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オズの十戒  作者: きのみや
旧校舎編
28/41

27 学校の怪談だ


 (めぐる)たちの方へ真っ直ぐに向かってくる人体模型。


 足がないからか目をみはるほどのスピードというわけではないが、走っているように見えることはたしかだ。

 少なくとも赤ん坊のハイハイより速いのではないだろうか。


「う……うわあぁ!」


 廊下を流れるピアノの音をかき消すような猿飛の絶叫。


 彼の気持ちは廻にもわかる。

 脳と内臓が剥き出しの腕のない上半身が前進してくるのだ。さすがに不気味だろう。


 これはもしや襲われるのだろうか。


 いや、その可能性はかぎりなくゼロに近いと廻は思うが。


「ひっ……」


 動く人体模型と廻たちの間の距離が、あと二メートル程というところまで近づいたときだった。


 大きな背中を丸めて猿飛がしゃがみ込むと同時に、コトンと何かが床に落ちる音が響いた。


 人体模型に向かってコロコロと転がっていく丸い塊。


 ビー玉にしか見えない小さなそれは、模型の前でぴたりととまると、まるで何かのスイッチが入ったかのようにカチリと小さな音を鳴らした。


 次の瞬間、四方に迸る眩い光が暗い廊下を明るく照らす。


 ビー玉から発せられた光だった。

 その輝きが周囲の壁に当たって反射し、幾本もの光の線となって、人体模型の心臓部分を一度に貫く。


 鋭い光の攻撃を受けた模型は、爆弾を埋め込まれた人形のように内側から破裂した。


 廻はちらりと自分の斜め前に立つルクスに視線を向けた。

 たったいま、模型を砕く光を生み出した銀髪の少年の横顔を。


 一縷の光(カレイド・ルクス)。光を操るルクスの固有魔法。


 いまの光の正体である。


「おい、なんだよいまの……ビー玉?」

「閃光弾だ。暗がりで魔法を使うときはあった方が便利だからな」

「ルクスくんの魔法か~ 光を使うんだ。かっこいいねえ」

「けど妙だな。まったくを手応えを感じなかったぞ」


 猿飛と白雪の反応に冷静に言葉を返すルクスだったが、どうにも腑に落ちないことがあるらしい。

 眉をひそめてビー玉型の閃光弾を拾いながら、彼は青い瞳を細めた。


 実際、ルクスが魔法で破壊したはずの人体模型は跡形もなく消えていた。


 そう。跡形もなくだ。

 破片さえ見当たらない。まるで最初から存在していなかったかのように。


「そりゃ幽霊なんだから手応えなんかないっすよ」

「じじじ人体模型の幽霊ってなんだよ」

「あっ。また出てきたよ!」

「はあー!?」


 白雪が指差す先で、またもや別の部屋のドアが開いていた。


 中からぬっと現れる人の影。今度は人体模型ではなかった。


 その扉の前に立っていたのは、赤いスカートを履いた小柄なおかっぱの少女だった。


「……トイレの花子さん?」

「なんでだよ! ここはトイレじゃねぇぞ!」

「男子寮の花子さんすね……!」

「男子寮に女子が入ってんじゃねぇー!」


 頭を抱えて叫ぶ猿飛だったが、彼の恐怖はそれだけでは終わらなかった。


 他の部屋からも出てきたのだ。

 人体模型や花子さん以外にも、さまざまなものが。


 美術の授業で使う石膏像。

 人間の骨格標本。

 かたかたと揺れる四角い額縁の中身は、音楽室にあるベートーヴェンの肖像だろうか。


「僕知ってる。学校の怪談だ……!」

「だからここは寮だっつの! 美術室も音楽室もねぇだろうが! ……つーか小津佐、なんでお前はちょっと嬉しそうなんだよ!」


 悲痛に満ちた声で叫ぶ猿飛。


 そんな彼の絶望に追い討ちをかけるように、廊下を流れるピアノの曲がいつの間にか変わっていた。


「『悲壮』だな。ベートーヴェンの」

「律儀なお化けっすね。状況に合わせてBGMを変えてくれるなんて」

「呑気だなお前らは!?」

「いやいやさすがに私も怖いっすよ。ほら、花子さんなんか手振ってくるし」

「怖いやつの態度じゃねぇだろ! ……って、白雪!? お前……どうしたその顔!?」


 猿飛が衝撃を受けたような様子で白雪の顔を凝視する。

 唐突に驚かれた白雪は拗ねたように唇を尖らせ、失礼だなぁ、と猿飛を睨みつけた。


「人の顔見て驚かないでよ」

「は!? え、いや、だって、なんか赤いぞお前!?」

「赤い? 私べつに暑くも恥ずかしくも怒ってもないけど……」

「ちげぇ! そういうんじゃなく、ほんとに真っ赤なんだよ! 肌の全体が、鬼みてぇに!」

「あれぇ? もしかして怒った方がいいやつ?」


 白雪の顔を指差して必死に訴える猿飛だったが、廻から見える彼女に特段変わったところはない。肌の色もいつもと同じだ。


「……ちょ、猿飛さん! そう言うあんたの顔もおかしいっすよ!?」

「あ!?」

「のっぺらぼうっす! 目と鼻と口がない!」

「まって! 明智さんの後ろにはなんか変なのいるよ!?」


 猿飛の顔を見て明智が声を上げたかと思えば、明智の背後を指差した白雪が慌てたように後ずさる。


「明智さんの背中で踊ってるの……なにそれミイラ!?」

「ミイラ!? そんなんどこにもいねぇぞ!」

「猿飛さんはどうやって喋ってるっすか!? 口がないのに……!」

「……っておい! 今度は花子さんがこっちに走ってきたぞ! 逃げねぇと!」

「私にはまだ手を振ってるように見えるっすけど!」

「ええ? 花子さんは踊ってない?」


 各部屋から出てきた花子さんや骨格標本、石膏像は先程から動いていない。明智の後ろには何もいないし、猿飛の顔には目も鼻も口もある。

 

