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オズの十戒  作者: きのみや
真島文美編
37/41

36 正しいってなんだろうね


 ──この学校の風紀を乱す行為は、この私、風紀委員の真島(まじま)文美(あやみ)が許しません!


 桜倫高校の入学式の日。


 ひとけのない校舎裏で不良の生徒に絡まれていた(めぐる)を救ってくれたのは、清廉潔白、品行方正を絵に描いたような三年の女子生徒だった。


 真島文美。桜倫高校風紀委員会の委員長。


 桜倫高校で過ごした一ヶ月、真島は廻が最も世話になった人物と言えるだろう。


 生まれて初めて学校という場所に足を踏み入れた廻に、その在り方の片鱗を教えてくれた人だ。


「小津佐くん、どうしてあなたがここに。それにその格好……」

「お久しぶりです先輩。僕いまオズに通ってて。今日は友達に誘われて吹奏楽部の演奏を聴きにきました」


 廻の言葉に真島は驚いたような顔をした。


 無理もない反応だと廻は思う。

 桜倫を去る際に挨拶はしたが、編入先がオズであることを廻は彼女に告げていなかった。慌ただしい移動だったし、詳しく話すには事情が特殊過ぎたこともある。


「そうだったの。……元気にやってる?」

「はい、おかげさまで。先輩はお元気でしたか」

「……ええ。──優香」


 真島に名前を呼ばれた少女が、びくりと肩を揺らして固まった。


「彼をよろしくね。前に言ってた後輩なの。風紀委員会に興味を持ってくれたけど、すぐに転校しちゃった子」

「ああ、なるほど。……って、あんたは観にきてくれないわけ? 私は一応最後の演奏会なんだけど」

「……ごめんなさい。今日は図書室に本を返しにきただけだから。もう帰るわ」

「……そっか」


  わかった、と。

 寂しそうな、それでいてどこか気まずそうな表情で頷く優香。


 校則違反を見咎められたことではなく、真島が演奏会に来るか否かを指摘したことに対して引け目を感じているようだった。


 その気まずさを隠すように、軽口を叩くようなおちゃらけた様子で優香は言う。


「帰るのはいいけどさ、校則違反についてはもういいわけ?」

「悪いことをしたという自覚があるなら、反省文を書くことをおすすめするけど」

「ふつーにいやだし!」

「ならいいわ。……私はもう風紀委員じゃないもの」


 そう静かに言い放ち、くるりと踵を返す真島。

 慌てた様子の優香が呼びとめるも、彼女が振り返ることはなかった。


 その背中を見て廻の中に生まれたのは違和感だった。


 真島はこの学校のだれよりも校則違反に厳しい生徒だ。一ヶ月という短い期間しか彼女と接したことがない廻でもそれはわかる。


 優香とは親しいようだが、だからといって違反を見過ごすような真似はしないだろう。


「……うーん。やっぱり文美があんな感じだと調子狂うな。……しかたないのは、わかってるけど」

「え?」


 憂いを含んだ優香の言葉に首をかしげる。


 そんな廻を見て眉を下げた優香は、こういうのあんまり人に言うことじゃないかもだけど、と前置きをして遠慮がちに話を続けた。


「文美のお父さん、一ヶ月前に亡くなったの。あたりまえだけど、あの子それからずっと元気なくて……私もどう声かけていいかわかんないから、なんていうのかな。歯痒いよ、すごく」


