ機械的だ。ただの人形の方がまだ愛嬌があるというものさ」
やれやれ、と大げさに肩をすくめるドロシーの前で廻は黙った。
逡巡し、やがて静かに彼女に問う。
「……僕は、ここで何をすればいいですか」
ドロシーの赤い瞳がぱちりと瞬く。
なんだそんなことか、とでも言いたげな表情だった。
「べつに何もする必要はないさ……と言いたいところだが、定期的な身体検査と魔法のテストには協力してもらうことになるな。オマエの身体や魔力から“完璧な人間”のヒントが得られるかもしれん」
「……」
「あとは、そうだな。ここにいる魔法で造られた人間たちの相手をしてやってくれ。同種との交流で感情が芽生える個体がいないともかぎらないから」
そう言ってくるりと自分に背中を向け、再び廊下を歩き出したドロシーを見て廻は戸惑う。
彼女はなぜ自分をここに連れてきたのだろう。
廻の身体を調べたいなら調べればいい。そのあとで殺される覚悟はしてきた。
だが、ドロシーの口振りはまるで廻に「オマエはここでふつうの人間のように生活しろ」と言っているように思える。
意味があるのだろうか。
定期的な身体検査と魔法のテストがどのようなものかは知らないが、そんなことが本当に彼女にとってメリットになるのか。
わからないことだらけだった。
**
「私はしばらく研究所を離れる。あとのことは職員にでも聞いてくれ」
ドロシーは気まぐれだ。自由奔放、食えない性格とはこういうことを言うのだろう。
世界中を転々とし、一つ所に留まらない生活を送っているという噂はどうやら本当だったらしい。
廻を置いたあと、彼女はすぐ研究所を出て行った。
自分が連れてきた子供が逃げる可能性など、微塵も考えてはいないようだった。
(……逃げたところで、僕には行く場所なんかない。それをドロシーはわかってるんだ)
施設にいる魔法で造られた人間たちは、皆あくまでふつうの人間と同じように生活していた。
睡眠をとり、食事をし、排泄をする。
一般の子供と同様の教育を受け、教養と常識を得る。
その中でドロシーが求める“完璧な人間”としての自我が生まれることを期待されているのだ。
寝室として廻に与えられたのは、机とベッドしかない白く簡素な個室だった。
殺風景だが、輪廻と暮らした隠れ家の寝室よりずっと広い。
慣れないな、と廻は思った。これから先、慣れる日がくるのかどうかもわからない。
廻には未来がなかった。みえなかったのだ。
唯一の救いは、部屋の近くに図書室があることだった。
輪廻が生きていた頃も、廻は常に本ばかりを読んで過ごしていた。
魔法で造られた人間である廻にとって、読書は世界を知る限られた手段の一つだったから。
(──読んだことのないものをさがそう)
確固たる目的もなく、それでも微かな希望を求めて足を運んだ図書室は薄暗く、他に人はだれもいなかった。
ふらりと中に入り、いちばん手前の棚に並ぶ分厚い本に手を伸ばす。
その背に指先が触れた瞬間、廻の背後でかたりと戸が軋む音がした。
「──やあ。君が廻かい?」
廻は息をのみ、反射的にその声がした方を振り返った。
開いた扉の前に、廊下の光を背にしたひとりの少年が立っていた。
赤い月の夜を彷彿とさせるような緋色の瞳。
さらりとした瑠璃色の髪の毛。
陶器のように滑らかな白い肌。
上下揃いの白い検査服を着た端正な顔立ちのその少年は、唖然とする廻の顔をまっすぐに見つめ、驚くほど穏やかな笑みを浮かべていた。
──君はだれ?
そう声に出そうとしたが失敗した。
代わりに廻の喉を震わせたのは、直後に起きた不意打ちのようなできごとだった。
「ふーん。これがドロシーのお気に入りの人間が完成させた、完璧な魔法で造られた人間?」
「ひっ」
耳元で突如として響いた声。
背後に現れた人の気配と、肌をくすぐる温かな吐息にぎょっとして、廻は思わずその場を飛び退く。
ばくばくと心臓を鳴らし、耳を押さえながら振り向くと、本棚の前に廻よりも背の低い子供がいた。
可憐な容姿の少女だった。
くるりと丸い緋色の瞳に、白い肌に影を落とす長い睫毛。
肩より短い瑠璃色の髪の毛の左側を、ウサギの形をしたヘアピンで留めている。
最初に廊下ですれ違った少女が着ていたものと同じ、ワンピース状の白い検査服の裾を揺らして彼女は笑った。
もう一人の少年が浮かべるやわらかな笑みとはまたちがう、お気に入りの玩具を見つけた子供のような無邪気な笑みだった。
「だめだよβ。あんまり彼を怖がらせちゃ」
「わかってるって。だって、この子が私たちが人間になるための鍵になるかもしれないんでしょ?」
だったら嫌われるわけにはいかないし、と。
踊るような足取りで廻の横をすり抜け、少女は少年の隣に立った。
並んでいる姿を見ると一目瞭然だ。彼らの顔はよく似ていた。
双子だろうか、と混乱する頭のまま廻は思う。
「──驚かせてごめんね。初めまして。僕はα。彼女はβだ」
どちらも被験体としての識別番号で、正式な名前ではないけど。
そう言ってにこりと笑い、少年は廻に一歩近づいた。
「僕らは君と同じなんだ」
「……同じ?」
「そう、同じ。罪によって生まれた子供。僕らに求められているのは、完璧な人間になることだけだ」
妖しく細められた緋い目が、驚きから言葉を失う廻の顔を下から覗いた。
「……けど、うん。いいね。──ねえ廻」
値踏みするように廻の顔を見つめたあと、さわやかな声を発して少年は姿勢を正した。
自分よりもわずかに背の高い彼の前で、廻はぱちりと目を見開く。
「君が僕らの心になってよ」
邪気のない、人好きのする笑顔のまま少年は廻に言った。
その後ろに立つ彼と同じ顔をした少女が、兎のような緋い瞳を愉しげに輝かせた。




