おねえ様の物が欲しい〜その後の話〜
前作「おねえ様の物が欲しい」の短い後日談です。前作に頂いたコメントとレビューに今一度の感謝を!ありがとうございます!
ある日の昼下がり、テーブルの上に広がるのは沢山の刺繍糸と色とりどりの布。誰かが持ってきたマフィンの、甘い香りが漂っている。
「ロデリカ様、ご機嫌はいかがですか?キルトの進みを見せて頂いても?まぁこれは難しいモチーフですね。いえ、いえいえ、決して進みが遅いというわけではありませんよ。ここの所は年嵩の御婦人でも縫うのが難しいですからね。じっくり取り組むことが大切ですわ」
ロデリカが「えぇ」だったか「はい」だったか、一言二言を呟くうちに、メイベル夫人は十も二十も言葉をかけてくる。次々に繰り出される話題に、ロデリカは曖昧に頷くことしかできない。
「針仕事は根気がいる仕事です。ロデリカ様は素晴らしい素養をお持ちですからね。できることを少しずつやって参りましょうね」
「辺境の冬は長いのです。時間ならたっぷりありますからね。少しずつでいいんですよ、少ぉしずつですからね」
何度目かも分からぬ励ましを受け、ロデリカは「ありがとうございます‥‥」となんとか絞り出すのだった。
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辺境の南端に位置する中継地ヴィトル。街の中央に商人や職人達を取りまとめる商工会議所があり、その片隅には談話室がある。
古びた椅子とテーブルが何脚か置かれた部屋。婦人たちは週に一度そこに集まって手仕事とお喋りに興じる。今は婦人会が冬の間に手がけるパッチワークキルトを手分けして縫っているところだ。
料理の話や庭で採れた作物の話や遠方に住む家族に赤子が産まれたとかなんとか。
そんな話を取り留めなく喋り、娯楽のないこの街を支える女性達は互いの健闘を称え合う。
「フィンモル夫人の所はご苦労がたえませんね。お義母さまが治ったら次は弟さんが病気だなんて」
「そうそう、貴方に教えていただいたレシピ、良かったわ。煮込み料理といえばお宅には敵わないわね」
「それにしても領主代理殿は果報者でいらっしゃるわ。こんな宝石みたいなお嬢様が嫁いでくださるなんて、自慢で仕方ないでしょうよ」「えぇ、本当に」「実際しょっちゅう自慢なさってるものね!」
どっ!と笑い転げる婦人達に愛想笑いを返すロデリカ。
逃げ出したい。ロデリカの心は震えていた。
「皆さん、いっぺんに話かけてはロデリカ様も戸惑ってしまわれるわ。それはそうと、新しい刺繍糸が入ったの、ご覧になった?」
メイベル夫人が助け舟を出す。ホッとしたような、でも素直に喜べないような。
「ロデリカ様、無理はなさらないでね。ここにも来たくない時は無理にお越しにならずとも大丈夫ですよ。もちろん、ロデリカ様にお会いできるなら大歓迎ですけどね。気遣いは不要、と。そういうことですわ。ね?」
逃げ出したいような気持ちを知ってか知らずか、メイベル夫人がそんな風に言ってきた。またもや複雑な気持ちになって、黙り込んでしまうロデリカだ。
放っておいてほしい。
針仕事は好きだ。ロデリカの数少ない趣味だ。黙々と作業したい。お喋りは苦手。
けれど本当にずっと放っておいて欲しいわけではない。針仕事は孤独でもある。たまに励ましてくれる人でもいなけれら、なぜこんな事を必死にやっているのかと考え込んでしまう。
婦人達に会いたくないわけではない。
ただ、疲れる。
疲れるけど足は向く。一週間のうち六日間の日中を一人きりで過ごしたら、七日目の朝は着ていく服を選んでる自分がいる。
自分は何がそんなに負担なんだろう?
