40 ヤバい女か
「電波が遮断されてる。どこにも連絡が取れないようになってるわ」
「救急車も警察も呼べないじゃん! どうしよう……!」
一向に切り替わらないスマートフォンの通話画面から視線を外し、撫子は隣にいるクラスメイトの蝶野を見た。
意識をなくし、椅子の上でぐったりとする友人の明日香の肩を抱きながら、蝶野は涙目になっていた。
明日香だけではない。
この体育館にいる、撫子たちを除いたすべての人間が気を失って動かなくなっているのだ。
異常事態が発生しているのはまちがいないだろう。
「テロか悪戯かはわからない。けど魔法使いのしわざであることはたしか。この学校全体が異様な魔力に覆われてるわ」
「テ、テロって……ヤバいじゃん! いったいだれがそんなこと。てゆーか、なんであたしらだけ平気なわけ!?」
「魔法に耐性がある人間には効かない、もしくは効果がかぎりなく薄いのでしょうね。このままここにいて私たちが無事である保証もないけど」
廻にも、魔法省に勤める叔父にも連絡したが、何度かけても繋がらない。
いま体育館にいる人々はただ気絶しているだけのようだが、何が起きているのかわからない以上、今後より深刻な事態に発展する可能性も否めないだろう。
自分はいったいどう動くべきか。
そう撫子が思案していると、視界の端に動く人の姿が映った。
ルクスだった。
「オレは廻をさがしてくる」
彼の足は体育館の入り口の方に向いていた。
口調は冷静だが、心配なのだろう。
一人で出て行こうとする少年の背中に、撫子が呼びかけようとしたときだった。
──ガン、と。
天井から金属がひしゃげるようなけたたましい音が響いた。
「ルクスくん、上!」
撫子が声を上げるのと、はっと目を見開いたルクスがその場を飛び退くのは同時だった。
すたんと床に着地するルクス。
ほんの数秒前まで彼がいた場所から、シュウと白い煙のようなものが噴き上がっている。
撫子は目をみはった。そこに鎖が突き刺さっていたからだ。
銀色の光を放つ太い鎖。見覚えがある。
廻が幹枝と対峙したときに使っていた、魔法の鎖と同じものだ。
「──いい反応だ。魔力感知の能力が高いようだな」
上空から抑揚のない声が聞こえた。
次の瞬間、撫子たちから数メートル離れた場所にタンと降り立つ何者かの影。
体育館の天井には穴が空き、少し前までの晴天とは打って変わった鼠色の曇り空が覗いている。
天井からぱらぱらと瓦礫が落ちる中、たったいまその穴から降りてきたらしい人物が、撫子たちを見て先程と同じ平坦な声で言った。
「正直に答えてほしい。君たちは魔法使いのようだが、この状況について何か知っていることはあるか?」
二十代前半くらいの女性だった。
肩より短い真っ直ぐなダークブラウンの髪の毛に、青みがかった灰色の瞳。
白を基調としたローブを羽織り、その右手には先端に灰色の石がついた白い長杖を握っている。あきらかに日本人ではない。
「だ、だれ!? 外人!?」
「協会の白ローブ。魔法使いだな。たぶんドイツ人だ」
知らない人物の登場に慌てふためく蝶野と、翻訳魔法の裏で聞こえる言語から冷静に女性の国籍を見極めるルクス。
三人を代表して相手の質問に答えたのは撫子だった。
「私たちは何も知らない。むしろあなたが何かを知っているなら説明をしてほしいのだけど」
毅然とした態度で発言すると、女性はひとつ瞬きをして、無表情に撫子を見た。
「なるほど。つまり君たちは“蛇”や今回の異端者とは無関係ということか」
「蛇……」
女性の口から出た言葉は撫子にとって聞き捨てならないものだった。
“蛇”。撫子の教育係だった幹枝を誑かし、戒律違反の道に引き摺り込もうとした正体不明の魔法使い。
その人物は、現在オズ魔法協会に指名手配されていると聞いている。
具体的にはどのような捜査が進められているのか。
重要参考人として協会に連れて行かれた幹枝から、何か情報は得られたのか。
魔法省大臣の姪であり、“蛇”の被害者になりかけた阿夜家の娘である撫子ですら、未だ詳しいことは知らされていないのだが。
「すまなかった。並々ならぬ魔力の持ち主の気配を感じたので、敵かと思いつい攻撃してしまった」
ルクスを一瞥した女性がその手にある杖先で床を叩くと、地面にまで食い込むように突き刺さっていた鎖が消えた。
やはり彼女はルクスを狙って先程の一撃を放ったのだ。天井を貫く鋭い鎖の鉄槌を。
「乱暴だな。敵じゃないオレに攻撃が当たってたらどうするつもりだったんだ」
「ふむ、それは考えていなかったな。重ねてすまない」
「……」
