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1話 初めて彼を失った日

人は、何度絶望すれば壊れるのだろう。


それを知るには、私はもう、十分すぎるほど繰り返してしまった


同じ場面。

同じやり取り。

そして、同じ──彼の死。


叫んでも、泣いても、祈っても。

私の手は、彼の命に届かない。


ただ、彼を守りたい。

ただ、それだけなのに。


自分の無力さが、悔しくてたまらない。

気づけば視界がぐしゃぐしゃに滲んでいた。


……次こそは。

絶対に、死なせたりなんてしない。


私はそっと手を伸ばし、傍に落ちていた短剣を掴む。


自分の胸へ向かって、迷いなく、それを突き立てた。


⸻⸻⸻

私、ユリア・ヴァレンティアは、窓辺の椅子に静かに座っていた。

黄金の陽が西の空へ傾き、庭のバラを赤く染めてゆく。外からは、祝宴の準備に追われる使用人たちの足音がかすかに届いていた。


「誕生日、か……」


小さく呟いて、紅茶のカップに唇を寄せた。香るのは私の好きなジャスミン。けれど、なぜか味はしなかった。


何かが胸の奥でつかえているような感覚。

なんで今日はこんなに胸がざわつくんだろう…?


そのとき、ノックの音がして控えの間の扉が音もなく開いた。気配だけで誰かわかる。


「リアム、お疲れ様」

「お前、まだ着替えてないのかよ」

私の姿を見て、呆れながら言う。


「祝いの準備がもうすぐ整うぞ」


ぶっきらぼうな声と共に騎士の制服に身を包んだリアムが入ってくる。


少し蒼みがかった髪の毛に、深青の瞳。

眼差しは鋭いが、私に向ける視線は他より少しだけ柔らかい。


「……このあと、ニコニコしながら貴族のおじ様たちをかわしてお嬢様を演じるのかと思うと、ね」

私はため息を吐いて、紅茶に目を落とした。


ドレスを着れば、このお茶に映る素の顔も、どこかへ消えてしまうだろう。


そんな私の様子を見て

「そう言いながら、今日も完璧にこなすんだろ」

とリアムがからかうように言う。

私はただ肩をすくめた。


ヴァレンティア家の長女として、私はいつだって完璧を求められる。

貴族として、娘として、駒として。


「まぁ今日は誕生日会だし、お前に媚び売る奴はいつもより多いかもな」

「ほんと困る。……リアム、無理な時は助けてくれる?」

「それいつも言うけど、お前が俺に助けを求めたことなんてあったか?」


フっと笑う彼の声に、少しだけ心が軽くなる。


リアムは私の支度のため、侍女のルナを呼びに行くと言って扉へ向かった。

そして、扉を開ける直前。

不意に振り返って、少しだけ照れたような声で言った。


「誕生日、おめでとう」


それだけの言葉が、どうしようもなく嬉しかった。


リアムとは幼い頃から一緒で、今では私の護衛騎士。

主従の関係だから、こんなやり取りは本来許されないが、私の願いで2人きりの時は昔のままでいてくれる。


……私は、なんて恵まれているのだろう。こんな環境で心から信頼できる人が近くにいるなんて。


私も今日で16歳。来年にはきっと、"ヴァレンティア家"の駒として、どこかの有力な貴族に嫁ぐことになるだろう。


私はリアムからのお祝いの言葉を噛み締めて、ルナの到着を待った。


⸻⸻⸻

誕生日の夜会は華やかで、完璧だった。

貴族たちの笑顔、響く音楽、尽きることのない祝福の言葉。

私はそのすべてに礼儀正しく応えながらも、近くで見守ってくれているリアムの姿を見ては安心していた。


それでも、どこかでずっと不安が胸を締めつけていた。

理由もなく、心がざわついていた。


早く終わればいい。

重いドレスを脱ぎ捨てて、ただリアムとくだらない話をしたい。

そう思った、その瞬間だった。


突風のような気配。

息を呑むような空気の緊張。


「皆さん、下がってください!」


リアムの怒声が響いた。

直後、黒衣の男が群衆をかき分けて現れ、私の目の前に飛び出した。刺客たちの狙いは私なのだろう。それを遮るように、リアムが間に入る。


「リアム……!」


目の前で、刃が閃いた。

彼の胸元に刃が突き立つ。

刃が肉を裂く、いやな音。


⸻血が、舞った。


それはあまりに鮮やかで、あまりに、現実だった。


リアムの身体がふらりと揺れて、床に崩れ落ちる。


「うそ……うそ、でしょ……?」


世界は、音を立てて崩れ去った。足が動かない。私は、声を上げることも、歩くこともできなかった。


それでも這うようにして、リアムのもとへ近づく。


「リアム……リアム、だめ……しっかりして……!」


彼の胸に触れると、黒々とした血がベッタリ手についた。現実が、否応なく私を引きずり込む。


止血しなきゃ。息をさせなきゃ。助けなきゃ。


震える手で必死にドレスを裂き、応急処置を試みる。


「リアム…リアム…」


必死にリアムに呼びかけると、リアムはわずかに目を開けた。


「……お前、なんて顔してんだよ」

私の顔を見て、朝と同じようにフっと笑った。だけど、朝とは違いリアムの顔は真っ青だった。


「リアム、お願い、死なないで…」

自分の声とは思えないほどの、か細い声が出た。


「お前に…何もなくて…良かった…お祝いの日に、悪かったな…」


そう言うと、彼の目から光がすうっと消えていった。


彼の手を握り、何度も何度も呼び続けた。彼の手は驚くスピードで冷たくなっていったが、私は認めたくなかった。


そのとき。


「ユリア様、逃げて!」


背後から、誰かの叫び声がした。ルナだった。私の侍女であり、友人のような存在。


刺客はまだ大勢いた。周りを見渡すと、倒れている衛兵がたくさんいた。


⸻私の、せいだ。


私が公爵家の娘だから。

私が、誰かの駒だから。

私に………力がないから。


これ以上、私のせいで人が死ぬのが耐えられなかった。

リアムがいない世界で息ができる気もしなかった。


守ってくれたのに、ごめんなさい。


「私はここよ」


力の限り叫ぶ。

そして、近くに落ちていた短剣を自分のお腹目掛けて突き刺した。


血が流れるように溢れ、全身が燃えるような痛みにつつまれた。刺したお腹はもちろん、背中も、足も、頭も、焼け付くような痛みだった。


それでも、リアムがいない世界を生きるよりは優しい痛みだった。


いま、私も行くからね。


最後の瞬間にリアムの隣にいれてよかった。

次、生まれ変わることがあれば、絶対にあなたを死なせない。


世界が、真っ暗な闇に染まっていく。


⸻⸻⸻


「お嬢様?……ユリア様、朝でございますよ」


カーテンを開ける音。差し込む光。聞き慣れたルナの声。


私は、目を開けた。見慣れた天井が広がっていた。


「……うそ」


あれは夢だったのか? そんなはずない。感覚が、痛みが、現実だった。


視線を動かすと、ベッドの横にあるプレゼントに目に入る。


“ユリア様、16歳のお誕生日おめでとうございます”


私は、震えた。


⸻私は、過去に戻ったのだ。


もう一度、彼が生きている時間に。



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