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オズの十戒  作者: きのみや
授業(魔法の鏡)編
34/41

33 任せてください


「みんな優秀ね。まだ粗が目立つ子も多いけど、二年後にはきっと立派なプロの魔法使いになってるわよ」


 目の前に浮かぶ鏡の縁を指で撫で、ふっと微笑み卑弥呼は言った。


 卓上ミラーほどの大きさに変化させた魔法の鏡(マジック・シアター)

 先程までその鏡面に映し出されていたのは卑弥呼の顔ではなく、A組の生徒たちが投影した彼ら自身の“最初の記憶”だった。


 両親や祖父母の顔。ペットの犬の鳴き声や、幼い頃に遊んでいた公園の様子。初めて魔法を使ったときの記憶を再現してくる生徒もいた。


「がんばって思い出してくれたのね。最初の記憶なんて曖昧なもの、まず一つに絞るのが大変だったでしょうに」


 阿夜、ルクス、敷波など、プロの魔法使いに匹敵するほど繊細な投影を行う生徒も数名いた。


 彼女たちの映像はそれこそ高性能のビデオカメラで撮ったように鮮明で、ミニ・魔法の鏡(マジック・シアター)が読み取る“正解”との違いもほとんどなかった。


「けど、やっぱり()()()()()わね。不自然な映像にならないようぼやけた部分を補完してる。それができるのは魔力操作が上手な証拠なんだけど……」


 今回の課題で百点を取れるかといえばそうではない。


 人間の記憶は基本的に曖昧なものだからだ。


 かつて自分が体験した一つの場面において、そのすべてを細部まで完璧に憶えている人間はなかなかいないだろう。


 見たものの色や形を誤って記憶していたり、他の場面と混ぜてしまったり。夢のように断片的であったとしても不思議ではない。


 卑弥呼が見本として示した映像を敷波は絶賛した。正確で鮮明だと。


 だが、実際は鮮明である必要はなかったのだ。むしろ鮮明でない方が自然とも言える。


 曖昧な記憶の、ぼやけた部分まで正確に表現すること。


 それこそが投影魔法の本質的な在り方なのだから。


「まあ、本当に記憶力がよくて全部を完璧に覚えてるなら話は別だけどね。おそらくルクスはそのタイプよ」


 魔女の家での一歳の頃の記憶だと彼は言っていた。

 (めぐる)から話は聞いていたが、さまざまな面で能力値の高い少年なのだろう。


「阿夜ちゃんは課題の意図には気づいてたけど、自分にはそこまでできないって謝ってきたわ。敷波ちゃんは指摘したら納得して、頭抱えて反省してた。あの子ほんとに真面目ね~」


 かつての生徒、学園長の箭田しず子を彷彿とさせる頭の固さが彼女にはあった。


 だが卑弥呼はそういう生徒が嫌いではない。というより、からかい甲斐があるのでかなり好きだ。


「べつに優劣をつけるつもりはなかったけど、あえて点数をつけるなら百点満点はあなたとルクスだけね。──廻?」


 くるりと椅子を回し、扉の前に立つ黒髪の少年の顔を見て卑弥呼は笑った。


 ありがとうございます、とやはり真面目に答えた彼は、卑弥呼が保護者を務める若きプロの魔法使いだ。


 小津佐廻。

 彼はオズ(ここ)に生徒として潜入し、魔女ドロシーを殺した異端者ユダを捜している。

 

「色、音、動き……ぼやけた視界や背景の曖昧さまで完璧に投影されてる。まるであなたの頭の中をそのまま取り出したみたいだわ。さすがね」

「……ズルみたいなものです。僕は一応プロの魔法使いだから」

「ズルじゃなくて実力でしょ。ここまで繊細な投影ができる人はプロにだってなかなかいないわよ」


 高等部校舎の端にある資料室。

 一年A組の生徒たちが順番に訪れたこの部屋で、最後に廻が提出した映像を再び鏡で再生しながら卑弥呼は言う。

 

 廻が鏡に投影したのは、彼自身の“生まれたときの記憶”だった。


 最初に映し出されるのは女の顔だ。

 能面のような無表情で、ベッドに寝かされた赤子の廻をまっすぐに見つめている。


 温度のない黒い瞳。茶色いセーターの上に白衣を着たその女の正体を、卑弥呼は知っていた。


 いや、知っているどころではない。彼女はかつて卑弥呼の教え子だったのだから。


 日本のオズではない。今からおよそ二十年前、イギリスのオズ魔法学園で出会った卑弥呼が出会った日本人の才女。


 小津佐輪廻。

 彼女は、魔法で造られた人間(ホムンクルス)である廻の生みの親だった。


「あのときの輪廻さんの声も、表情も。よく憶えています。ああ、この人が僕を生んでくれだんだなって、自分が何者か悟るより前にわかった。部屋の様子とか服の色とかは曖昧だったので、そこはそのまま投影しましたが……」


