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オズの十戒  作者: きのみや
阿夜撫子編
13/18

12 私のせい


 ──返却していない本があることを思い出した。


 休んだ分の授業の内容を確認するため、鞄の中から教科書を取り出したときのことだ。


 自身がおよそ一週間前に図書室で借りた青いカバーの文庫本が目に入り、撫子はひとり小さなため息を吐いた。


 今日は朝から今週末の仕事相手との打ち合わせがあったが、午後は丸々空いているはずだ。


 本の返却期限まであと三日。明日からはしばらく予定が立て込んでいると幹枝からは聞いているので、返しに行くなら今日しかない。


 学校に行こう、と撫子は思った。


 幹枝には無理して授業に出る必要はないと言われたが、以前に学園長である箭田から苦言を呈された手前もある。



 ──だから私は、あの学園が大好き



 かつての母の言葉が頭をよぎった。


 大量の教科書が詰まった鞄に触れる手に力を入れ、撫子は静かにうつむく。


 お母さん。私は、お母さんとはちがうよ。



**



 裏門から学園の敷地に入る。こちらの方が図書室のある建物に近いからだ。


 昼休みが終わり、ちょうど午後の授業が始まった頃だろう。他の生徒の姿は見えない。


 五限はたしか魔法薬学。撫子の苦手な授業だ。


 だから先に図書室に寄って用を済ませ、六限の授業だけ受けて帰宅しようと撫子は考えていた。


 成績が悪いわけではない。むしろ数ある魔法授業の中でも、魔法薬学は撫子の得意分野。

 苦手というのは、つまり精神的な意味でということである。


 魔法にできないことはない。


 全治一カ月の怪我も、不治の病も。魔法によって治せない傷病は存在せず、現代医学を超えたその力を世界中の人々が讃えるようになってそれなりの年月が経つ。


 だが、そんな魔法は撫子の大切な人を救ってはくれなかった。


 優秀な治癒師(ヒーラー)は世界に数える程しかいない。

 多くの病に効く薬を調合できる魔法薬師もかぎられている。


 要は先進医療と同じなのだ。簡単に受けられる治療ではない。

 魔法による医療全般を管理するのはオズ魔法協会の役目だが、日本三大魔女の子孫だからといって撫子の母の治療が優先されることもなかった。


 だから撫子は魔法を信じない。

 魔法に不可能なことがあるとすればそれは使い手が未熟なだけだとドロシーは言ったというが、その言葉が真実なら、この世界にいる魔法使いは未熟な者ばかりだろう。


 そしてだれより未熟なのは、きっと。


「撫子さん」


 背後から聞こえた声に立ちどまる。

 振り返ると、そこにいたのは茶色い髪を頭の後ろで一つにまとめ、黒いワンピースに身を包んだひとりの女性だった。


 八雲幹枝。撫子の教育係だ。


「幹枝さん……どうしてここに」

「あなたがお屋敷を出ていかれたというので追いかけてきたのです。まさかと思えばやはりここでしたか」

「……今日はもう他に予定はなかったはずです」

「無理して授業を受ける必要はないと言ったでしょう。ただでさえ今週は忙しいのです。無駄に体力を消費するのもいかがなものかと」

「……」


 無駄、なのだろうか。学校に行って授業を受けるのは。教室という場所をひとつの自分の居場所にするのは。


 阿夜撫子という人間にとって、本当に必要のないことなのだろうか。


「しかし、ちょうどいいかもしれませんね。このまま箭田学園長に挨拶にでも伺いましょうか」

「……挨拶?」

「ええ。撫子さんの退学について話を」

「!」


 息をのむ。鈍器で頭を殴られたような気分になった。


 退学? 彼女は何を言っているのだろう。


「あなたはもうプロの魔法使いなのです。阿夜家の次期当主としてのお勤めがある。他の学生と同じカリキュラムを受けている暇はないでしょう」

「プロじゃありません。資格(ライセンス)を持っているといっても仮のものです。正式な過程を経てオズを卒業しなければ、本物の魔法使いにはなれないわ」


 例外はほとんどない。仮資格(ライセンス)を所持していようが、叔父が魔法省の大臣だろうが、御三家である阿夜家の跡取りだろうが。


 オズ魔法協会が定めた課程を修了することがプロの魔法使いになるための絶対条件だ。退学など許されるはずがないだろう。


公英(きみひで)さんに頼めばいいのです。学校に通わずにオズの卒業資格を手にできるよう取り計らってもらえばいい」

「いくら叔父さんでも協会のルールを変えることはできないでしょう」

「でしたら協会に直接相談してみましょうか。()()()()()()()()()聞いてくださるかもしれませんよ」

「……!」


 幹枝がにやりと口角を上げる。

 妖しい光の宿る瞳にすべてを見透かされているような気分になって、撫子はびくりと肩を震わせた。


「撫子さん。私があなたに学校に行くなと言うのは、なにもお家のことだけが理由ではありません」

「……」

「噂が流れているのでしょう。あなたが戒律七を破った異端者だという噂が」


 はっと目を見開く。

 含みのある笑みを浮かべて自分を見る幹枝を、撫子は凝視した。


「私は知っていますよ。──いま、あなたの胸に何があるのか」

「!」


 今度こそ息がとまった。

 ドクンと、幹枝の視線が注がれた胸のあたりが激しく疼く。


「アザができているのでしょう? それは破戒者の烙印。オズの十戒に反した異端者の証です」

「それ、は……」

「先代──(すみれ)さまが亡くなられてから、あなたの周りの大人たちはみなさん不自然なほどあなたに優しくなりました。ただの同情にしては少し度が過ぎているくらいに」

「……」

「寂しかったのではありませんか? 菫さまがいなくなって、旦那さまと会話をする機会も減って。無意識のうちに周囲の男性に助けを求めてしまったのかもしれませんね」

「……っ」


 ちがう、と首を横に振った。

 ぐっと手のひらに爪が食い込むほど強く拳を握り、撫子はうつむく。


「母親と同じ。魔法を使って男を意のままに操る、色欲の魔女──」

「やめて!」


 両耳を塞いで叫んだ。

 ちがう。ちがう。お母さんはそんなことしない。


「旦那さまも人が悪い。あの方は所詮は婿。阿夜家を守るのは次期当主である撫子さんのお役目なのだから、おとなしく娘のサポートに回っていればよかったのです。そうすれば撫子さんが寂しい思いをすることも……」