「どうやら君の俊敏さに救われたようだ。おかげで無用な人殺しをせずにすんだ。礼を言おう」
「もしかしてヤバい女か?」
「とはいえ……君たちの言葉が本当ならこちらはハズレだったということか」
ならば大きな魔力反応があったもう一つの場所に向かわなければいけないな、と。
顎に手を当てた女性が、さして困ったふうでもなく無感動な声で言う。
──彼女のその言葉を聞いた瞬間、撫子は自身の魔法を発動していた。
「……!」
撫子を中心とした魔法陣が床に描かれると同時に、女性の足元から出現した大量の蔓。
シュルシュルと伸び上がり相手の身体に巻き付いた緑色の蔓は、撫子の固有魔法、花園作成によって生まれたものだった。
「これは君の魔法か。なぜ私を拘束する?」
「私はあなたが何者か知らない。そのローブが本物という確証もない。そんな得体の知れない相手が突然こちらを攻撃してきたのだから、警戒するのは当然だと思うけど」
「なるほど一理ある。だが、君らも魔法使いなら異端者という言葉が何を意味するかは知っているはずだ。それに先程“蛇”という単語にも反応していたな。ならば私の立場についてもある程度は察しているんじゃないか?」
ぐぐ、と腕に力を入れて拘束から逃れようとする女性に向けて片手をかざし、撫子は蔓にさらなる魔力を注いだ。
対象を捕えるための強度を増した魔法の植物に驚いたのか。
ほう、と感心したような声を上げる女性だったが、その表情は能面のように動かない。
「おい。学園の外で魔法を使うのは禁止じゃなかったのか」
「問題ない。私は仮資格を持ってる」
「それは事前に協会に申請することで有効になる権限だろ。申請してきてんのか今日」
「してないけど緊急事態よ。正当防衛。それにいざとなったら叔父さんが庇ってくれるわ」
「お前……」
若干引いたような、呆れたような視線をルクスが向けてきていることはわかっていたが、撫子は気にしなかった。
使えるものは使う。
幹枝の件を通して廻に救われ、長らく真意が読めずにいた叔父と話して。以前よりも鮮明になった視界で周囲を見た撫子が出した結論だ。
有り体に言えば開き直った。
きまりにうるさいあの少年はどのような反応をするだろう。
少なくとも非難はされないような気がするが。
彼が大切にしたいのは、人を守るためのきまりなのだから。
「イカれた魔女には不愛想なやつしかいねぇのか、不愛想なやつがイカれた魔女になるのか……」
神妙な顔で独り言をこぼすルクスを視界の隅に置き、蔓が絡んだ不自由な身体をもぞもぞと動かす女性を撫子は静かに見つめる。
相手の力量からして、この拘束はいつ解かれてもおかしくない。
実際、その予感はすぐに的中した。
身体と共に縛られていた女性の持つ杖先の水晶がきらりと光り、同時に放出された彼女自身の多量な魔力によって、魔法の蔓がばらばらに弾け飛んだのだ。
「なかなかいい魔法だ。日本にも優秀な魔法使いがいるようだな」
「……」
「しかし邪魔をしてもらっては困る。このままではここにいる全員が死んでしまうかもしれないんだ。それともやはり君たちは異端者、もしくはその仲間なのか?」
「!」
撫子は目を見開いた。
背後にいるルクスからも、緊張した気配が伝わってくる。
「ちょっと、どういうこと!?」
近くのパイプ椅子をがたんと倒して立ち上がった蝶野が、顔を青くして女性の方に食ってかかった。
「この学校に“蛇”に唆された異端者がいると情報が入った。別件でちょうど日本に来ていた私たちが協会から要請を受け、対象を捕縛しにきたというわけだ」
白いローブについた蔓の残骸を払いながら、文字を読み上げる機械のような声で女性は言う。
「幸いなことにまだ違反には至っていないようだがな。対象がいる可能性のある他の場所には私の弟が向かっているが、あれは少々暴走しがちなところがある。心配なのでできるだけ早く合流したい」
自分が空けた天井の穴に視線を遣り、彼女は淡々と言葉を続けた。
「今回の異端者は、オズの十戒第十条に背いて死者の蘇生を行おうとしている危険人物だ」
撫子、ルクス、蝶野の三人は一斉に息をのんだ。
そのとき撫子の頭をよぎったのはあるひとりの少女の姿だ。
黒い三つ編みの、眼鏡をかけたこの学校の生徒。
一ヶ月前に父親を亡くしたという、廻が憧れた元風紀委員長。
「私は異端審問官のグレーテ・エアハルト。君たちが悪い魔法使いでないというのなら、最悪の事態を防ぐためどうか協力してくれないだろうか」
青を宿した灰色の瞳がきらりと光った。
彼女が持つ長杖の先端についた、灰色の魔法石と同じように。