 どこか遠慮がちな様子で廻が言うのに、卑弥呼は静かに目を細めた。


 投影の能力を褒められたことに対して謙遜しているというより、自分が生まれたときについて話すことに罪悪感を覚えているのだろう彼の心情を察してしまったからだ。

 

「生まれたばかりの頃の記憶を持っている人は珍しいんですよね。それも僕が魔法で造られた人間(ホムンクルス)だからなんでしょうか」

「魔力が多い人ほど記憶力がいいなんて説があるくらいだものね。あなたやルクスを見ていると、関係があっても不思議じゃないかもしれないわ」


 何でもないことのように卑弥呼が言うと、廻はわずかに眉を下げて困ったような笑みを浮かべた。


 そんな少年に卑弥呼は尋ねる。


「ねえ廻。学校は楽しい?」


 突然なにを訊くのかと思ったのだろう。

 黒い瞳をぱちりと瞬かせた廻が、驚いたような顔で卑弥呼を見る。


 しかし彼はすぐに笑った。


 戸惑うような、照れるような。それでいて少しだけ申し訳なさそうな、あどけない表情で。


「──はい、楽しいです。ふつうの人になれたみたいで」


 任務中なのに不謹慎かもだけど、と頰をかく廻に卑弥呼は苦笑する。


 たしかに彼はふつうの人間ではないかもしれない。


 だが、人間だ。あの無愛想な元教え子が、命をかけて生み出したひとつの生命(いのち)なのだ。


「輪廻だってあなたが幸せに生きていくことを願っていたはずよ。いいんじゃない? 堂々と楽しんでも」

「そうでしょうか……」

「…………いやまあ、そうね。輪廻が何を考えていたかは正直さっぱりわからないけど……」


 感情というものがごっそり抜け落ちたような元教え子の顔を思い出し、卑弥呼は眉間を指で押さえた。


「私はあなたにステキな青春を過ごしてほしいと思ってる。不謹慎上等じゃない。言ったでしょ、ドロシーだって多少は大目に見てくれるって」

「卑弥呼さん……」

「クラスメイトもみんないい子たちみたいだし? ──大丈夫。あの中にユダはいないわ」


 その言葉に一瞬目をみはった廻だったが、すぐさま意味を理解したのか、先程までとは打って変わった大人のような顔で卑弥呼を見た。


「覗いたんですね、みんなの記憶を」


 卑弥呼は頷き、廻の記憶を映し終えた鏡の上に右手をかざす。


「人の記憶を勝手に暴くような真似はしない……けど、今回は“十戒に背いた記憶”がある場合のみ鏡が反応するよう条件を付けてみた。引っかかる子は一人もいなかったわ」


 ユダの実力であればその条件を突破できる可能性もあるだろうが、その違和感に気づかないほどまだ自分は落ちぶれていない、という自負が卑弥呼にはあった。


「ありがとうございます。僕が調べたかぎりではクラスの中に怪しい人はいなかったのですが……確証はなかったので安心しました」

「あなたが調べたならまちがいないと思うけど、一応ね」

「でも、卑弥呼さんがここにきたのはやっぱりそれが目的だったんですね。僕の様子を見たいなんて言うから、どうなることかと思ってましたが」

「あら、様子を見にきたのは本当よ? むしろそれがメインなくらい」


 ぱちんと指を鳴らし、鏡を消して卑弥呼は笑う。

 肝心の廻はきょとんとした顔をしているが、嘘偽りのない本心だ。


「何度も言うけど、私はあなたに楽しい学校生活を送ってほしいの。たしかにユダを捕まえることも大切よ。でもね、その任務が終わったあとあなたはどうするの?」


 廻の顔をじっと見つめて卑弥呼は問う。


 その瞳が微かに揺れたのを卑弥呼は見逃さなかった。

 学校は楽しいか、と尋ねたときと同じ、幼い子供が浮かべるような頼りなげな表情。


「トトとしての生活は続くかもしれない。この学園にいる意味もなくなるわ。……けれど、あなたはまだ若い。私とちがって未来がある。だから少しでも居場所を……頼れる人をひとりでも多くつくっておくのは大事なことでしょう」