 冷静なのは廻とルクスだけだった。


 慌てふためく猿飛たちを心配しながら、廻は隣のルクスに尋ねる。

 

「……ルクスくん。いま君には僕がどんなふうに見えてる?」

「べつにふつうだが……強いて言えば頭のてっぺんから手みたいなのが生えてるな」

「ふつうじゃないね……」


 廻は苦笑し、何もない空間から出現させた自身の杖を両手で握った。


 魔法を発動する。

 瞬時に練り上げた魔力の波動でふわりと揺れる廻のローブに気づいたのは、ルクスだけだろう。


「まって、なんか廊下が歪んで見えてきたんだけど。明智さんのミイラは荒ぶりすぎだし!」

「おいやべぇぞ! 石膏像に足が生えて走ってきた……! げっ。花子さんと並走してる!?」

「猿飛さん、ついに髪の毛までなくなったっす……!」

「だれがハゲだ! ──って、あれ」


 ──消えた、と。


 呆然とした猿飛の呟きが響く。


 その声を最後に三人の叫びがぴたりととまった。

 ひとつの前触れもなく嵐が静まったあとの夜のような、不自然な無音が廊下をする。


 狐につままれたようにあたりを見回す猿飛たち。

 三人とも何が起こったのかわからないというように目を丸くさせている。


 彼らの目には互いの顔が正常に映っていることだろう。花子さんや石膏像も、もう見えてはいないはずだ。


「幻覚だよ。あのピアノの音が僕らに幻をみせてたんだ」


 衣擦れの音すらしない静寂の中で廻は言った。


 自分たちが見ていたものは、すべて現実ではなかったのだと。


 ルクスが攻撃した人体模型が消えてしまったのもそのためだ。

 最初から存在しないのだから、手応えなどあるはずもない。


「だから魔法で一時的に聴覚を奪わせてもらった。……って、これも聞こえてないか」


 杖の先で床を叩いて自身が発動した魔法を解除し、眉を下げて廻は笑った。


 しばし無音の世界にいた猿飛たちが、はっと息の仕方を思い出したかのように動いて一斉に廻を見る。


 廻たちを惑わせていたピアノの音はすでに聞こえなくなっていた。この状態ならもう幻覚に惑わされることはないだろう。


「何が起きたんだ……?」

「ピアノの音が幻覚をみせてたんだろ。だから廻がオレたちから聴覚を奪った。さっきの曲を聴かせないためにな。ちがうか?」


 廻の説明が聞こえていなかったはずのルクスだが、その口振りは確信めいたものだった。


 やはり彼は廻と同様、最初の段階で自分たちの身に起こった現象の正体を把握していたのだ。


「うん、ごめんね。勝手に魔法をかけてしまって」

「それで一瞬なにも聞こえなくなったんすね」

「そうだったのか……サンキューな小津佐。おかげで頭がおかしくならずにすんだぜ」

「てか小津佐くんの杖かっこいいね〜 いまどき珍しい長杖だ」


 先程までの騒動が嘘のような和やかさで白雪が言い、手帳とペンを手にした明智が、新たな餌を発見した小動物のような様子で廻に詰め寄る。


 その勢いに廻はびくりと肩を揺らした。

 

「さすが話題の編入生っす! 他人の五感を操るなんて高度な魔法をどこで覚えたんすか!?」

「えっと……」

「廻、お前その杖あまり人に見られたくないって言ってなかったか」

「それはそうなんだけど、()()()()()()には杖なしじゃ対抗できなかったから」


 廻たちを幻の怪談の世界に引きずり込んだピアノの旋律。


 あの音を完全に遮断するには、相当な魔力を消費する必要があった。

 混乱する事態を一刻も早く収めるため、廻は杖で自分の魔法を強化するしかなかったのだ。


「聴覚を消しちゃえば関係ないんじゃないの? そもそも聞こえなくなるんだから」

「強い魔法はそれすらも突破してくるんだよ。要は使い手同士の魔力の競り合いだ。相手の魔力の方が強かったら聴覚遮断も無効にされてただろうな」


 白雪の疑問にルクスが答える。


 彼の言うとおり、廻が杖を使う必要に迫られるほどの精度の高さと魔力の密度が今回の魔法にはあった。出し惜しみをしている場合ではなかったのだ。


「魔法……って、魔法なのか!? 幽霊じゃなくて!?」

「そうだね」

「だ、だれがそんな魔法を使ったんだよ。こんな時間に、こんなところで……」

「ああ、それはたぶん──」


 不安げな表情を浮かべる猿飛を前に微笑んだ廻が、自身の杖を消しながらその答えを述べようとしたときだった。


 カツン、と。


 廻たちのものではない靴の音が廊下に響いた。階段の方から聞こえてくる音だった。


「──おいおい。今度はいったいどこのガキ共が潜り込んできたのかと思えば……よりにもよってうちのやつらかよ」


 心の底から面倒だというような低い声。


 気だるげに響いたその声に聞き覚えしかない廻だったが、それはおそらく他の四人も同じだろう。


「肝試しをすんのは勝手だが……人の安眠を妨害するのは感心しねぇな」


 この不良生徒どもが。


 そう吐き捨てながら階段から下りてきたのは──廻たちのクラスの担任、音無(おとなし)だった。



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