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オズの十戒  作者: きのみや
阿夜撫子編
14/18

13 度、合ってなかったから



「どうして、あなたが……」


 小津佐(おづさ)(めぐる)

 存在しないはずの風紀委員を自称し、ありもしない校則を並べ立てる不思議な少年がそこにいた。


 騒ぎに気づいて授業を抜けてきたのか。

 そうだとすれば、なぜ彼以外の生徒や教師は集まってこないのか。


「不思議な色をしているんだね、クロユリって。なんだかとてもミステリアスだ」


 君らしくて素敵だ、と。


 場にそぐわない穏やかな声で彼は言う。


「ああでも、阿夜さんは白い花の方が好きなのかな」


 廻の手には杖が握られていた。本人の背丈ほどある木製の長杖だった。

 その杖を前にかざし、少年は微笑んだ。


「実習のときに咲かせていたランもきれいな白だったもんね。──なら、こうしようか」


 円を描くような風が吹き、廻が羽織る紺色のローブがふわりと浮かぶ。


 気づけばその足元に大きな魔法陣が出現していた。


 眩い光が辺りを包む。少年の足元で輝く魔法陣から生まれた光だった。


 次の瞬間、撫子の目に信じられないものが映った。


 暴発した花園作成(ガーデン)によって自分が咲かせたクロユリ。

 そのすべての色が、黒から白に変化している。


 陰鬱な雰囲気を持つ暗褐色の花弁ではない。

 白銀の、雪のような眩しさを放つ白百合になっていたのだ。


(──きれい)


