30 友達や恋人をたくさんつくって
「やっぱりヒミコさんの知り合いだったんですね」
銀色の鎖に巻かれて路地に転がる男を見下ろし、廻は尋ねる。
気を失ってしまったのか、捕らえた男はもう声を発さなかった。
身体に負担をかけないよう威力は調整したつもりだったのだが。申し訳ないことをしたと廻は思う。
「私がオズで初めて担任を持ったときのクラスの生徒よ。昔はとってもかわいかったんだけど」
「いつのときですか?」
「五十年くらい前ね。初等部の六年生」
「すごいですね……」
廻の質問に答えた女性は、膝に手を当てわずかに腰をかがめた姿勢で、動かなくなった男の頭をつんつんと突いていた。
あんなに優秀な子だったのにね、とどこか寂しげな声で言う彼女に、廻の胸はずきりと痛んだ。
「ま、とりあえず協会に送りましょ。……それにしても残念ね~ ほんと、いつになったら“蛇”の顔を拝めるかしら」
ぱっと気を取り直したように立ち上がる女性に頷き、廻は杖を前にかざした。
拘束した男の真下に光り輝く幾何学的紋様が現れる。魔法陣だ。
「この人は“蛇”にかけられた秘匿を強要する魔法に抗うことができていました。いまでも優秀な魔法使いなんだと思います。だから……きっと何か聞き出せますよ。やり直すことだって」
「……そうね」
魔法陣が放つ光に包まれて男は消えた。
今頃、その身柄はオズ魔法協会に転送されていることだろう。
「悪かったわね。こんな時間に呼び出して」
「いえ、仕事ですから」
「でも明日も学校でしょ」
「大丈夫です。夜中に寮を抜け出したことに対する反省文はちゃんと書きます」
「そういうことじゃないんだけど~」
異端審問官としての任務の一環とはいえ、校則違反をしたことにちがいはない。
だから自分に罰を与えるのだと廻が言うと、呆れたように笑う女性に生温かい視線を向けられた。
廻がオズで捜しているドロシー殺しの異端者、ユダ。
ユダとつながりを持ち、魔法使いたちを異端者の道へ陥れようとする“蛇”。
その“蛇”に唆されたという人物の情報が手に入った。
佐藤茂雄。先ほど廻が協会に転送した老年の魔法使いだ。
“蛇”の能力の高さは並大抵のものではない。
廻を含む協会の魔法使いたちが数年かけてもその尻尾すら掴むことができず、幾度となく苦汁を飲まされている状況だ。
戒律違反を唆された者たちは皆一様に“蛇”に関する詳細な記憶を失っており、なぜ自分がその誘いに乗ってしまったのか、本人ですら正しい理由を述べられないことがほとんどだった。
話そうとすると頭に靄がかかったようになるのだという。おそらく他言禁止の魔法をかけられているのだろう。
だが、今回の佐藤茂雄の場合は少しだけ事情がちがった。
二日程前、“蛇”と名乗る人物の助力を得て自分が戒律違反をすることを彼自身が贔屓にしているガールズバーで触れ回っていたというのだ。
酔っ払いの戯言かもしれないが、というその情報を得て廻たちはこの路地裏にやってきた。
男が大っぴらに自分の話をしていたのなら、警戒心の強い“蛇”は確実に姿を見せないだろう。
本人を捕まえることはできないと知りながら、重要参考人として佐藤茂雄と接触することにしたのだ。
「で、どうなの? 学校の方ではうまくやれてる?」
魔法で杖を亜空間に仕舞う廻を見て、妖艶に笑う美しい女性の名は、新羅卑弥呼。
異端審問官としてオズ魔法学園に潜入することになった廻の保護者役を務める、いわば任務の協力者だ。
暗がりで静かに光る黒い瞳に、ウェーブのかかった茶色い長髪。肉感的な身体のラインがわかる長いワンピースに、丈の短いローブを羽織っている。
どこからどう見ても二十代から三十代の若い女性だが、その年齢は廻の祖母──曾祖母に相当すると言っても過言ではない。
廻にとっては魔法使いとしても、人間としても大先輩にあたる偉大な魔女である。
