26 寮に人体模型って
人のいない寮の廊下を五人で歩く。
窓から差し込む月明かりがかろうじて灯りの役目を果たしているが、暗いことに変わりはない。
右手に持った杖の先に魔法で光を灯した明智が先導し、残る四人がそのあとをついていくかたちで廻たちは進んでいた。
「ひっ」
「ただの風っすよ」
みしりと軋んだ窓の音に猿飛が肩を跳ねさせ、廻の背後に隠れるようにその身を縮める。
そんな同級生を尻目に明智は言った。
「とりあえず四階を目指しましょう。人影が見えるのも電気がつくのも、幽霊の目撃状況があったのもぜんぶ四階って話っすから」
「おい、なんか寒くないかここ……」
「気のせいっすね。むしろ蒸し暑いくらいっす」
今回のメンバーの中でいちばん体格のいいはずの猿飛だが、恐怖に震えるその姿はやはりどこか頼りなげだ。
それでも明智の暴走に付き合うのだから彼は本当にいい人だと廻は思う。校則違反は校則違反だが。
「──あの、明智さん」
「ん? なんすか小津佐さん」
「その……魔女の家が襲われたっていう昼間の話だけど、君のところの部長さんはどうやってその情報を入手したの?」
前を歩く明智に近づき、気になっていたことを小声で尋ねる。
そんな廻を上目で見て、彼女はふっと肩をすくめた。
「それが教えてくれないんすよ。うちの部長、人の秘密はすぐ暴こうとするくせに自分のことはあまり語らない人だから」
「じゃあ、他になにか言ってた? 魔女の家が狙われた理由とか……」
「いえ特には……あ、でもおかしなことは言ってたっすね。部長にしては荒唐無稽な話だから珍しいなって思ったんすけど」
「おかしなこと?」
廻が首をかしげると、明智は何かを思い浮かべるように暗い天井に視線を移した。
「今回の襲撃事件の首謀者は、四年前にアメリカの魔法で造られた人間研究所を壊滅させた犯人と同じだって」
廻は目を見開いた。
思わず立ちどまりかけたところで、後ろにいた猿飛が明智の言葉に反応する。
「おい。なんだよその、魔法で造られた人間研究所って……」
「これはさすがに知らないっすよね。魔女ドロシーが設立した魔法で造られた人間を製造するための施設がアメリカにあって、けどそこは数年前に解体しちゃったって話っす」
「はあ……? 魔法で造られた人間って、ふつうに十戒違反じゃねぇか」
「いいんすよ。ドロシーがすることなんだから」
明智の眼鏡がきらりと光る。
その返答に声を詰まらせた猿飛に代わり、白雪が口を挟んだ。
「いま起こってる襲撃事件の犯人と、その施設を壊滅させた人が同一人物ってこと? ……たしかに、そんなやばいことができるんなら魔女の家を狙うのだって難しくはないかもね」
「それはないっすね。──研究所を滅ぼした犯人たちはもうこの世にいないんすから」
「え?」
だから荒唐無稽なんすよ、と自身の眼鏡を押さえて明智は言う。
「αとβ。ドロシーの最高傑作と呼ばれた二名の魔法で造られた人間。被験体として施設にいた彼らが、その事件の首謀者だったと言われてるっす」
白雪が驚いたように口を閉ざす。
明智はそんな彼女をちらりと見てから、二階へと続く階段を上り始めた。
「要は謀反っす。当時まだ子供だった二人が施設の研究員と他の魔法で造られた人間たちを巻き込んで自害。αとβの両名を含む六十人近くが犠牲になったっていう、魔法界きっての大事件っすよ」
「なんだよそれ、やべぇな……」
つーかなんでそんな事件がニュースになってないんだよ。
そう疑問を口にする猿飛に、魔法で造られた人間の話なんて世に出せないでしょ、と明智が答える。
「廻」
明智たちの会話を後ろで聞いていた廻の隣にルクスが並んだ。
そっと耳打ちをするような声。暗がりでもわかる青い双眸がじっと廻を見つめていた。
心配されているのだとすぐにわかった。
魔法で造られた人間の話題が出たことで廻が居心地の悪い思いをしていないか、彼なりに気にかけてくれているのだ。
「ありがとうルクスくん。でも、大丈夫だよ」
相手の目を見つめ返して礼を告げると、わずかに頬を赤くしたルクスにすっと顔を背けられてしまった。
「くそ、お前が変な話するから余計に寒くなってきたじゃねぇか……」