 辺り一面に咲き誇る美しいユリの花に、撫子はしばし見惚れた。


 彼がやったのか。突然現れたこの黒髪の少年が、撫子の魔法に干渉して。


 ありえないと撫子は思った。よほど魔法の能力が高くなければ、自分の意思で他人の魔法を操ることなど不可能なはずだ。


 プロの魔法使いになる前のオズの学生。それも高等部からの在籍である遅咲きの編入生に、このような芸当ができるはずない。


「阿夜さん。大丈夫?」

「……なぜ、あなたがここにいるの……」

「僕? ──ああ、校則違反を取り締まりにきたんだ」


 は、と掠れた声が出た。

 手を伸ばせば触れられる距離にまで近づいてきた廻は、動揺と困惑を隠せない撫子とは対照的に、柔和な笑みを崩さなかった。


「校則その一、第一条。正当な理由のない欠席、遅刻、早退の禁止」


 純白に輝くユリの花々に囲まれた空間で、いつか撫子が教室で聞いた言葉を彼は口にする。


「午後の授業、もうとっくに始まってるよ。これは立派な校則違反だから──阿夜さんには反省文を書いてもらわないと」

「何を、言って」


 震える唇から覇気のない声がこぼれる。


 ふざけないで、と思った。

 この少年が発する言葉の意味が、心の底からわからない。


「校則違反? おかしなこと言わないで。正当な理由なら、あるわ」

「……」

「私は、阿夜家の次期当主なの。学校に行っている暇なんかない。……父の……母のためにも、私が……私が、務めを果たさないと」

「そうかな」


 すっと少年の顔から笑みが消え、一点の曇りもない眼鏡の下の黒い瞳が真っ直ぐに撫子をとらえた。


 びくりと肩を揺らし、撫子はそんな相手の顔を凝視する。


「僕はそうは思わない。──だって阿夜さん、本当は学校が好きでしょ」


 当然のように言われてはっとした。

 大きく目をみはり、撫子は言葉を失う。


「君自身が納得して学校を休んでるならいい。けれど、もしそうじゃないならそれは正当な理由とは言えないよ」

「……!」

()()()()()()()()正当な理由じゃないなら、僕は認めない。君の欠席も、遅刻も、早退も、ぜんぶしつこく取り締まってみせる」


 風紀委員だからね。


 そう言って廻は笑った。

 初めて彼と会話をした日からまだ一ヶ月も経っていないはずなのに、幾度となく向けられてきたように感じる、懐かしい笑みだった。


「だから阿夜さん、僕と──」

「っ、やめて!」


 伸ばされた手をぱしんと振り払う。

 カシャン、と何かが地面に落ちる音がした。廻の眼鏡だった。

 撫子が腕を振り上げた拍子にその指先が縁に当たり、弾き飛ばしてしまったのだ。


「阿夜さん?」

「……むりよ。だって私は──」


 崩れ落ちるようにへたりと地面に座り込み、胸元のボタンに指をかける。

 白いシャツをぐいと手ではだけさせ、自分の肌を空気に晒した。


「異端者だもの」


 心臓のあたりに赤黒い線で描かれた、花の形を模した禍々しい紋様を廻に見せる。

 震えながら撫子はうつむいた。相手の顔を見られなかった。


「あなたが前に言っていたのはこのアザのことでしょう? ……私は戒律を破ったの。魔法使いとして、絶対にしてはならないことをした」

「……」

「だからもういい。私はもう……」

「ちがう。それは本物のアザじゃないよ」


 きっぱりとした否定の言葉に顔を上げた。


 その瞬間、右手に持った長杖の先を撫子の胸のアザに向けている廻と目が合う。


 突き付けられた杖先に、白い靄のような光が灯った。


 途端に感じるあたたかさに再び撫子は目を見開く。

 陽だまりの中にいるような気分だった。撫子が見上げた先。


 杖から放たれる光の向こうにいる少年は、やはり春の日差しのような、やわらかな笑みを浮かべていた。


「……!」


 パリン、と硝子が割れたような音がした。撫子の胸元で響いた音だった。

 呆然とする撫子の前できらきらと舞ういくつもの光の欠片。


 それは()()()()()だった。


 撫子の胸に刻まれた異端者の烙印が、光となって弾けるように飛び散ったのだ。


「よくできているけど偽物だ。本物の烙印はそんなにきれいなかたちをしてないし、所有者の魔法に合わせた律儀な暴走もしてくれない」


 真面目な顔をした廻が、静かな声でそう言った。

 それを聞いた撫子は、自身のはだけた胸元に視線を落とす。


 赤黒く刻まれていた胸のアザは、きれいさっぱり消えていた。気を失いたくなるほどの心臓の痛みも。


 彼が──廻が、消してくれたのか。


「本物はもっと歪で、恐ろしくなるような美しさがあって……見ているだけで息ができなくなるほど、邪悪な魔力を放っているんだ」


 だから君は異端者じゃない、と断言する廻に、掠れた声で撫子は問う。


「……どういうこと」

「君は異端者になるよう仕向けられたんだよ」

「仕向けられた……?」

「そう。──あなたですよね。阿夜さんの胸に偽物のアザを刻んだのは」


 廻の視線が撫子の背後に向く。

 声をかけられたその人物は、びくりと肩を揺らしてあからさまに動揺する姿を見せた。


 幹枝だ。

 確信を持ったように発言する廻の瞳がとらえたのは、撫子の教育係の女性だった。


「阿夜さんを異端者に仕立て上げて、罪の意識をすり込んで、いずれ本当に戒律違反を起こさせるつもりだったんでしょう。偽物のアザをつくる魔法はだれに教わったんですか?」

「……何をわけのわからないことを。偽物ですって? なぜあなたにそのようなことが言えるのですか」


 平静を取り繕うように鼻を鳴らした幹枝が、撫子の前に立つ廻に挑発的な目を向ける。


「破戒者の烙印がどんなものかを知っている者など、そうそう存在しないはずです。十戒を破ることは魔法使いにとって何より重い罪なのですから。……それとも、あなたは本物の烙印を見たことがあるとでも?」

「あります。……何度も」


 幹枝が目を見開く。撫子も同様だった。


 冷静なのは、衝撃の言葉を口にした本人だけだ。

 幹枝を見つめる彼の表情は真剣そのもので、嘘や冗談を言っているとは思えない。


「聞き方を変えますね。あなたにアザの魔法を教え、阿夜さんを異端者にするよう唆したのは──“蛇”と名乗る魔法使いですか?」

「!」


 幹枝の顔色が変わった。図星をつかれたような表情。

 その反応を見た廻がわずかに目を伏せたのを、撫子は見逃さなかった。


 やっぱり、と呟く少年に撫子は問いかける。


「小津佐くん、あなたは一体……」

「……ごめん阿夜さん」

「え?」

「僕はあの人を捕まえなくちゃいけないみたいだ」


 両手に杖を握りしめ、覚悟を決めたような表情をした廻が足を一歩前に踏み出す。


 地面に座り込んだままの撫子の横を抜け、彼はそのまま幹枝の方へ歩みを進めた。


「捕まえるですって? あなたが私を?」


 馬鹿にしたような視線を廻に向ける幹枝だったが、その声にはわずかな震えが滲んでいる。彼女が動揺していることはあきらかだった。


「撫子さんの同級生なのでしょう。つまりあなたはただの学生。魔法使いとしての正式な資格も持たないひよっこに…………この私が捕まるとお思いですか!」


 懐からさっと自身の杖を取り出し、幹枝が叫ぶ。


 瞬間、大きな魔力が彼女を中心として辺りに広がり、周囲の草木や敷地を取り囲む塀をミシミシと震わせる激しい渦を巻き起こした。


 幹枝の両横、背後の地面がボコリと大きく膨れ上がる。


「──促成樹木(ドリアード)!」


 前方に杖をかざした幹枝が魔法の名称を唱えると同時に、地中から複数の影が現れた。


 木だ。


 地面を下から突き破るようにして生えた数本の巨木が、要塞にも似た威圧を放って幹枝の体を取り囲んでいる。


(幹枝さんの固有魔法……! 久々に見た……)


 幹枝が阿夜家の教育係となったのは、彼女が得意とするのが撫子と同じ植物系の魔法だからだ。


 木を生やす魔法自体は珍しいものではないが、これほどの精度とスピードで同じことをやってのける魔法使いを、撫子は幹枝の他に見たことがない。


「阿夜家の未来を邪魔する者に容赦はしません。後で記憶を消してしまえば問題にはなりませんし、少し痛い目を見てもらいましょうか」

「……」

「撫子さんの魔法の暴走に巻き込まれた、ということにするのもいいかもしれませんね。魔法で同級生を傷つけたとなれば、撫子さんはこの学園にいられなくなる。阿夜家の当主としてのお勤めにも専念できるというわけです」

