31 先生はいくつですか
「ではあらためて。しず子……学園長たってのお願いでこの授業は私が担当することになりました。あ、ちゃんと魔法教員免許は持ってるから安心して。昔はここで教師をやってたし、イギリスのオズで教鞭をとったこともある大ベテランなのよ?」
突然の特別講師の登場に最初はぽかんとしていた生徒たちだったが、満面の笑みで為された卑弥呼の自己紹介を聞いた途端、それぞれが戸惑いや興奮の声をこぼし始めた。
ざわざわと騒がしくなる教室の中、気が抜けたように着席した廻は一人小さなため息を吐く。
大ベテラン、というのは嘘ではない。
オズの元教師である卑弥呼は、いまや一部の人間に伝説と評されるほど偉大な指導者だったという。
だが、「学園長たってのお願い」は嘘だ。
廻の様子を見たいので学園に立ち入る許可がほしい、と学園長の箭田しず子に駄々をこねて頼み込んだ卑弥呼の行動を廻は知っている。
尊敬する恩師の頼みとはいえ特別扱いはできない、と一度は突っぱねられたということも。
それでも無理を通したというのだから、さすがは卑弥呼というところか。まさか教師の立場でやってくるとは思わなかったが。
「はい。質問いいっすか」
「どうぞ〜 何でも聞いて」
「昔は、って言ってたっすけど、いまは何をされてるんすか? 海外のオズで教師を?」
「いいえ、教師の仕事自体はもうずいぶん前に辞めたわ。いまは……そうねえ。フリーの魔法使いとでも言えばいいのかしら。それと──」
挙手をして立ち上がった明智の質問に明るい声で返答し、卑弥呼は廻の方を見た。
「そこにいる小津佐廻くんの保護者もしてま~す」
きゃぴ、という効果音が付きそうな声で卑弥呼が言う。
すると教室の生徒たちの視線が一斉に廻に向いた。
「マジで!? 本当か小津佐」
「う、うん。まあ……」
「すげぇな。あんな美人がかあちゃんなのかよ。……いや、姉ちゃんか?」
「ううん、僕に両親はいないから。お世話になってる親戚の人だよ」
前の席の猿飛に尋ねられ、嘘を吐くことへの罪悪感を覚えながらも廻は答える。
卑弥呼は自分の親戚ではない。
彼女が廻の保護者を務めるのは任務のためだ。学園における廻の活動を外部からサポートするため。
それでも、卑弥呼が自分を本当にかわいがってくれていることを廻は知っている。
時々思うのだ。自分に母親──祖母がいたらこんな感じなのだろうか、と。
「そうか。……ん? ってことは、編入のときに間違った手続きをしたお前の保護者って」
「ヒミコさんだね」
「なるほど……」
なんとなくやりそうだ、と言って壇上の卑弥呼を見る猿飛に廻は苦笑した。
暗に軽いと言いたいのだろうが、それについては廻としても否定はできない。
「私からもよろしいですか」
一番前の席に座る茶髪の女子生徒が静かに立ち上がり、硬い口調で卑弥呼に尋ねた。
敷波真夏。
一年A組のクラス委員長を務める優等生だ。
「森羅先生はいつ頃この学園に勤められていたでしょうか。私は幼稚部から在籍していますが、失礼ながら先生のお名前は一度も聞いたことがありません。教師歴は長いようにお見受けしますが……」
年齢が合わない、と言いたいのだろう。
教壇の上で微笑む麗しい女性は、二十代、高く見積もっても三十代にしかならない若々しい見た目をしている。
そんな卑弥呼の経歴に敷波は違和感を覚えたのだ。
真っ直ぐな姿勢で立つクラスメイトの背中を見て、勘が鋭い人だな、と廻は思った。
「いまの子はちゃんとしてるわね。昔は『先生はいくつですか~?』なんて遠慮もデリカシーもなく聞いてくるクソガキが大半だったのに」
「! すみません、そういうつもりでは……」
「ふふ、わかってるわ。真面目さんね。廻みたい」
「それは……」
にこりと笑った卑弥呼の言葉に、敷波が不服そうな声をこぼした。
廻は若干傷ついた。もしや自分は嫌われているのだろうか。