「え~? 先に話し始めたのは小津佐さんっすよ。てか小津佐さん、もしやこの類いの話に興味がおありで?」
「い、いや、そういうわけじゃないんだけど……」
「ねえ、なんか聞こえない?」
声を潜めることも忘れて話しながら階段を上がっていると、白雪が何かに気づいたように立ちどまった。
廻たちも同様に足をとめる。
息をとめて耳を澄ました。
するとたしかに音が聞こえた。上の階から聞こえてくる音だった。
「これ……ピアノの音……?」
ひえ、と猿飛が素っ頓狂な声を上げる。
白雪の言うとおり、廻たちの耳に届くのはまちがいなくピアノか何かの楽器によって奏でられる音色だった。
緩やかな旋律。美しくもどこか哀しい。
「さっさと帰れって言われてるんじゃないか」
「え?」
「『家路』だろ、この曲。交響曲第9番の」
「あ~ たしかにこれ、昔地元で夕方になると流れてたかも」
ルクスの発言に納得したように白雪が頷いた。
一方の猿飛はやはり顔面蒼白で、両手で耳を塞いでぷるぷると震えている。
「帰れって、だれが、そんな」
「やっぱ幽霊じゃないっすか」
「ひい!」
「そもそもこの寮にピアノが置いてあるわけないじゃないすか。ふふ、噂どおりでワクワクしてきたっす。様子を見にいくっすよ!」
「おおお、おい……!」
きらきらと目を輝かせながら駆け出した明智を追い、廻たちは三階の廊下に出る。
給湯室や談話スペースのある一階とはちがい、三階にはいくつもの同じ部屋が奥までずらりと並んでいた。
かつての寮生たちの部屋だ。
「ま、まじでどこから流れてんだよこの曲……って、うお!?」
さっと廻の後ろに隠れる猿飛。
彼が怯えたのは、廊下の窓が激しく揺れたからだった。
「風!? 風だよな!?」
「いや……揺れてるね、窓自体が」
窓というより建物かな、と廻が答えると、ひえっと声を上げて猿飛は首をすくめた。
廊下の端から端までの窓が、ガタガタと断続的に揺れている。
いつガラスが割れてもおかしくないほどの振動だった。壁が軋む音とピアノの旋律が混ざり合い、異様さを増した空気が廻たちを包み込んでいる。
さすがの明智たちも驚いているようだ。
きょろきょろと辺りを見回した白雪が、不安そうな声で呟く。
「地震?」
「自然な現象じゃねぇな。これはふつうに──」
「なっ!」
ルクスの言葉を遮るように猿飛が叫んだ。
大きく目を見開き、何かを指差しながらはくはくと口を動かす猿飛に廻たちは首をかしげる。
彼の視線の先を追うと、数メートル先の部屋のドアが開いている光景が目に入った。
そう。開いていたのだ。だれもいないはずの部屋の扉が。
「うわーーっ!」
「ちょ、猿飛うるさい!」
「だって見ろ! なんか出てきた!」
猿飛が叫ぶのも無理はない。
ギイ、と鈍い音を立てて少しずつ開くドア。
その中から人影のようなものが出てきたのだ。
廻たちは息を詰め、その影が完全に姿を現すのをじっと待った。
ぎゅ、と猿飛が廻のローブを強く掴む。廻もごくりと唾をのんだ。
「ひ……!?」
部屋の中から現れたのは──脳みそが剥き出しの四肢のない人間だった。
「ぎゃーーっっ!!」
「もー! だからうるさいってば!」
「なんでだよ! 逆になんでお前らは叫ばないんだよ! 見ろよあれ!」
部屋の中から出てきたのは、正しくは人間ではない。
人間のかたちをした模型だった。
曝け出された脳みそと臓器。赤と青で色分けされた血管。顔の左半分には皮膚がなく、眼球や頬の筋肉が丸見えだ。
──いわゆる人体模型である。
「落ち着いて猿飛くん! ただの人体模型だよ……!」
「人体模型は怖いだろ!?」
宥めるように声をかける廻と、そもそも動いてる時点でただの模型じゃないだろ! と大声で主張する猿飛。
その後ろで明智は手帳にメモをしていた。取材の内容を記録しているらしい。
「つーかなんだよ寮に人体模型って! 理科室だろふつうは!」
「げ。なんかこっちに向かってきてない?」
わずかに顔を引き攣らせた白雪がそう言うのと、猿飛が白目になるのは同時だった。
人体模型が全速力で駆けてきていた。
足がないので駆けるという表現が正しいかはわからないが、廻たちの方に向かってたしかに前進してきていたのだ。