「……そんなことをしたら、阿夜さんは魔法使いになる権利を失うんじゃ」

「その心配はいりません。撫子さんには公英さんがいるのですから。不祥事の一つや二つ、揉み消すなんて容易いことです」


 なんてことを、と撫子は思った。


 そして気がつく。廻の言葉が真実なら、自分は十戒に背いていない。


 ここ数年の叔父の優しさは、魔法によってつくられた偽物ではなかったのだと。


「殺すつもりはありませんよ。さすがの魔法大臣でも、人殺しの罪まで庇えるかどうかはわかりませんから」


 四方に伸びたいくつもの枝の先端が鋭利な刃物の形状に変化し、意思を持った生き物のように、その矛先を廻に定めた。


 ビュン、と風を切るような勢いで飛んできた枝の攻撃が一斉に廻を襲う。


 撫子は息をのんだ。

 あんなものが直撃すればひとたまりもない。まちがいなくかすり傷では済まないだろう。


「危ない……!」


 必死に声を張り上げて身体を回し、地面についた膝に力を込めた。


 そのときだった。

 ザン、と鋭い音が響いて、廻を狙う気配のすべてが一瞬のうちに消失したのは。


「……へ?」


 ぽかんと口を開けた幹枝が、ぽつりと呆けた声をこぼす。

 彼女が生み出し、廻に向けて放った凶器とも言える木の枝。


 そのすべてがばらばらに切り刻まれたのだ。


 呆然と立ち尽くす幹枝と、杖を握ったまま静かに佇む廻の間に、細切れにされた無数の枝がボトボトと落下する。


(……なんなの。この魔力は……)


 何が起きたのかわからない、と言ってしまえば嘘になる。

 撫子は理解していた。おそらく幹枝も。


 この現象を引き起こしたのは、廻なのだと。


 どんな魔法を使ったのかはわからないが、幹枝の攻撃を相殺したのが彼であることにまちがいはない。

 その証拠に、いま撫子たちがいる空間を支配するのは廻が放つ魔力だった。


 幹枝の魔力を遥かに凌ぐ大きな魔力。


 凪いだ海のように静かでありながら、荒れ狂う風のような激しさもある。

 陽の下にいるようなあたたかさも感じられる。


 不思議な感覚だった。

 クロユリが変化したときや、胸の刻印が消えたときに撫子の身体の中に流れ込んできたものと同じだ。


 物心ついたときから相当な実力を持つ魔法使いたちに囲まれて生きてきた撫子だったが、これほどの魔力を有する人間が、その中にいったい何人いただろう。


(……季節外れの編入生、異常な魔力量。……アザを何度も見たことがある。幹枝さんを、捕まえなくちゃいけない……)


 点と点がつながっていくような気がした。

 はっとする撫子だったが、それは幹枝も同じだったのだろう。


「……あなたは、まさか──」


 引き攣った表情を浮かべ、彼女は震える声で叫ぶ。


「トト、なのですか……!?」


 問われた側である廻の方は冷静だった。

 動揺する素振りを微塵も見せず、顔色ひとつ変えることなく彼は頷く。


「はい。──僕は異端審問官(インクイジター)です」


 落ち着いた、それでいて重い響きを含む声。


 そのはっきりとした返事に撫子は目をみはった。

 予想はしていたが、あらためて聞いてもやはり信じられない気分だった。


()()()()()を捕えるため、潜入捜査として僕はこの学園に編入してきました。そして“蛇”はその異端者の関係者とされています」

「……っ」

「だから僕は、“蛇”と接点のあるあなたをここで見逃すわけにはいきません」


 幹枝がぐっと顔をしかめた。

 そんな彼女のもとに再び歩き出した廻の背に、撫子は呼びかける。


「……小津佐くん!」


 廻がぴたりと歩みをとめる。


 その様子を見て、こんなときに自分は何をしているのだろうと撫子は思った。


 声をかけたはいいが、何を言えばいいかわからない。


 聞きたいことも、伝えるべきこともあるはずだが、そのどれもが撫子の中でぐるぐると渦巻いて、何ひとつとして言葉にならなかった。


 彼の任務を邪魔するわけにはいかないのに。


 廻から目を逸らすように顔を下に向け、撫子は唇を噛む。


「……あの、ごめんなさい。眼鏡……壊してしまって」


 結局、撫子の口から出たのはそんな一言だった。


「大丈夫」


 相手がふっと微笑む気配に、撫子は顔を上げた。

 すると廻が自分を見ていた。

 風に揺れる黒髪と紺色のローブ。わずかに細められた黒曜石のような瞳に、やわらかな光が灯る。


「度、合ってなかったから」


 はっとした。

 いつか自分がかけた言葉を彼が覚えていたことにも、その返事が一切の嫌味を感じない穏やかなものであることにも、胸がしめつけられるような思いだった。


 くるりと背を向け自分から離れていく少年の姿を、撫子はただ見つめることしかできなかった。




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