「私くらいになると年齢なんてべつに隠すようなものじゃなくなるもの。──私がオズで働いていたのはいまから約四十年前。当時の同僚はもうほとんどいないし、あなたたちが私のことを知らないのも当然だわ」
「……え?」
「私、いま八十一歳だから」
「は……」
「「「八十一歳!?」」」
驚愕した生徒たちの大きな声が教室の空気を揺らした。
事実を知っていた廻だけは驚かなかったが、明かしてしまって大丈夫なのか、という心配は否めなかった。
(ヒミコさん、ユダに怪しまれないよう目立たないようにするって言ってたのに……)
──まあ、彼女がすることならきっと大丈夫なのだろう。
廻はそう現実逃避することにした。
「いやいや、さすがにそれは無理があるだろ……若作りが過ぎるって」
「若作りじゃなくて、実際に若いのよ」
「は?」
疑わしげに首を振る猿飛に、ふふ、と卑弥呼が微笑みかける。
細く長い人差し指を唇に当て、その魔女は妖しげに目を細めた。
「魔法で若返ったんだから」
内緒話をするように紡がれた卑弥呼の言葉に、廻以外の生徒たちが一斉に息をのむ。
しん、と静まり返る教室。
あまりの衝撃に思考が追いついていないのか、声を発する者は一人もいない。身じろぎすらせず固まる生徒がほとんどだった。
「──なーんてね。冗談よ」
緊迫した空気を壊すように明るい声を出し、ぱっと卑弥呼は破顔した。
「若返りなんて十戒に背くようなことするわけないでしょお。変身魔法よ。一時的に二十代の頃の見た目になってるだけ。あと数時間もすればおばあちゃんの姿に戻っちゃうから、授業が長引かないよう協力してね?」
あっけらかんと言い放つ卑弥呼に一同は唖然とした。
教室全体に生まれた微妙な空気を意に介さず、笑顔のまま彼女は続ける。
「というわけで始めましょうか。この時間はふだん投影魔法の授業ってことでいいのよね?」
「え……ふつうに授業をすんのか?」
拍子抜けしたように猿飛が呟く。
ベテランの魔法使いが臨時講師として現れたのだ。なにか特別なことをすると考えていたのだろう。
「何言ってるの。投影は魔法使いの基本でしょ」
肩をすくめて卑弥呼が言うのに、うぐ、と猿飛は口を噤んだ。
投影魔法。文字や画像といった使用者の脳内にある情報を現実にかき出す魔法だ。
単純に脳を酷使するうえ、精密な魔力の操作を必要とするため難度は高い。
それでも基本とされるのは、非現実を現実に変える魔法の本質がそこに表れているからだろう。
投影の上手さがありとあらゆる魔法の精度と連動する、というのは魔法使いにとって常識と言ってもいい。
「私苦手なんだよね~ 簡単な文字とか記号とかなら映し出せるけど、複雑な文章とか絵になるとさぁ」
「俺もだよ。つーか中等部組はみんなそうなんじゃねぇの? ガキの頃から訓練してなんとかって感じだろ」
げんなりと机に突っ伏す白雪に猿飛が同意する。
そんな二人に笑いかけ、卑弥呼はぱっと右の人差し指を掲げた。
「大丈夫よ〜 今日はいつもとちがう特別バージョンでやってもらうつもりだから」
「特別バージョン?」
「そ。ちょっとは特別講師らしいところを見せないとね」
ぱちん、と卑弥呼が指を鳴らす。
途端に大きな魔力の風が巻き起こり、教室にいる者たちの服や髪をふわりと揺らした。
卑弥呼の足元には魔法陣が出現していた。
教壇に立つ彼女を中心として教室の床の半分ほどを埋め尽くすように描かれた、巨大な魔法陣だ。
ぼん、と卑弥呼の近くで真っ白な煙が生じる。
その煙の中から現れたのは、黒板の半分以上を覆い隠すほど大きな縦長の鏡だった。
「な、なんだあれ…‥!?」
凝った意匠の縁で飾られた、まるでアンティークの代物のようなその鏡の登場に、生徒たちから驚きの声がこぼれる。
「あれがヒミコさんの固有魔法だよ」
ぽかんと口を開ける猿飛に廻が言うと、マジか、と彼は目をまるくした。
「マジック・シアター。なんでも映す魔法の鏡よ」
不敵に微笑む卑弥呼。
そんな彼女を照らすように、黒板の前に浮かぶ鏡がきらりと光った。




