20 影のない世界だよ
──あいつは影を操る魔法を使うのかもしれない
ルクスとの勝負の前、教室の外の廊下に廻を呼び出し猿飛は言った。
廻がルクスに絡まれるきっかけをつくったのは自分であると責任を感じているのだろう。彼なりに助言をしようとしてくれたのだ。
実際のところ猿飛にはほとんど非がなく、撫子の言うとおり今回のことは自分たちだけの問題であると廻は思っているのだが。
──お前も見てたと思うけど、俺の銀の欠片は二回に分けて一瞬でルクスの野郎に破壊された。一度目は同時に四つ、二度目に残りの二つ。正直いまでも何が起こったのかよくわかってねえ
フェアじゃねぇかもしんねぇけど、と前置きして猿飛が語ったのは、一日前に行われた彼とルクスのオズマの全容だった。
試合開始の合図の直後。身体強化魔法で脚力を向上させた猿飛は、先手必勝を狙って俊足でルクスに近づき、相手が持つ銀の欠片を素手で叩き割ろうとした。
だが、その瞬間に猿飛自身の銀の欠片が砕け散った。
そのとき猿飛が立っていたのが、柱によって地面にできた影の上であったという。
──いまになって振り返ってみればって話だけどな。あのときはわけがわからず咄嗟にルクスから距離を取ってよ。追撃を警戒して別の柱の影に隠れたんだ。そしたら即試合終了ってわけ
──でも、それだけじゃルクスくんが影の魔法を使ったって断言できないんじゃ
──まあな。けど感じたんだよ。二度目の攻撃を受けたとき、俺が踏んだ影の上でとんでもなくデケェ魔力が流れんのを
そう言って強く拳を握りしめる猿飛だったが、悔しそうな動作とは裏腹に、その口調はいたって冷静なものだった。
──俺はそれほど魔力の感知能力が高くねぇ。魔力感知の授業の成績はいつも最下位だし。……そんな俺でもわかるレベルの魔力をあの影から感じたんだよ。それに……
あいつ俺に言ったんだ、と。
そのとき自分が書いたルクスの言葉を、猿飛は廻に伝えた。
──“物陰にいていいのか?”って
(──ルクスくんは、僕が柱の近くに逃げるよう攻撃を操作してたんだ)
猿飛の助言を忘れていたわけではない。頭の隅にはたしかにあった。
だが、その危険に考えが及ぶ前に影のもとまで誘導されてしまった。
「物陰には気をつけろよ。──何が起こるかわからないからな」
「!」
挑発するような笑みを浮かべたルクスの言葉に、廻は目を見開いた。
彼の発言は、廻を攻撃した魔法の秘密が影にあると自ら暴露しているようなものだ。
知られてもかまわないのか、他になにか狙いがあるのか。
そう廻が戸惑っていたときだった。
「──!?」
視界の端で何かが光り、一瞬、ちかりと目が眩むような感覚に襲われた。
次の瞬間。パリン、と再び硝子が砕ける音がした。
三つ目の銀の欠片が破壊された音だった。
(いまのは──)
廻はすでに柱の影から身を退いている。
いまのような目に見えない攻撃が影から発されるものだとすれば、ルクスの魔法は対象が影の上にいようがいまいが関係ない、ということになるのではないか。
いや、ちがう。
影ではないのだ、と廻は思った。
「……おいおい。いいのか?」
紺色のローブをばさりとなびかせ廻は走った。フィールドの隅にある高い柱の陰に隠れるためだった。
そんな廻をルクスは意外そうな顔で見つめていた。
物陰には気をつけろ、と忠告した直後の相手の行動。彼が不思議に思うのも無理はない。
「……ふう」
駆け寄った先の柱に背をつき、息を整える。
廻が立つのは、柱に隠れたルクスの視界に入らない位置。沈み始めた太陽が正面に見える場所だった。
つまり影の反対側。夕日に照らされた明るい場所に廻はいる。
「影の上じゃなければ平気だとでも? お前はそう頭の悪いやつじゃないと思っていたが──」
嘲笑を含んだルクスの声。同時に感じた魔法の気配に廻は警戒する。
「期待を裏切らないでくれよ」
視界の一部がきらりと光った。つい先程も体験した、目が眩むような不思議な感覚。
いまだ、と廻は思った。
──刹那。
カキィンと、金属のバットでボールを打つような高い音が辺りに響いた。
「!」
ルクスが息をのんだのが廻にはわかった。それもそうだろう。