 廻は大きく目を見開いた。

 一ヶ月前、ということは自分がオズに編入した直後だろうか。


 私はもう風紀委員じゃない。


 何かを押し殺したような先程の彼女の声は、父親を失った悲しみから生まれたものだったのだろうか。


「……ごめんみんな。先に行ってて……!」

「え、ちょ、めぐっち!?」


 蝶野の声を背に廻は走った。


 すれ違う演奏会の観客たちに不思議そうな顔で見られたが、気にしている余裕はなかった。



 **



「先輩!」


 体育館から昇降口へと続く校舎の横を駆け、先を歩く少女の背に呼びかける。


 黒い三つ編みを静かに揺らして振り返った真島の顔は、心なしか疲労に満ちているように思えた。


 全身から放たれる焦燥感。周囲との間に壁を築くような雰囲気。


 優香の話を聞いたことによる先入観からそう見えているだけかもしれないが、真島らしくないと廻は思った。


 廻の知る彼女はどんなときも凛としており、眼鏡の下の黒い瞳は、見る者すべての襟を正させるような力強さに満ちていたはずだ。


「小津佐くん? どうしたの」


 立ちどまり、まっすぐ自分を見つめて問いかけてくる真島に廻は口籠った。


 思わず追いかけてきたはいいが、何と声をかけていいかわからない。


 優香から父親のことを聞いたと伝えるのも不躾な気がするし、身内を失った悲しみに寄り添うことがそう簡単ではないことを廻はよく知っている。


 それでも何か言わなければとあせっていると、真島がふっと吐息のような笑みをこぼした。


「びっくりした。まさか小津佐くんが魔法使いだったなんてね」

「え、と……」

「入学してすぐに転校だなんてどういうことかと思ったけど、本当はオズの生徒だったというなら納得だわ」


 何か事情があったんでしょう、と気遣うような目で見られて廻は狼狽した。


 事情があったのは本当だが、その内容を話すわけにはいかないからだ。


「他の学校に行って驚いたでしょう。桜倫(うち)の校則の厳しさに」

「それは……」

「さすがのオズでも靴下の色までは指定しないでしょ? むしろオズだからこそ自由の方が多いんじゃないかしら」


 肩をすくめて苦笑する真島につられるようにして、廻はくすりと笑みを浮かべた。


 彼女の言うとおり、オズの校則は一般的な学校と比べても緩い方だ。生徒の自主性と個性を重んじている、と学園長の箭田は言っていた。


 そこに桜倫の校則を持ち込もうとした自分に変人の烙印が押されるのも無理はない、といまだからこそ廻は思う。


「うちの校則もね、これでも緩くなった方なのよ。私が一年のときはもっと細かいルールがたくさんあったんだから」

「え、そうなんですか」

「そう。変わったは二年前ね。私たちの代が入学して半年経つか経たないかくらいの頃、校則の厳しさに鬱憤を溜めた生徒たちが学校に抗議して、それなりに大きな騒ぎになったの。訴訟を起こそうとする家庭が現れたり、他の都立高校を巻き込んで緊急集会が行われたりして、ニュースにまで取り上げられたわ」


 有名な話だから知ってると思うけど、と言われて廻はうっと声を詰まらせた。


 クラスメイトに話を聞くまで、自分はその事件をまったく知らなかったのだ。


「……ねえ小津佐くん」


 猿飛たちとのやりとりを思い出した廻がひとり顔をしかめていると、わずかに視線を落とした真島が、呟くような声をこぼした。


「正しいってなんだろうね」


 答えを求めているのかもわからない、問いかけというよりは独白に近い言葉だった。


 廻はぱちりと瞬きをし、物憂げに伏せられた真島の顔をじっと見つめる。


「私はずっとうちの校則を正しいものだと思ってきた。厳しい厳しいって言われてるけど、そのきまりができた背景にはきっとそうなるべき理由があったはずだから」

「先輩……」


 きまりというのはみんなのために存在するものだ、という真島の言葉を思い出す。


 オズの十戒。異端者。異端審問官(インクイジター)


 魔法使いの世界の“きまり”に押し潰されそうになっていた廻にとって、彼女の発言は目から鱗が落ちるような新鮮なものだった。


 この世界には、人を守るためのきまりも存在するのだと。


 ──きまりとは、本来そうあるべきものなのだと。


「風紀委員として、この学校の校則の在り方を守りたかった。あんな騒ぎがあったあとでも残った校則には、本当に意味があるのだと思ったから。みんなに煙たがられても、変なやつだと思われてもかまわなかった。正しいと思うことを貫くことが正しいと信じてた。けど──」


 ぐ、と真島がスカートの横で拳を握った。


 何かに堪えるようなその動きとは正反対の、感情がごっそりと抜け落ちたような真島の表情に、廻は息をのむ。


「そのせいで、私の父は殺された」


 ドクン、と破裂しそうなほどの勢いで心臓が鳴る。背中から冷水を浴びせられたような気分だった。


 そんな廻を温度をなくした両目で見つめ、真島は続けた。


「警察官だったの。まっすぐで、正しくて。謹厳実直を絵に描いたような人だったわ。いつだって自分の正義を追い求めてた。警察官になるために生まれたような人って本当にいるんだなぁって思ってた」

「……」

「そんな父を……私はずっと尊敬していた。私が風紀委員になったも、父に憧れてその真似事がしたかったから」


 馬鹿みたいでしょう、と痛々しい笑みを浮かべる真島に、廻は何も言えなかった。


 喉が渇いて声が出ない。腹の底が冷えていくような感覚がする。


「でも、その父はもうどこにもいない。一か月前に死んだの。追っていた特殊詐欺グループのメンバーに、ナイフで刺されて」

「……!」

「刺したのは中学生の男の子だった。半年くらい前から父がマークしてて、無理やり犯罪に巻き込まれてるんじゃないかって心配して、助けようとしてた子だった」

「そんな……」

「逆恨みよ。その中学生、父のことを迷惑な偽善者だと思っていたらしいわ。……自分が守ろうとした子供に裏切られるかもしれないなんて、少しも考えなかったんでしょうね」


 本当に迂闊な人。何年警察官やってたんだか。


 そう言ってうつむく真島の姿に、廻は胸がしめつけられる思いだった。


 自分がこの学校を去ってからの一ヵ月間、彼女はずっとこの悲しみを抱えてきたのだ。


「父にとっての正義はその子にとっての正義じゃなかった。闇から引きずりだすことを正しいと思えるのは、いつだって光の側にいる人間だけ」

「……」

「だから思ったのよ。正しいってなんだろうって」

「……それで、風紀委員をやめたんですか?」


 他に返す言葉が見つからず、廻はただその一言だけを口にした。


 すると真島はわずかに目を見開き、やがて静かに眦を下げ、困ったような声で答えた。


「ちがうわよ、単純に引退しただけ。この時期の三年はみんなそう。受験勉強に本腰を入れなくちゃいけないから」


 吹奏楽部の三年生も今日で引退でしょう、と無理につくったような笑顔で真島は言う。


「ほら、そろそろ戻らないと演奏が始まっちゃうわよ。オズの友達と観にきたんでしょう?」

「……先輩は聴いていかないんですか。優香さんは友達なんじゃ……」

「……私には、資格がないから」

「え?」


 意味がわからず首をかしげる廻に背中を向けて、真島は再び昇降口の方へと歩き始める。


 さようなら、と廻の顔を見ずに彼女は言った。これで最後と言わんばかりの、拒絶の色をはらんだ声色だった。


 徐々に遠ざかるいまの彼女の後ろ姿と、同級生に恫喝されていた自分の前に颯爽と現れたかつての彼女の後ろ姿が歪に重なり、廻の胸はずきりと痛んだ。


 自分が憧れたその背中を、もう一度追いかけることはできなかった。


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