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オズの十戒  作者: きのみや
真島文美編
39/41

38 月並みなのね


 晴れた空が灰色に染まっていた。


 曇天とは少しちがう。天候が変わったのではなく、この学校そのものが変わったのだと(めぐる)は気づいた。

 

 魔法による結界が張られている。


 桜倫高校全体を覆うような巨大な結界だ。

 内部の者を閉じ込め、外部から侵入者を阻む魔力の檻。


 おそらく認識阻害の魔法もかけられているだろう。


 結界の外からは普通の状態に見えているので通りすがりの者は異変に気づかず、入ろうとした者は自然にその意思を削がれ、目的を達することなくこの場所から離れてしまう。


 敷地一つを丸ごと異界に変えるような高度な魔法だ。


 本来であれば、プロの魔法使いが数人がかりで時間をかけて構築するのが妥当な結界。


 それが一瞬のうちにこの学校を取り囲んだ。


 当然ながら廻は何もしていない。撫子やルクス、蝶野が関係しているとも思えない。


 だれか他の魔法使いが侵入して何かをしようとしているのだろうか。


 もしそうなら、いったい何を。


(……いやな予感がする)


 漠然とした不安に襲われ、廻はとっさにその場から動き出した。


 真島が去った昇降口の方に向かう。


 すると靴箱の前で倒れている一人の生徒を発見した。


 大丈夫かと声をかけるも返事はなかった。


 はっとして覗き見た近くの事務室では女性職員がデスクに突っ伏して気絶しており、事態の深刻を悟った廻は、どくりと心臓を波立たせる。


 昇降口を出た。

 ごくりと息をのみ、廻は真っ直ぐある一つの場所に向かう。


 大きな魔力を感じた場所、中庭だ。


 結界の発生源となっているだろう、校舎に囲まれたこの学校の中央部にきっとその人物はいる。


「……先輩」


 廻の予想どおり、中庭にひとり立つのは眼鏡をかけた桜倫の女子生徒だった。


 真島文美。廻が憧れた正義の人。


 ドクン、ドクンと壊れそうな音を立てる自分の心臓を無視して、廻は彼女に近づいた。


 真島は背中を向けているので顔は見えない。

 ただ、彼女の様子はあきらかに普通とは言えなかった。


 いまこの学校に張られている結界にはおそらく、内部にいる人間の意識を奪う効果が付与されている。


 真島は魔法使いではない。


 だからおかしいのだ。魔法に耐性がないはずの彼女が、気を失わずにここに立っていることは。


 その全身から、結界と同じ歪な魔力を感じることは。


「──ねえ小津佐くん。魔女ドロシーは言ってたんだよね? “魔法は万能”だって」


 いっそ穏やかともいえる声で真島が言った。


 廻は息をのみ、相手の背中を凝視する。


「ならもっと世界はよくなっていいはずだよね。本当に魔法が万能なら、この世から戦争も、病気も、犯罪も。悪いことは全部なくせるはずなのに」

「それは……」

「知ってるよ。魔法は万能。でも人は万能じゃない。世界を変えるほどの力を持つ魔法使いは、まだこの世に存在しないんだって」


 ドロシー以外は、と真島が呟く。


 廻は返事をしようとしたが、喉が震えてうまく言葉を発することができなかった。


「でも、ドロシーじゃなくたってすごい魔法を使える人はいるんでしょう? ──たとえば、死んだ人を生き返らせる魔法とか」


 廻は目を見開いた。

 呼吸がとまる。地面に足を縫い付けられたように身体が動かず、警鐘を鳴らす頭がずきずきとし痛みを覚える。


「魔法使いにもきまりがあるんだってね。死んだ人を蘇らせる魔法は禁忌で、使ったら処刑されちゃうって」

「……」

「ドロシーは、どうしてそんなきまりをつくったのかな」


 廻は強く拳を握った。そしてゆっくりと口を開く。


 掠れた声で、真島の疑問の答えを返す。


「……命は、儚いからこそ美しいから」


 ドロシー本人が言っていたことだ。

 命に価値があるのは、そこに終わりがあるからなのだと。


 人間は──人間の心は、一度かぎりの生を持つからこそ美しく輝くのだと。


 十戒の第四条、“不老不死になってはいけない”が定められているのも概ね同じ理由である。


「へえ、意外と月並みなのね。もっと面白い理由があるのかと思った」

「面白いって……」

「儚い……そうね、儚かったわ。でも、私はあの父の死が美しいなんて思えない」


 風が吹き、真島の黒髪と制服の裾をさらりと揺らす。


 魔力の波動だった。

 廻の胸を激しくかき乱す、感じるだけで手足が凍ってしまいそうなほど恐ろしい魔力の風だ。


「自然の摂理に反してるのはわかる。けれど、魔法なんてぜんぶそういうものでしょう。だったらなんで人を生き返らせてはいけないの? 理不尽に殺された人を救おうとするのは悪いこと?」

「先輩……」

「気づいたの。きまりは人を守るだけのものじゃないって。──大切なもののためなら、きまりを破らなきゃいけないときもあるんだって」


 真島が振り向く。

 眼鏡に覆われた瞳は虚ろで、うっすらと笑みが浮かんだその表情には生気がない。


 そんな真島がなにかを手に持っていることに廻は気づいた。


 直径十センチメートルほどの、丸みを帯びたガラス細工のようなものだった。


(林檎……?)


