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オズの十戒  作者: きのみや
真島文美編
35/41

34 修羅場じゃん


 ──家中が赤い炎に包まれていた。


 (めぐる)に多くの知識を与えてくれた書物が並ぶ本棚も、常に輪廻が向かっていた木製の机も。


 すべてを燃え尽くすような勢いで広がる劫火が、魔法の攻撃よって生まれたものであることは明白だった。


 廻の魔法でも鎮火は可能だったはずだ。しかし廻はそのとき自由を奪われていた。


 四方に浮かぶ魔法陣から出現した、長く太い銀色の鎖によって。


 手足にじゃらりと巻きついたその鎖には、対象の魔力を抑える力があったのだろう。

 身動きを取ることも、魔法を発動することもできず廻は叫んだ。


 視線の先にいる人物の名を呼ぶことだけが、そのときの廻にできる唯一の反抗だった。



 ──輪廻さん! 輪廻さんっ……!



 壁際で拘束される廻から少し離れた位置。

 灼熱の火が床を這う部屋の中央で、白衣を着た黒髪の女性が座り込んでいた。


 その前に立つ男が一人。


 彼が持つ長杖の先端が女性の頭に突きつけられているその意味を、廻は正しく理解していた。



 ──いやだ! いやだよ、輪廻さんっ……!



 殺されてしまう。


 彼女の前にいるのは異端審問官(インクイジター)だ。


 オズの十戒を破った者に裁きを下し、罰を与える魔女ドロシーのしもべ。トトと呼ばれる最強の魔法使い。


 そう。彼女は──小津佐輪廻は罪を犯した。


 オズの十戒第二条、“魔法で造られた人間(ホムンクルス)を生んではいけない”に背き、廻というひとつの命を生んでしまった。



 ──その願いのために、掟を破ったのか



 トトの男が輪廻に尋ねた。


 するとそれまで下を向いていた輪廻が顔を上げ、肩より短い真っ直ぐな黒髪をはらりと揺らして男を見た。


 彼女がなんと答えたのかはわからない。


 男はわずかに顔を歪め、輪廻に突きつけた杖先に魔力による光を灯した。


 次の瞬間に訪れるだろう自らの死を、輪廻は黙って受け入れているように思えた。



 ──……やめろ!



 生まれて初めて怒りに任せた叫びを放った。

 心臓が、頭が。全身が熱くなった。

 激流のように体内を巡る衝動は、当時の廻の魔力から生じたものだった。


 バキン、と。体外に放出したその衝動が廻を捕らえる鎖を壊した。


 自由になった瞬間、廻は魔法を発動した。


 廻の周囲に浮かぶ複数の魔法陣から勢いよく飛び出す、幾本もの新たな鎖。


 鋭い杭のついたそれらの先端が一斉に狙ったのは、その魔法の本来の使い手であるはずのトトの男だった。


 男は大きく目を見開き、輪廻から杖を離して魔法壁(バリア)を展開した。


 魔法壁(バリア)に触れた鎖は次々と消滅したが、男の顔から驚愕の色は消えない。自分の魔法を反撃に使われたことが予想外だったのだろう。



 ──オレの魔法に干渉したのか。魔法で造られた人間(ホムンクルス)とはいえ、まさか……

 


 廻自身も無意識の行動だった。

 輪廻を助けたい。その一心で放った魔力が鎖を破壊し、男を狙った。


 男は廻に哀れむような視線を向けた。

 彼は杖を持っていない方の左手を廻に向けると、すまない、と小さな声で謝罪して宙に新たな魔法陣を出現させた。


 その陣から現れた鎖が再び廻に巻きついた。


 数も強度も最初の鎖の倍以上。

 完全に身動きを封じられた廻は暴れることもかなわず、わずかに動く首をふるふると横に降って震える声で訴え続けた。

 

 いやだ。やめて。輪廻さんを殺さないで。

 

 無我夢中で廻は叫んだ。とめどなく涙がこぼれて視界が霞んだ。


 そんな廻の願いは届かず、男の杖は再び輪廻に突きつけられた。



 ──輪廻さんっ……!