そうだ、婦人たちの気遣わしげな視線が重荷なのだ。自分がすごく不出来でつまらない人間になったような気がするから。
前の自分はどうだったろう。
‥‥いえ、実家にいた時はもっともっと辛かった。優秀な妹の影に隠れて、周囲の誰も私に注意を向けなかった。あんな所に比べたらここは天国だ。皆優しくて、半年前に結婚した夫だって優しい。今はよっぽど幸せ。
そう、婦人会だって貴族の茶会なんかよりずうっと過ごしやすいもの。
そう考えて毎週足を運び、婦人たちの名前と顔が一致しだすと少しずつ交わす言葉も増えてきて、ロデリカは益々婦人達に誉めそやされた。
この地に古くから住む女達は領主代理婦人として突然やってきたロデリカが、お高くとまった貴族の印象とは対極の娘であることを喜び、敬いつつもこぞって可愛がった。婦人会の中心であるメイベル夫人はその筆頭だ。
昼下がりの談話室に集まるのは年配の御婦人達が殆どで、若い女性達は家事や仕事で出払っている。同世代の娘と深く関わらなくて済む生活は、ロデリカを安心させた。
上手くこの地に馴染んできたようだと夫のサミュエルも安堵したそんな矢先、ロデリカは倒れた。
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「だから奥方には無理をさせぬようにと言ったであろう?ただでさえ気候に慣れるまでは体力を消耗するんだ。寒さで食欲が落ちたり月の物の間隔が乱れたりな。何?妻の月の物の苦しみを夫のお前に聞かせないわけないだろうがバカ弟!」
マデリンの声がする。
綺麗な声だ。大声でぞんざいな言葉を発しても、まるで舞台女優が歌うような、滑らかで張りのある声。
ロデリカはこの義姉が苦手だ。嫌いなわけではない。ただ、才気に満ちあふれその場にいるだけで人の視線を奪わずにはいられない彼女を見ていると、自分の中の不都合な感情に気付かされてしまう。年嵩もロデリカと変わらぬのにこうも異なるものかと。
マデリンに声をかけられてもロクに気の利いた言葉一つ返せないロデリカは、彼女との会話が最小限に済むように常に距離をとっているのだ。
眠ったままのふりでベッドの中でやりすごすと、壁ごしの美声は途切れ、やがて馬車が走り去る音がした。
サミュエルが寝室に顔を出す。
「お義姉様がいらしてたの?」
「あぁ、煩くて申し訳ない」
「大丈夫よ」
‥‥気まずい。ロデリカはとても気まずかった。急に倒れたと聞いて、もしかしたら子でもできたのかと期待させただろうに。実際は月の物による貧血と、それからきっと季節的なものだろうと。
「‥‥君の実家にも知らせようか。身体のことなら、お義母様が何かお分かりになるかもしれない」
「い、嫌よ、母にそんな話」
まだ子ができぬ事を母に言われるのは嫌だ。不甲斐ないと思われるかもしれないし、自分を責めるかもしれない。母も子ができやすい方では無かったと聞いている。
「そうかい?まぁご心配をかけるのは確かだな。倒れたと聞いて、やはりロデリカに辺境の地は合わないのではと思われても困る。私は君を連れて他の地に移り住むのもやぶさかではないがな」
「え?移り住む?」
子の話が倒れた話に変わり、今度は移住の話になったからロデリカは混乱した。ここには話を整理して教えてくれる者はいないのだ。サミュエルも思いつきで言葉を発するきらいがある。
「あぁ、君とならどこに住んでも良いという、それだけの話だ。別に今すべき話でもなかった。ともかく体を休めてくれ」
サミュエルはぽんぽんとロデリカの頭を撫でて、寝室を出ていった。
ロデリカは泣きたくなった。月の物の痛みで腹がじくじくするから、涙もろくなっている。
ロデリカ自身は気づいていないが、母のことが話題に上り、ホームシックにもなっていた。目を瞑ると綿の寝具のサラリとした感触がして、それが小さい頃に使っていたお気に入りの掛布と似たような肌触りでより泣けてくる。
昔々に味わった感覚がじんわりと蘇り、ロデリカの背を暖めているようだった。
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それから半月ほど経った頃、ロデリカは思わぬ訪問者を得た。またもや貧血でベッドに伏せっていたロデリカは、私室にいるはずもない珍客を迎えて言葉を失った。
「お姉様、お久しぶりです」
「‥‥カメリア?」
久しく会うことのなかった、手紙すら交わしていない妹、カメリア。
王都で結婚式を間近に控えて忙しいはずの彼女であったが、今でなければ機会を失すると考えなんとか行程を組んだ。辺境伯との折衝も当然目的の一つだ。