 よく見るとそれは果実のような形をしていた。

 林檎を象った水晶の置物、と表現するのがしっくりくる。


 真島はそれを大切そうに両手に包んだ。


 祈るような彼女の仕草に連動するように、内側から光を放つ水晶。


 廻ははっとした。先程から感じる不自然なほどに大きな真島の魔力。


 その発生源は、真島自身ではなくあの水晶だ。


「“蛇”って人にもらったの。これがあれば私でも魔法が使えるって」

「!」


 頭を殴られたような衝撃を廻は受けた。


 蛇。真島はいま蛇と言ったのか。


 オズの十戒に反するよう魔法使いを唆し、異端者を生む謎の人物。

 廻が捜すドロシー殺しの犯人、ユダの関係者とされる存在だ。


 そのような人物が、なぜ真島に近づいたのか。


 いや、それ以上に問題なのは彼女の話が本当なら──“蛇”は魔法使いだけでなく、魔法を使えないはずの一般人にも十戒違反をさせようと企んでいることになる。


「……っ、先輩! だめです! そんなことをしたら──」

「わかってる。トトっていう処刑人に殺されるんでしょう? ……かまわないわ」


 父が生き返るなら、なんでも。


 そう言って笑った真島のまわりでいっそう激しい魔力の風が巻き起こり、その足元に巨大な魔法陣が出現する。


 鮮血のような赤い光で描かれた魔法陣だった。


「……!」



 ドクン、と。廻の心臓が大きく跳ねる。


 ──()()()の記憶が、脳裏をよぎる。


「だめだ先輩! それだけはっ……!」


 いまにも魔法を発動せんとする真島のもとに廻は駆け出す。


 だめだ。だめだ。


 懇願するような思いで手を伸ばした。そのときだった。

 

 きら、と結界の外の空で何かが光った。


 その光が矢のような勢いで自分たちのもとへ飛んでくることに気づいた廻は、防御魔法を発動しながらとっさに真島の腕を掴んだ。


 その身体を勢いよく自分の方に引き寄せる。


 尻もちをついて倒れた真島の前に出た廻は、地面に片膝をつけ、横に伸ばした右手で彼女を庇うような姿勢を取った。


 警戒する廻と、何が起こったのかわからずぽかんと目を見開く真島。


 そんな二人から一メートルほど離れた先の地面に、一本の太い鎖が突き刺さっていた。


 遠い空から真っ直ぐ伸びた、銀色に輝く長い鎖。


 真島を襲った矢のような光の正体だ。

 廻が防御壁(バリア)で弾き返したことで事なきを得たが、直撃していればけっして無事ではすまなかっただろう。


「──おいおい。いまのを弾くとか、テメェいったい何モンだ?」


 ざ、と地面を踏みしめる革靴の音が響いた。


 廻が顔を上げると、見たことのない一人の青年がそこにいた。


 前髪を上げて固めたダークブラウンの短髪に、青みがかった灰色の瞳。


 白を基調としたトレンチコートのようなデザインのローブを羽織り、右手に持った柄の白い長杖を担ぐようにして肩にかけている。


 日本人ではない。

 細身だが身長は高く、若く見えるが確実に廻よりは年上だろう。


 魔法使いだ。それもかなりの実力者。


 彼が羽織っているのは、オズ魔法協会公認のプロのローブだ。階級の高い、限られた魔法使いだけが着用を許される強者の証。


 相手の全身から発せられる、ひりひりと頬を打つような烈しい魔力が、廻にその事実を実感させる。


「その異端者を庇うってことは……テメェも“蛇”の仲間なのか?」

「!」

「それともテメェ自身が“蛇”なのか。──ま、どっちにしろぶっ殺すだけだが」


 廻は目をみはった。背後の真島から息をのむような声が聞こえる。


 この青年は“蛇”のことを知っているのか。


 ──否。

 知っているどころの話ではないのだと、視界の端に映る銀色の鎖を見て廻は思った。


「あなたは……」


 真島を庇う体勢は変えないまま、相手の顔を覗き込んで廻は呟く。


 その問いかけとも言えない小さな声に、茶髪の青年は不敵に笑って答えを返した。


「オレは魔女ドロシーのしもべ、異端審問官(インクイジター)のハンス・エアハルト」


 鋭い眼光が廻を貫く。


「そこにいるオズの十戒第十条の違反者を処刑しにきた。──テメェがだれかは知んねぇが、邪魔すんなら容赦はしないぜ」


 青年の持つ長杖の上部、その先端を飾る玉がきらりと光った。


 持ち主の瞳と同じ、青が混ざった灰色の魔法石だった。

 


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