39 僕も異端審問官なので
異端審問官。
オズの十戒に背いた人間に裁きを下し、罰を与える最強の魔法使い。
多くの魔法使いが恐れる異端審問官──通称トトは、原初の魔女ドロシーによって直々に任命される。
現在、世界に存在するトトは全部で六人。
トト同士の交流はなく、全員が一堂に会する機会が与えられることもない。
廻が知る異端審問官はただひとり。九年前、廻の目の前で輪廻を処刑した人物だけだ。
(この人が、僕と同じトト……)
だから廻は驚いていた。
自分と同じ役目を持つ人間が突如としてこの桜倫高校に現れたこと。
その目的が、魔法使いではない真島の処刑であるということに。
「いいか。お前も魔法使いなら知ってるだろうが、トトってのは恐ろしい存在なんだよ。そのうえオレは十三歳のときにドロシーに指名されて、それから六年この仕事を続けてる最年少異端審問官。つまり天才だ。他のトトとはレベルがちがう。逆らうと痛い目みるぜ」
「え、えっと……」
「わかったらそこをどけ。オレが用があんのはテメェの後ろにいる女だ。それともテメェはやっぱり“蛇”なのか?」
「ちょっと待ってください……!」
退け、と言われて素直に従えるはずもなく、廻は真島をいっそう自分の背中に隠すようにしてすっと前に身体を出した。
鋭さが増す相手の瞳。
彼はハンスと名乗っていた。
翻訳魔法を使って日本語を話しているようだが、その裏で響く言語はおそらくドイツ語だ。ドイツ出身の青年なのだろう。
「先輩はまだ戒律違反を犯していません。殺す必要はないはずです」
「これからするつもりなんだろうが。疑わしきは罰する。異端者の芽は摘めるうちに摘んどくのがオレらの仕事だ」
「そうかもしれない。でもそれは異端者になるかもしれない人を守るためです。僕らだって誰彼かまわず処刑したいわけじゃないはずだ」
「守るだって? なに言ってやがる。事前だろうが事後だろうが異端者は悪に──……って、は? 僕ら?」
きょとんとした顔で廻を見るハンス。
その頭上には疑問符が浮かんでいるようだった。
「はい。その……僕も異端審問官なので」
わずかな気まずさを覚えながらも廻が答えると、ハンスは大きく目を見開いた。
「は……はあ!?」
結界が張られた空に青年の絶叫がこだまする。
廻の後ろにいる真島も寝耳に水だったのだろう。ちらりと見た彼女の表情にはたしかな驚きが滲んでいた。
「テメェ、くだらねぇ嘘ついてんじゃ……いや、ちょっと待て、まさか……」
しばし動揺した様子を見せるハンスだったが、ふと何かに気がついたように息をとめると、驚愕の眼差しを廻に向け、おもむろに口を開いた。
「少し前……死んだドロシーが報告しにきた。新しいトトを雇って、自分を殺した犯人を捕まえるよう日本に派遣したって」
その新人がお前か、と。
確信と疑念が半々といった調子でハンスが問うのに、廻はこくりと頷いた。
「だからその、彼女のことは僕に任せてもらえませんか。“蛇”の調査は僕も依頼されていますし、ユダの捜索にも関わることなので……」
「……つ、だ?」
「へ?」
「テメェは、いくつだ?」
何歳かって訊いてんだよ、と。
ドスの利いた声で尋ねられ、廻ははてと首をかしげた。
「えっと……十六歳、です」
「十六。……で、お前がトトになったのは」
「十二歳ですね」
「……」
「……」
途端に訪れる静寂。
ぷるぷると肩を震わせて黙るハンスに戸惑う廻だったが、次に発された相手の言葉で、その困惑をより深めることになった。
「最年少は!! このオレだ!!!」
「ええ!?」
ぎろりと睨みつけられた廻はぎょっとする。思わず後ずさりそうになるほどの気迫だった。
「トト最年少は他でもない、このオレなんだよ! テメーみたいな異端者を庇うイカれたクソガキが同業者なんて、認めてたまるか……!!」
「え、ええ……」
「……ぶっ殺す!」
「!」
激昂するハンスの全身から激しい魔力の波動が放たれるのと、彼の周囲にいくつもの魔法陣が浮かび上がるのは同時だった。
それらの中央から出現する鋭い光。
先ほど空から降ってきた銀色の鎖だった。先端に槍の切っ先のような刃物がついた長い鎖だ。
武器でもあり拘束具でもあるそれらが、廻に向かって一斉に牙を剥く。
「……っ!」
「小津佐くん!」
亜空間から杖を取り出し、廻はとっさに強固な防御壁を展開した。
キィン、と高い音を響かせて次々と弾かれる鎖だったが、それだけで終わるほどその攻撃は甘くない。
跳ね返されるたび軌道を修正し、光を反射するその先端が、猛烈なスピードをもって廻を襲う。
縦横無尽に動き回るそれらの鎖は、まるで意思を持った生き物のようだった。
「ま、待ってください! 僕はあなたと戦うつもりは……!」
「最年少の座は譲らねえ!」
「僕を倒しても最年少は変わりませんよ!」
廻が消えれば今いるトトの中ではハンスが最年少になるかもしれないが、彼が十三歳、廻が十二歳でトトになったという事実は変わらない。
そう廻が訴えると、いっそう眉を吊り上げたハンスに「煽ってくんじゃねーよ!」と怒鳴られた。煽ったつもりはないのだが。
「小津佐くん……!」
「……大丈夫です! 先輩は僕から離れないでください……!」
廻に対して怒りをぶつけているように見えるハンスだが、彼の鎖が実際に狙っているのは後ろの真島だ。
透明な壁を突き破ろうとする幾本もの鎖の猛攻を防ぐため、杖を持つ自身の両手に力を込め、廻は魔法の精度を上げた。
表面に入ったヒビを修復し、より硬く、より防御範囲の広い壁を形成する。
「なぜ異端者を庇う!?」
「まだ異端者じゃないからです!」
「戒律を一度でも破ろうとした時点で同じなんだよ……!」
ハンスが杖をなぎ払い、新たに生まれた空中の魔法陣から追加の鎖が出現した。
「トトになんかなってんだ。テメェだって、異端者が憎いだろうが……!」
感情を爆発させるようなハンスの叫び。
風を切りながら真っ直ぐに向かってくる鎖の刃。
その瞬間、廻の脳裏をよぎったのは──
かつて自分の命を生んだ黒髪の女性と、毎晩のように夢に出てくる少年と少女の顔だった。
「……ない」
地面を踏む両足に力を入れ、相手の目をまっすぐ見据えて廻は答える。
「憎くない。憎むわけがない。僕には、彼らの罪を背負って生きていく義務がある……!」
ハンスがはっと目を見開いた。
青が滲んだ灰色の瞳に浮かぶ衝撃と動揺。そして──怒り。
「……っ、ふざけやがって……!」
鎖の攻撃が威力を増す。
それらの刃を変わらず防御壁で弾き返しながら、静かに目を伏せた廻は、自身の魔力を練り上げることに集中した。
ハンスは廻の敵ではない。このまま彼と戦闘になるのは不本意だ。それでも。
「先輩は、僕が守ります……!」
ぺたりと抜けたように地面に座り込み、息を詰めた様子で自分を見上げる真島の視線を背中に感じながら、廻はその決意を口にした。