三度目となる彼の攻撃が、廻の銀の欠片には当たらなかったのだから。
「……鏡か……!」
柱の陰から現れた廻の姿をとらえたルクスが、はっとしたような声を上げる。
彼の言うとおりだった。
廻は魔法で鏡を生み出し、それを残る三つの銀の欠片を守るために使用したのだ。
楕円の形をした小型の鏡を複数個。
銀の欠片のまわりに張り巡らせることで防御壁の代わりとした。
先ほど響いたのは、それらの鏡がルクスの魔法を一度に跳ね返した音だった。
弾かれた攻撃は周囲の柱や地面に当たり、それぞれの表面を深く抉った。
全部で三か所。どうやらルクスはこの攻撃で廻のすべての銀の欠片を割るつもりだったようだ。
「わざわざ鏡を選んだってことは……オレの魔法の正体に気づいたか」
頭上からぱらぱらと柱の瓦礫が降ってくる中、埃のついた自身のローブをはたきながら表に出る廻にルクスは言った。
廻は頷き、ルクスの目を真っ直ぐ見つめて結論を口にする。
「影じゃない。君が操っているのは光だ」
ルクスがふっと口角を上げた。
不敵でありながら、希望のおもちゃを与えられた子供のような印象も抱かせる、無邪気な笑みだった。
「よくわかったな。できるかぎり視認できないよう撃っていたはずなんだが」
「見えなかったからだよ。文字どおり光速だったから。攻撃を受けたときに感じる魔力も、影というよりはその周辺から発せられるものだったし」
「へえ。お前は魔力感知が得意みたいだな。どこかの猿とちがって」
「というより、君があえてわかりやすくしてくれたんだと僕は思ったけど」
複雑な気分を込めた声音で廻が言うと、ルクスの笑みが深くなる。
返事はなかったが、その無言こそが肯定の証だろう。
「影を警戒するよう仕向けてくるのもなんだかわざとらしかったし……きっと猿飛くんが僕に進言することも読んでたんだよね。それに──」
「それに?」
「君は闇より光が似合う」
ルクスが大きく目を見開く。
彼自身は虚をつかれたような顔をしているが、それは廻の本心だった。
最初に猿飛の話を聞いたとき、違和感を覚えたのだ。
根拠があったわけではない。それでも、ルクスに影は似合わないと思ったのは事実だった。
「影がまったく関係してないとは思わないけどね。影がないと光は存在できない。──影がある場所でのみ効果を発揮する光、ってところかな」
「……はっ、さすがだな」
お前の分析どおりだよ、と言って青い瞳を細めたルクスが、その右手を自身の胸の前に出す。
空に向けられたそのてのひらの上に、きらりと瞬く光の玉がひとつ浮かんだ。
「一縷の光。自在に光を操るオレの固有魔法だ」
愉しげに笑うルクスのてのひらの上で、光の玉はばちばちと電流のような輝きを放っていた。
球体、直方体、星型──とその形が次々と変わっていく。ルクスが操作しているのだろう。
「ただし発動には条件がある。効果範囲を設定するんだ。その中でのみ自由に光を操れるが……範囲内には必ず影がなくちゃいけない。それも影の割合の方が大きくないと、光はオレのものにならないんだ」
だから廻を影がある場所まで誘導したのか。
ルクスが明かした彼の魔法の性質に、廻の中でいくつかの合点がいった。
廻や猿飛が影の上に立ったとき、ルクスはその一帯を自らの魔法が発動する範囲として設定した。
影の割合が大きくなるよう計算して、光と影が内在する空間を生み出し、その中で対象を攻撃したのだ。
「相手が影の近くにいた方が効率よく戦えるもんね。効果範囲を狭く設定できる分、魔力の消費量も抑えられるから」
「まあな。だが、影が多い場所だと都合のいい理由はもう一つある。単純に魔法の威力が高くなるんだよ」
ルクスの掌上に浮かんでいた光の玉がぱちんと弾ける。
瞬く粒子がふわりと舞い、風に揺れるルクスの銀髪を淡く照らした。
「4:6より1:9。影の割合が大きければ大きいほど、光の威力と精度が増す。光が強ければ影が濃くなる──とは少し違うが」
オレのは面積の問題だからな、と肩をすくめるルクス。
なるほど、と廻は思った。
同時に二つの銀の欠片を割られた一度目の攻撃と、一つ割られて微かに光の気配を感じた二度目の攻撃の違いがわかったからだ。