 あなたが孤独にならないように、と卑弥呼は続けた。


 それを聞いた廻の表情がわずかに歪む。

 だから卑弥呼は、彼にとっては酷なことだとわかったうえで、自らの胸元に手をかけた。


 着ていたシャツのボタンを外す。冷房をつけた部屋でさらけ出した白い肌が、ひんやりとした冷気に触れた。


 鎖骨の下、膨らんだ乳房の上の部分。

 そこに刻まれた、薔薇のような形をした赤い紋様。


「この任務が終わったら──私は処刑されるんだから」


 卑弥呼の胸元に視線を向ける廻の顔がさらにこわばる。

 強く握られた彼の拳には気づいていたが、いまは心を鬼にするべきと卑弥呼は思った。


 自分はいつか廻のそばから消えていなくなる。


 そのとき彼がひとりになってしまうことを避けるために、苦しい現実を突きつけることを厭うわけにはいかないのだ。


「私はあなたの任務をサポートするという条件で執行猶予を与えられた身。ユダを捕まえたあとは、本来のきまりに従って死を受け入れるしかない」

「……」

「そんな顔しないで。私は八十一歳よ? もともと老い先短い命だったんだから、自然に摂理に従うのと同じことでしょ」


 卑弥呼の胸に描かれた紋様──オズの十戒に反した者に刻まれる呪いのアザ。


 そう。卑弥呼は異端者だった。


 オズの十戒第八条──若返ってはいけない、に背いた罪人。若返りの魔法を使い現在の美しい姿になった。


 A組の生徒たちに話した変身魔法というのは嘘だ。正真正銘、いまの卑弥呼の肉体は三十代の頃のものと同じである。


 にもかかわらず処刑されずにすんでいるのは、他でもない魔女ドロシーによって執行猶予を与えられたから。


 自分を殺した犯人を捕らえるため廻の任務に協力しろという、本人の命令があったからだ。



 ──僕は、あなたを処刑(ころ)したくありません……



 卑弥呼が廻と出会ったのは一年前。

 十戒に背いた卑弥呼を、異端審問官(インクイジター)である彼が捕らえにきたことが始まりだった。


 廻はやさしい少年だ。処刑人という仕事に絶望的に向いていない。


 だからあの日も、彼は卑弥呼に罰を与えようとしなかった。そうすることで、自分自身がドロシーの敵になってしまう可能性があったにもかかわらず。


 そんな廻にドロシーは情けをかけた。

 ユダの捜索に協力する代わりに、卑弥呼の罪を一時的に見逃すことにすると彼女は言い出したのである。


 あのとき卑弥呼は決意したのだ。


 自分はどうなってもいい。いずれにせよ最初から覚悟はしていた。


 罪人として散るはずだったこの命を、心優しいこの子のために使えるなら。


 それ以上のことはないと思ったのだ。


「……僕はまだ諦めていません。卑弥呼さんが助かる道が、あるかもしれないって」

「ありがとう。でもいいのよ。私が罪を犯したのは事実なんだから」

「……」

「だーかーらぁ、そんな顔しないでってば。本当に私のことを思うならこれからもいっぱい青春の報告をして? 今日一つはゲットできたけど、まだ足りないのよね〜」

「……?」


 暗くなった雰囲気を壊すように明るい声で卑弥呼が言うと、廻はこてりと首をかしげた。


 ふふ、と含みのある笑みをこぼす卑弥呼の頭に浮かぶのは、先ほど課題を評価したときに交わした、ひとりの生徒とのやりとりだった。



 ──きれいな花。お母さんとの記憶ね。阿夜家の魔法はいつ見ても美しいわ

 ──ありがとうございます



 阿夜撫子。

 御三家のひとつである阿夜家の跡取りであり、廻の秘密を知るクラスメイトのひとり。


 そんな彼女に卑弥呼は言った。授業には関係のない、個人的な話だとわかっていたが伝えずにはいられなかった。


 あなたを任務に巻き込むわけにはいかない。

 けれど、この学園での廻の生活をどうか支えてやってほしいと。


(噂ではクールな子だと聞いてたけど……廻の言うとおりだったわね)


 卑弥呼の頼みに彼女は目を見開いた。


 過保護すぎると一蹴される可能性が脳裏をよぎったが、そんな心配が不要であることを知ったのは、その次の瞬間だった。



 ──はい。任せてください



 撫子は微笑んでいた。

 黒い双眸をわずかに細め、形のいい唇の端を静かに上げて。


 凛とした力強い声で、卑弥呼の言葉に頷いたのだ。


「さっそく彼女候補なんて。廻も隅に置けないわね~」

「彼女……?」


 またもや首をかしげる廻。その困惑したような表情を見て卑弥呼は笑った。


 鋭いくせに鈍い、やさしくてまっすぐなこの少年に、自由な未来が訪れることを祈りながら。


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