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オズの十戒  作者: きのみや
真島文美編
38/41

37 だれだよあの女


「めぐっち、戻ってこないねぇ」


 金色に染めた髪の毛の先を指でくるくると弄びながら、さして深刻でもなさそうな明るい口調で、隣に座る蝶野が呟く。


「……そうね」

 

 そう一言で返事をした撫子は、自身の左側──金髪の少女とは反対側の、一つ空いた真横の席に視線を遣った。


 本来そこに座っている予定だった撫子のクラスメイトは、この学校の生徒である眼鏡の少女を追いかけていったきりいまだ戻ってきていない。


 真島先輩、と(めぐる)は呼んでいた。


 彼らの会話の内容からして、彼女こそが廻にとっての憧れの先輩なのだろう。


 オズの十戒というきまりに縛られて生きていた廻に、きまりの本当の在り方を教えたという風紀委員長。


 一ヵ月前に父親を亡くしたという真島は、彼女のことをよく知らない撫子から見てもどこか危うい感じがした。


 大切な身内を亡くす苦しみは撫子にも経験がある。


 三年前、最愛の母を失ったときの絶望を自分は一生忘れないだろう。


 だからこそ、真島の様子に心を痛める廻の気持ちがよくわかった。


 衝動的に飛び出したのだろう。

 小津佐廻という少年は頭がよく、他人の気持ちにも敏感だが、考えなしに突っ走ってしまうことも少なくはない。


(……うまく話せてるといいけど)


 不幸の中にいる人間の思考は泥沼だ。


 他者の言葉に耳を傾ける余裕も、自分の心と向き合う意志もそのときばかりは持ち合わせない。


 良くも悪くもまっすぐな廻との接触が、おかしな刺激を真島に与えないといいのだが。


「おい。だれだよあの女」


 左側から聞こえた不機嫌さを隠しもしない少年の声に、撫子は瞬きをした。


 廻が座る予定の席を挟んだ撫子の又隣。通路側の席に座る銀髪の少年が話しかけてきたのだ。


 ルクス・ピート。

 撫子のクラスメイトで、魔女の家出身のイギリスからの留学生。


 足を組み、制服のポケットに手を突っ込んで腰をかける姿勢は不良のようだが、その見た目はまるでどこかの国の王子のように美しいのだから奇妙なものだ。


 ルクスっちが座るとパイプ椅子でもさまになるね、と蝶野がおかしそうに笑っていたことにも納得がいく。


 そんなルクスが撫子に尋ねた「あの女」が真島をさしていることは明白だった。


「──小津佐くんが、度の合わない眼鏡をかけるきっかけになった人」


 相手の顔を見ず、舞台幕が閉じた正面のステージに目を向けたまま撫子は答える。


 互いに独り言のような会話だった。姿勢も変えず横目で見てくるだけのルクスと、不躾度はおあいこだろう。


「……なるほどな」


 遠回しな撫子の返答にも理解できるものがあったらしい。


 あっさり納得したルクスの様子に些か驚く撫子だったが、彼なりに思うところがあるようだ。


 まともに会話をしたことはほとんどないが、撫子にはわかる。


 彼も自分と同じように、廻に救われた人間なのだと。


「ちょっとめぐっちに連絡してみる? そろそろ始まるし」


 明日香と談笑をしていた蝶野が、ふと思いついたようにそう言った。


 開演まであと十分。廻がどこまで真島を追いかけていったのかは知らないが、このままでは演奏の開始に間に合わない可能性がある。


 それでも、いまは二人のやりとりを邪魔するべきではないのではないか。


「蝶野さん、小津佐くんは──」

「おおっ!?」


 スマートフォンを取り出した蝶野を撫子がとめようとしたときだった。


 体育館が大きく揺れた。


 同時にドンと天井が凹むような音がして、大量に並べられたパイプ椅子の脚が一斉にぎしりと軋む。


 地震にしては短すぎる一回きりの揺れ。


 いったい何が起こったのかと、轟音が響いた天井を撫子が見上げた瞬間。


「ちょ、明日香……!?」


 ドサドサと体育館中で人が倒れる音が響いた。


 バタンと倒れるいくつかの椅子。焦ったように友人の名を呼ぶ蝶野の声。


 見ると明日香はぐったりとうなだれていた。


 長い前髪で顔は隠れ、力の抜けた腕が椅子の横でだらりと垂れ下がっている。


 蝶野が肩を揺さぶるも反応はない。どうやら気を失っているようだ。


「ど、どうしよう……! なんなのこれ、大丈夫!? 明日香……!」


 明日香だけではない。

 体育館にいる人間──撫子とルクス、蝶野を除いた全員が同じ状態に陥っていた。


 歩いていた者や立っていた者は床に伏せ、席についていた者は明日香のように椅子の上でぴくりとも動かない。中には椅子から転がり落ちて倒れている者もいた。


 糸の切れた操り人形よろしく意識をなくした観客たち。


 舞台幕に隠されているので確認はできないが、ステージの上で準備をしていた吹奏楽部の部員たちもきっと同じ状況に見舞われているだろう。


「……何が起こってるの」


 立ち上がり、異様な光景が広がる体育館を見回しながら撫子は眉をひそめる。


 救急車、と狼狽えている蝶野には悪いが、これはそれほど単純な事態ではないと撫子は思った。


「──魔法だな」


 撫子と同様に立って辺りを見回していたルクスが、静かな声で呟いた。

 それは撫子の考えを裏付けるような一言だった。


 魔法。

 そう、魔法なのだ。


 体育館の外から尋常ではない量の魔力を感じる。

 その魔力が館内にいる人間に何かしらの影響を及ぼしていることはまちがいなかった。


 いや、もしかしたらこの場所にかぎった話ではないのかもしれない。

 この学校全体で、魔法が関係する何かが起こっているのだとしたら──


「……廻になにかあったのか?」

「わからない。けどこれは小津佐くんの魔力じゃないわ」

「んなことはわかってる。……どうなってんだ本当に」


 冷静な態度の中にわずかな苛立ちを混ぜるルクスと、気絶した友人の肩を抱きながら不安げに撫子たちを見上げる蝶野。


 三人が無事なのは魔法が使えるからだろうか。


 魔力のない者から意識を奪う魔法が発動されているのだと考えれば辻褄が合う。


 だれがどこで、何のためにそのようなことをしているのかはわからないが。


(小津佐くん……)


 混沌に包まれた状況の中、ここにはいない少年の顔を思い浮かべ、撫子はひとり静かに拳を握る。


 先程から自分の中を巣食う胸騒ぎが、ただの杞憂であることを願いながら。



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