「どうでしょうか……実はまだ全然ユダに関する情報はつかめてなくて」
「ふうん?」
「ここ数年の間に魔法学園にきた人たちのことは調べたんですが、特に怪しい人物は見当たりません。そもそもユダが認識疎外や記憶操作の魔法を使っていたら調べても意味がないし、昔からいる人たち全員が候補になるし……」
「廻、あなた……」
ふっと卑弥呼の顔から笑みが消える。
わずかに険しくなった彼女の雰囲気に廻は萎縮した。
当然だと思った。潜入捜査の開始から一ヵ月以上も経つというのに、自分はいまだ一つの成果も挙げられていないのだから。
「ごめんなさい。……えっと、近いうちにもっと詳しく調査しようと思っている人はいるんですが」
「……」
「魔女の家が襲撃された話をいち早く知っていた新聞部の部長さんと、二年前までアメリカの協会で働いてたっていう保険医の先生と……新任の音無先生のことも気になっています。他の生徒とは別の寮に僕を入れたのには、なにか狙いがあるんじゃないかって。考えすぎかもしれませんが」
「……ちがうわ」
「え?」
「だから! ちがうの! 私が聞きたいのはそういうことじゃないのよ!」
卑弥呼の叫びに廻は目をまるくした。
細く綺麗な長い指をびしりと突きつけられ、思わず後ずさってしまう。
「任務とかユダとか、そんなことはどうでもいいの! 私が聞きたいのは、あなたがきちんと青春を謳歌してるのかってことよ!」
「ええ」
勢いのある卑弥呼の言葉に廻は困惑した。
どうでもよくはないのでは。
「いい? 廻。あなたは今までふつうの子供らしい生活を送ってこれなかったんだから、これを機に年相応の高校生活を楽しまなくちゃ。それくらいドロシーだって許してくれるわ」
「そ、そうでしょうか……」
「部活をしたり、友達や恋人をたくさんつくって休日に遊びに出かけたり、授業をさぼって屋上でお昼寝したりしなきゃだめよ。せっかくの潜入捜査を利用しないでどうするの」
「恋人をたくさんつくるのはどうかと思いますし、授業をさぼるのは校則違反です。あと、潜入捜査は仕事なので利用とかでは……」
「も~! 真面目すぎ!」
若気の至りってものを経験しなさい、と卑弥呼が言うのに廻は苦笑した。
彼女が自分を思いやってくれているのはわかっている。
魔法で造られた人間として生まれ、一般的な日本人の子供たちとはちがう人生を歩んできた廻に、たとえ任務の間だけでも充実した学校生活を送ってほしいと願ってくれているのだ。
その優しさには感謝しかない。校則違反を推奨するのはどうかと思うが。
「いいわ。こうなったら私が直接あなたの青春レベルをジャッジしてあげる」
「へ?」
豊満な胸の下で腕を組み、神妙な顔で頷く卑弥呼。
彼女の言葉の意味がわからず、廻ははてと首をかしげた。
「学園でのあなたの様子を保護者として見にいくって言ってるのよ。ユダに怪しまれないよう目立つわけにはいかないけど」
「え。でも、学園は基本的に保護者の人でも立ち入りが禁止されていませんでしたか……? どうしてもというときは特別な申請が必要だし、授業参観もないし……」
「なんとかなるなる! しず子に頼んでみるわ」
「……」
卑弥呼の口から出た学園長の名前に、廻はただ困った笑みを浮かべることしかできなかった。
一度決めたことを絶対に覆さないのが、廻の保護者の美点であり欠点なのだ。
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「──というわけで、特別講師の森羅卑弥呼よ。よろしくね? うら若き魔法使いの卵さんたち」
「教師側!?」
数日後。
一年A組の教室に現れた卑弥呼が教壇の上でにこりと笑うのに、がたんと机を揺らして廻は椅子から立ち上がった。
そんな廻に視線を向け、その美しい魔女はぱちりと無邪気なウインクをした。