廻の記憶が正しければ、最初に破壊された二つの銀の欠片はほとんど粉々であったのに対し、三つ目の銀の欠片は比較的荒い割れ方をしていた。
今回のフィールドで地面に影をつくるのは、随所に設置された魔法石の柱だけ。
そして二度目のとき、廻は柱の影から離れた位置に立っていた。
魔法の設定範囲における影の割合が最初よりも小さくなったことで、光の威力に差ができたことが両者の違いを生んだのだ。
「そろそろ互いに本気を出そうぜ。このままおしゃべりを続けていてもオレの勝ちは変わらないわけだが……それじゃあつまらないだろ?」
激流のような魔力の渦がルクスを取り囲み、彼の銀髪や制服の裾をぶわりと浮かす。
廻ははっとした。不敵に笑うルクス。
その宝石のようなふたつの瞳が、青色の光を放っていたのだ。
(青目……)
ルクスの瞳はもともと青いが、いまの青さはまったくの別ものだった。
青目。膨大な魔力を使用するときに目が青く光る、魔女の家で育ったマンチキン特有の現象だ。
幼少期から投与される魔法薬の影響だと言われているが、正しい原理は未だ解明されていない。
「魔法の正体を見破られた以上、もう隠す必要はない。ここからは目に見える攻撃にしてやるよ」
廻に真っ直ぐ向けられるルクスの右手。
まるで銃を撃つような手のかたちに、廻が警戒したのも束の間。
キィンと耳鳴りのような音がした。
視界を遮る眩い光。肌を刺すような鋭い魔力。
──硝子が割れる高い音。
廻の四つ目の銀の欠片が破壊されたのだ。
「……っ!」
間髪入れずに次の攻撃が放たれる。
光の斬撃だった。
縦長の四角い窓から部屋に差し込む光のような、一本の帯にも見える輝きが複数。柱や地面にぶつかり乱反射をくり返しながら、廻を狙って多方向から飛んでくるのだ。
廻は全身を覆う防御壁を展開してそれを防いだ。
だが、今度のルクスの光は先程までの瓦礫の弾丸とはその威力が比べものにならない。
現在は放課後。夕方だ。陽が沈み始めたことで、柱の影が試合の開始時よりも長くなった。
一縷の光の発動条件を満たしやすくなったというわけだ。
(それにしてもこの威力は……複数の範囲で同時に光を操ってるのか)
いくら影が伸びたといっても、フィールド全体としてはやはり光の面積の方が大きい。
だからルクスは自身の魔法が正確に発動するよう、範囲を小分けにして影の割合が多くなるよう調整している。
「……君はすごいな」
思わず称賛の言葉がこぼれる。
その間もルクスの光は様々な方向から廻を襲い、強固に張ったはずの防御壁を着実に削ってくる。
パリン、と廻の背後で浮遊していた銀の欠片が砕け散った。
これで五つ目。最後の六つが破壊されれば、廻の負けが確定してしまう。
(ルクスくん、君は……)
廻は思った。やはり彼のことが知りたいと。
なぜルクスは自分に勝負を挑んだのか。
マンチキンである己の力を誇示するためだろうと猿飛は言っていたが、廻にはそうは思えない。
──小手調べだ。これくらいは余裕で対処できるんだろ
──期待を裏切らないでくれよ
試合開始からルクスが発した挑発的な台詞の数々。
思えば最初から、ルクスの行動はすべて廻を試すようなものだった。
──お前は、オレと同じなんだろ
彼はいったい、廻に何を期待したのだろう。
自分たちが同じとは、いったいどういう意味なのか。
(ちゃんと話したい。ルクスくん、僕は君と──)
そのために、まずはこの状況を打開しなくては。
睫毛を伏せ、祈るような気持ちで廻は自身の魔力を練り上げる。
足元に生まれる風。
廻を中心として巻き起こる魔力の波動がフィールド中に伝播し、その流れに気づいたルクスがはっと青色の瞳を瞬かせる。
(この魔法を使えば僕は……ううん、それでも)
瞬間、眩い光が二人の身体を包み込んだ。
「……なんだ、ここは……」
呆気に取られたようなルクスの声を廻は聞いた。
風に揺れる木々のざわめきも、見学の生徒たちの歓声も聞こえないこの場所では、独り言のように放たれた小さな声であってもよく響く。
「──影のない世界だよ」
廻とルクスは真っ白な世界にいた。
他に人のいない、物もない。
影のない、廻が創り出したふたりきりの空間に。