 うつむくばかりで少しの抵抗も見せずにいた輪廻の頭が静かに傾き、光のない黒い瞳に廻の姿を映したのは、そのときだった。


 廻は息をのんだ。信じられないものを見た気がした。


 輪廻が、笑っていたのだ。


 微笑みと呼ぶことすら躊躇われるような小さな変化だったが、彼女はたしかに口角を上げていた。

 輪廻と過ごした七年間、一度も見たことがなかったその表情に廻は目を見開いた。


 ──パン、と銃弾が放たれるような音が響き、輪廻の身体がどさりと床に崩れ落ちたのは、その次の瞬間だった。


 スローモーションのように目に映ったあの光景を、廻は一生忘れることがないだろう。



 九年前。廻が七歳のときの出来事だ。




 ***




「──ねえねえめぐっち。今週の日曜あたしとデートしない?」

「デート?」


 六月の中旬、金曜の休み時間。

 自分の席で次の授業の準備をしていた廻に話しかけてきたのは、クラスメイトの蝶野ひめだった。


 デートという単語か、めぐっちという聞き慣れない呼び方か。


 どこからツッコむべきか一瞬迷った廻だったが、ひとまずは前者の方に言及してみることにする。


 すると相手はにかりと笑って、両手をついた机越しに廻の方へ乗り出してきた。


 蝶野は金色の巻き髪と、派手なネイルが目立つ女子生徒だった。カラーコンタクトをしているらしく、瞳の色はわずかに黄色い。


 両肩を出すように羽織ったローブと、胸元の開いた白いシャツ。


 編入したばかりの頃なら見過ごせなかった制服の着崩し方だが、いまの廻は自身が持ち込んだ非正規の校則を人に押しつけるような真似はしない。


 常識の範囲内であれば制服の着方は比較的自由であるのがこの学園の校則だ。

 これ以上胸元を開けるようなら多少は注意する必要がある、と廻は思うが。

 

「あたしの友達のお姉ちゃんが吹部でさ。いま三年なんだけど、今度の日曜日に最後の演奏会があるから一緒に観に行かない? ってその友達に誘われたの」

「吹部……吹奏楽部だね。そうなんだ」

「そ。だからめぐっちも一緒にいこ」

「なんで?」


 いったいどういう脈絡だろう。


 誘ってくれるのは嬉しいが、蝶野と彼女の友人の間に自分が入って、何かいいことはあるのだろうか。


「蝶野さん。デートっていうのは恋愛関係のある男女、もしくはそうなる可能性のある男女が二人で出かけることだよね? それだと僕と君と友達の三人になっちゃうから、デートとは言わないんじゃないかな」

「言葉の綾だって! いまどき友達同士でもデートとかって言ったりするじゃん」

「ああ、定義の問題か……そうだね。よく考えたら男女であるともかぎらないし、少し軽率な発言だったかな。ごめんね」

「かたっ! ……とにかくさぁ、急な誘いだからもちろん断ってくれてもいいんだけど、せっかくならって思ったんだよね」


 せっかく、という言葉に首をかしげる。


 そんな廻に蝶野は微笑み、くるりと巻かれた金髪を揺らして言った。


「その友達のお姉ちゃんの学校って、桜倫高校だから」


 桜倫高校。


 オズに編入してくる前、卑弥呼のミスにより廻が一時的に在籍することになった学校だ。


 通っていたのはそう遠い昔のことでもないはずなのに、どこか懐かしいものすら感じるその名に、廻は目を見開いた。


「そういえば前に言ってたね。お友達のお姉さんが桜倫生だって」

「ダークネス校則の話したときだよね~ で、どう? めぐっち前に桜倫の生徒だったんでしょ? 久々に顔出してみたいとかないかなって。日曜だから知り合いに会えるとはかぎらないけど」

