4話 そんな優しさ、求めてない
────リアムサイド────
ユリアの様子がおかしい。
そう思い、跡をつけていったら迷いの森に入って行った。
まさか、本当に黄昏の魔女に会おうとしていたのか?
実在するかどうかもわからないのに……?
もうどのくらい歩いただろうか。
ユリアは一向に諦める気配はない。
お前はなにをそんなに必死になっているんだ?
「ユリ…」
声をかけようとした瞬間、森の一角が光に包まれた。
思わずユリアを庇おうと彼女に近づいたが、なにかに弾き飛ばされた。
何度も何度も、ユリアに近づきたくて手を伸ばす。その度に手は空を掴み、まるで世界そのものがユリアを隔離しているかのようだった。
「ユリア…!ユリア…!」
俺はその見えないなにかに体をぶつけながら、ユリアの名を必死に呼んだ。しかし、彼女はこちらに気づかない。
光が落ち着き、ユリアが岩の上に向かって話しかけた。
そちらに目を向けると、年齢不詳な不気味な女が腰掛けていた。
「黄昏の魔女………実在したのか…」
職業柄、殺気には人一倍敏感だが、魔女からはそれが感じられない。
とりあえず、ユリアに害はなさそうで安心した。
蝶の羽ばたきくらいの声が、僅かに聞こえる。
ユリアが魔女に頭を下げ、なにかお願いごとをしているようだ。
しかし、なにを話してるかまでは聞こえなかった。
──ユリアのあんな顔、初めて見た。
誘拐されて命の危機に晒されていた時でさえ、ここまで切迫詰まった、悲しみに染まった顔はしていなかった。
ユリアをここまで追い詰めているものはなんなのか。
(なぜ、俺を頼ってくれない?)
近くにいるのに、助けられず、彼女に辛い顔をさせているのがどうしようもなく苦しかった。
魔女がユリアに何かを言うと、彼女の眼には強い意志が宿った。
その顔を見て、ドキッとした。
なにか、取り返しがつかないことが起きそうな気がしたからだ。
次の瞬間、ユリアをまばゆい光が包み、彼女の姿は消えていた。
「…さて、と。」
さっきとは違い、魔女の声がはっきり聞こえた。
「お前も諦めが悪いね」
俺に話しかけているのか。そんなことより。
「お前…彼女をどこにした」
「あの子なら屋敷に帰したよ。もうここにいる必要はないからね」
「ユリアは、お前に何を願ったんだ」
魔女はふふっと笑った。
「そうか。あんたは何も覚えていないんだね」
「………?どういうことだ?」
「あんたがあの子を連れて、ここに初めて来た時のことだよ」
──俺がユリアとここに来たことがある?
そんな記憶はなかった。
「ただし、その時あの子は死んでいたけどね」
"死"という言葉に心がギュッと握り締められた。頭にユリアを抱えた自分の映像がよぎる。
いまのは──なんだ?
俺は剣を構えた。
殺気はないが、こいつはユリアに害を加えるかもしれない。
その場合は、ここで殺しておくのが吉か。
「おー、怖い怖い。」
魔女はからかうように、面白そうに言った。
「少し思い出す手助けをしようかね」と言うと、指を二振りし、俺に向かって跳ねるように弾いた。
次の瞬間、とめどない映像が頭に流れてきた。
ユリアが俺を守って殺されたこと。
俺がユリアを抱えてこの森に来たこと。
魔女にユリアを生き返らせるようお願いしたこと。
魔女から、1度だけなら時間を遡ることができると言われたこと。
ユリアを救うためには、前の"時の流れ"を変える必要があること。
そして───俺はその時死んだこと。
頭の中がガンガンと鳴り響き、思わず手で押さえる。
「思い出したかい」
「ああ……あの時はユリアを救ってくれて感謝する…」
魔女はきょとんとして、大きく口を開けて笑った。
「はは、お前とあの子は似たもの同士だねぇ。ついさっき、お礼を言われるなんて何年振りかと思っていたのに」
魔女は心底楽しそうだった。あっけらかんと笑う姿に警戒心が和らいだ。
「彼女が……あなたになにをお願いしたのか教えてくれないか」
俺は魔女に頭を下げて頼んだ。
「あらあら、騎士がそんなに簡単に頭を下げていいのかい」
確かに、この場に父がいたら激怒されたことだろう。ただ、そんな自分の見栄やプライドなんかより、ユリアを追い詰めている"なにか"を知るほうが大切だった。
一向に頭を上げない俺を見て、「まぁ、あの子から秘密にしてくれと言われてないし」と呟くと、「お前を救う方法を教えてくれと頼まれたのさ」と、さらっと言った。
──俺を救う?一体どう言うことだ?
「あんたに残ってた魔法の“かけら”に、あの子の思いがしがみついてねぇ。
次はあの子があんたを助けるために死んで時を遡ってるってわけ。しかもよほど執念深いのか、何度もね」
──死んで?
何度も?
ユリアが……俺のために?
"死"という言葉に心臓をぐっと握りつぶされる。息が、うまくできない。
頭が追いつかず、心がそのすべてを拒んでいた。
ユリアがあんな風な笑い方をしたのは、俺に知られたくなかったから。
いつもの軽口も、俺に心配をかけたくなかったから。
その足元が、何度も血で濡れていたなんて。
俺は知らなかった。何一つ。
(……ふざけんなよ、ユリア)
そんな優しさ、俺は求めてない。
騎士だなんて、笑わせる。大事な人さえ守れていないじゃないか。
「……俺のせいで、ユリアは死んだ…」
小さな声が、口から漏れた。
空気に触れた瞬間、それは現実になって喉を焼いた。
ユリアは、俺のせいで死んだ。
何度も、何度も。
それを笑って隠してたなんて。
笑って、裏では必死でもがいていたなんて。
魔女は、遠くの空を見るように静かに言った。
「魔法は強い思いに反応する。あんたの願いと、彼女の願い、そして少しの魔法が重なった時、時間は“輪”になった。
でも輪は、どこかで“終わらなきゃいけない”。
あの子は運命を受け入れようとしているのよ」
「運命を受け入れるって…まさかいなくなったりしないよな…?」
「自分で聞きなさい」
魔女はそれだけを言って、目を閉じた。
「あんたは彼女を生かすため、自分から死ぬ運命に向かっていく。何度もそれを見てきた彼女の心を、あんたは知らない。知らないままで、彼女に生かされているのよ」
その言葉に、刺されたような苦しみが走った。
「もう、行きなさい。彼女の決断が、“その手の中”から零れ落ちる前に──」
魔女の声が、森の霧とともに消えていく。
俺は……彼女の覚悟から、逃げていたのかもしれない。
守りたかった。触れたかった。ただ、傍にいたかった。
それなのに、彼女の傷にも想いにも、俺は何ひとつ触れてやれてなかった。
唇を噛みしめる。血の味がした。
──俺はお前が大好きなんだよ、バカ。
ユリアがいない世界など、意味がない。
そんな終わり方、認められるわけがない。
「……俺の執念、なめんなよ」
気づけば、足元の感触が変わっていた。
霧が晴れていく。
風が通り抜け、木々のざわめきが遠のいていく。
いつの間にか、森の入り口に立っていた。
どうやって戻ってきたのかは、まるで覚えていない。
けれど────
彼女の命は、まだ“この先”にある。
俺は馬に飛び乗った。
もう迷わない。
彼女の決断が“終わってしまう"前に──
俺が、彼女を救う。絶対に。