「本格的に冬になる前に顔を出しておこうと思ってたんですよ。ウィルも来てますが、辺境伯邸に置いてきました。私はここに一晩泊まってもいいですか?寝床がなければ邸に戻りますが」
「ベッドならあるわ!」
「!」
ロデリカが急に大きな声を出したから、カメリアはびっくりして目を丸くした。部屋の隅にいた通いの使用人までも驚いて荷解きの手を止めた。
「あの、客室が小さいのだけど、あの、この隣で、今は荷を置いてるけど空ければ客室になるの。それかこの部屋にベッドを持ってきてもいいわ。小さいベッドだから、私がそっちに寝ても良いの」
「‥‥。」
ロデリカが必死に言葉を紡ぐ様子がカメリアの胸の奥をくすぐった。カメリアの眉尻が下がる。
「‥‥私が小さいベッドで構いませんよ。寸足らずのカメリアなんですから」
カメリアが懐かしい呼び名を出した。身長があまり伸びなかったカメリアを、誰かがからかってつけた渾名に、泣きながら腹を立ててたのは彼女が何歳の頃だったろう。
「ベッドはこの部屋に入れてください。ここは、なんだかとっても良い香りがしますから」
部屋の片隅に飾られた花から優しい香りが漂っている。サミュエルがお見舞いにくれた花束だ。
ロデリカはサミュエルに急に感謝の気持ちが湧いてきて、今目の前にいたら自分から抱きついてしまいそうだと思った。
その日、姉妹は初めて同じ部屋で眠った。カメリアは辺境の地での暮らしのこともロデリカの身体のことも、何も聞かなかった。
ロデリカはカメリアが持ち込んだ懐かしい伯爵家の気配を感じながら、スッと眠ってしまった。
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翌日はすっきりと晴れ、これならば道中も不自由なかろうと誰かが言っているのが聞こえた。
カメリアは、サミュエルとそれから集まった近所の婦人方、夫君方に如才なく挨拶し、悠然と馬車に乗り込み出発した。去り際にロデリカへ片手を振ったから、ロデリカも片手を上げて、ゆるゆると振り替えした。
なんて美しい方かしら、さすが王都のご令嬢だわ、と婦人の誰かが言うと皆が口々にカメリアを褒めた。
メイベル夫人がそっとロデリカの隣に来て言った。「素敵な妹君ですね、ロデリカ様」と。
その顔には、ロデリカへの嘲りも、見下すような陰りも、何もなかった。だからロデリカはこう答えた。
「えぇ‥‥、自慢の妹です」
辺境の南端、ヴィトルの街で
領主代理夫人ロデリカが可愛い男の子を産む、一年前の出来事だった。
END
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「お義姉様の着けていらっしゃるあれって‥‥」
「ん?あぁ城主婦人が身に着ける七道具だね。あの銀のチャームは小さな鋏とかメジャーとか‥‥まぁ、実用品だよ」
「‥‥欲しい」
「え?ロデリカは使わないんじゃないか?鋏ならもっと大きい方が良いだろう?あんな小さいのじゃなくて。アクセサリーならもっとロデリカの雰囲気を引き立てる物が良いよ。今度一緒に‥‥」
「‥‥(違う、そうじゃない。)(無言の圧)」
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サミュエルには「欲しい」と言えるロデリカでした。
『女城主の装身具』『城主婦人の宝飾品』は、城の管理に必要な七道具がチャームでぶら下がった実在する実用アクセサリーなのですが、超美しくて私も欲しいです。
あたかも、姉妹がすんごく仲良くなったかのような雰囲気を出しましたが
わざわざ辺境にまで会いに行ったのに、二、三ターンしか会話してない姉妹です。言外のコミュニケーションが果たされたと信じたいです。
ロデリカは構われ過ぎると高ストレスで知恵熱出します。放っておかれるのも構われるのも不満なのですが、誰しも多かれ少なかれ覚えのあるストレスかなと。
彼女は誰か一人に完璧に理解してもらって急に開花するミラクルではなく、いくつかの人間関係の端々に彼女の心を癒す物を見つけていくほうが、現実的だし似合ってるように思いました。
ロデリカは手芸好きですが、めちゃくちゃ上手いとか芸術的だとかそういうチートスキルはありません。(カメリアも同様。)
カメリアが泊まった日、サミュエルは客間のソファで寝てくれました。
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読んでいただきありがとうございました〜