「ぜひ行きたいな。吹奏楽部の演奏にも興味があるし」

「じゃあきまり! ──あ、せっかくだから阿夜っちも誘ってみる? 仲良いでしょ?」

「え?」

「阿夜っち〜」


 ぽんと拳で手のひらを叩いた蝶野が、スキップをするような足取りで教室後方の席に座る一人の女子に近づいていく。


 蝶野が声をかけたのは阿夜だった。


 読書をしていた彼女は、本に落とした視線を蝶野に移し、強い意志を感じさせる黒い瞳を瞬かせた。


「桜倫の吹部の演奏会。一緒に行かない? 今週の日曜なんだけど」

「……」

「あたしと友達、めぐっちと阿夜っちとでダブルデートにしようよ。きっと楽しいよ」


 あれ、でももしかして日曜もお仕事? と相手の顔を覗き込むようにして笑う蝶野を、誘いを受けた阿夜本人は顔色を変えず黙って見つめた。


 やがて彼女はその視線を廻に向けると、


「ええ、行くわ」


 と、いつもと同じ抑揚のない声で言った。


(阿夜さん……)


 普段の阿夜は一人で行動することが多い。異端者の噂のことがあったからか、クラスの友人たちとも常に一定の距離を取っているように思える。


 だがはっきりと口にしないだけで、彼女はこの学園が好きだ。人と関わることも苦手ではないのだろうと廻は推測している。


 本当はずっとクラスメイトと出かけることをしてみたかったのかもしれない。


 そう考えて、廻はどこか胸があたたくなるような気持ちになった。

 桜倫という自分にとって大事な場所に彼女とともに行けることが嬉しい、とも。


「あ、でもそれだと男の子がめぐっち一人になっちゃうね。そういうの気にするタイプ?」

「ううん、僕は平気だけど」

「どうせなら他にもだれか呼んじゃおっか! 魔法使いの友達たくさん連れてきてって言われてるし。えーと、猿っちとか?」

「猿飛くんのこと? いいと思うけど、いまはいないね。トイレかな。──あ」


 蝶野の提案にぐるりと教室を見渡したところで、廻ははっとした。


 そうだ、と声を上げて席を立つ。


 何事かと目をみはる蝶野たちに背中を向け、教卓前の席に座るクラスメイトのもとへ廻は向かった。

 

「ルクスくん。日曜日は空いてる?」

「──は?」


 頬杖をついたまま廻を見上げ、ルクスはその青い瞳を丸くした。


 そんな少年ににこりと笑いかけ、廻は続ける。


「日本の学生がどんな演奏をするか気にならない? 桜倫の吹奏楽部はコンクールの全国大会にも出るくらいレベルが高いって聞いてたけど、僕は一度も聴いたことがなかったから楽しみで」

「……」

「僕は君と一緒に行きたいんだけど、だめかな」

「な……」


 せっかく友達になったのだから、と廻は思うが、当のルクスはあまり乗り気ではないのだろうか。


 ふい、と顔を逸らされてしまった。


「ルクスくん……?」

 

 銀髪の間から覗く彼の耳はわずかに赤く、廻と少しも目を合わせようとしてくれない。


 怒らせてしまっただろうか、と廻が慌てたときだった。


「行かないならすぐに断ればいいと思うけど」


 いつの間にか近くにきていた撫子が、ルクスに向けて冷たい声で言い放った。


「……あ?」


 ぎろりと撫子を睨みつけるルクス。

 突然生まれた一触即発の状況に、教室の温度がいくらか下がる。


「行かないなんて言ってねぇだろ」

「ならすぐに返事をすればいいでしょう。曖昧な態度を取っている時間は無駄よ」

「……は、随分と必死だな。オレが加わることでダブルデートの定義が崩れるのがそんなにいやか?」

「……そうだと言ったら?」

「絶対に行ってやる。──おい廻」


 オレも行く、とまっすぐに自分を見つめてくるルクスの調子に圧倒され、廻はこくこくと頷いた。


 撫子が小さく舌打ちをしたような音がしたのは、きっと廻の気のせいだ。


「修羅場じゃん。ウケる」


 てゆーかルクスっちさっきの会話聞いてたんだね、と蝶野が笑った。


 吹雪の幻覚が見えるような教室の空気にそぐわない、からりとした笑い声だった。


 

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