 ちがう。そんな言い方をしないでほしい。

 父は母のために、愛した妻が遺したものを守ろうと必死に働いているのだ。


「けれど……致し方ないのかもしれませんね。菫さまが亡くなったことで、文字通り魔法が解けたのでしょう」


 ふっと悪意のある笑みをこぼしながら言われ、撫子の頭が真っ白になる。


「魅了魔法で旦那さまの心を射止めた魔女。それがあなたの母親、阿夜家の六代目当主、阿夜菫だったのだから」


 ぷつん、と撫子の中で何かが切れる音がした。

 心臓が早鐘を打ち、血管が焼き切れるかと思うほどの熱がドクドクと全身を巡る。


 ちがう、と絶叫した。


 他にも何か叫んだような気がするが、わからない。怒りと悲しみに頭が支配されていた。もう何も聞きたくなかった。


「……っ!」


 そのときだった。ボコリ、と足元の地面が膨れ上がる感覚がした。

 次の瞬間、ビュンと自身の視界を遮った影に撫子は驚愕する。


 ──それは植物の蔓だった。


 所々が腐ったような色をした幾本もの長い蔓が、撫子を中心として天高く伸び上がり、ぐねぐねと不規則に動き始めた。


 急速に生長したその蔓の束が、撫子を囲う檻となって空間を圧迫する。


「どう、して……」


 植物を自在に操る撫子の固有魔法、花園作成(ガーデン)が発動している。


 なぜ? 魔法を使った覚えはない。

 使うつもりもなかったのに。こんなことは初めてだった。


「破戒者の烙印には異端者の魔力を暴走させる力があると聞いたことがあります。──やはり、あなたは掟に背いたのですね」

「……!」


 はっとして胸を押さえる。

 火傷のようにじくじくと疼くアザ。

 身体の内側で膨大な魔力が暴れ回る感覚と、制御できないまま増殖を続ける大量の植物の蔓。


 すべてに合点がいった気がした。そして絶望した。


 ──ああ、やはり自分は異端者だったのだと。


「安心してください。私はあなたの味方ですから」


 いやだ。


「帰りましょう。噂が真実として他の生徒たちに知られる前に。退学の手続きは私がしておきます」


 いやだ。

 退学なんてしてもしなくても同じだ、と撫子は思った。


 そうだろう。罪を犯した自分には、帰る場所などもうどこにもないのだから。


「……っ、あ……!」


 ズクリと、これまでとは比にならないほど激しい痛みが撫子の胸を襲った。

 大きな魔力が心臓を突き破って外に出ようとしているような感覚だった。


 あまりの痛みに目を見開いた撫子の視界に、はらりと黒い影が映る。


 それは花弁だった。紫がかった黒色の花。


 腐敗しているかのような毒々しい色を放つそれは、撫子の周りで蠢く蔓の節々から枝分かれするように咲いていた。


(……クロユリ……)


 呪いの花だ。


 撫子は悟る。これはいまの自分の心を表した花なのだと。


(──お母さんが死んだのは、私のせい。元々身体が弱かったのに、無理して私を産んだから)


 助けられなかった。何でもできるはずの魔法は、母の命を病から救う奇跡を起こしてはくれなかった。


(お父さんが話してくれなくなったのも、自分からお母さんを奪った私を、恨んでいるから……)


 そうだ。母は十戒に反してなどいない。

 魅了魔法を使って周囲の人間や──父を自分の思いどおりに操ったなんてこと、ありえない。撫子の両親はたしかに愛し合っていた。


 自分こそが罪人だったのだ。

 幹枝の言うとおり、無意識のうちに戒律違反を犯していたのだろう。


 ズキン、ズキン、と胸元のアザが疼く。

 すべてを覆い隠すように咲き乱れる大量のクロユリが急激なスピードで辺りに根を張っていくのを、撫子はただぼんやり見つめていた。


 できることなら、この檻の中に呑まれてこのまま消えてしまいたい。


 そう思ったときだった。


「──クロユリか。……うん。やっぱりきれいだね」


 花の生長が、ぴたりととまった。


 葉や茎、蔓全体をがさがさと揺らしていた風がやみ、まるで時が停止したかのような無音の空間が撫子を包む。


 いったいなにが。


 訳がわからず戸惑うばかりの撫子だったが、明瞭となった視界の先に映ったものに気がつき、息をのむ。


「……小津佐、くん……」


 校舎の方からゆっくりと歩いてくる者がいた。


 さらりと揺れる真っ直ぐな黒髪。黒い瞳と、それを覆う大きな眼鏡。


 オズの制服である濃紺のローブを身に纏い、迷いのない足取りで撫子のもとに向かってくるのは。


 数週間前にこの学園にやってきた、撫子のクラスの編入生──小津佐(おづさ)(めぐる)という名の少年だった。




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