第六話
本作品は「龍の生き血」の後日譚にあたる連載小説です。
今回のあらすじ
フレイヤは自分の刺青の色が変わった事に気づき、その理由を探る。サシャはマティアスの能力の解明を急ぐ。
ガスパルはララバイと共に建設中の砦に向かい、残されたフレイヤはガスパルの不在に心が沈む自分自身に驚く。
ナディの傷の秘密を知って驚愕するマティアスとモロウだが、「青峰の民」の宿営地では集団の病が発生する。
6
フレイヤは書庫にいるサシャを見つけた。
そして詳しいことは言わずに、ただ彼に肩の刺青を見せた。
「大翼龍の刺青の色が変わっているな。何があった?」
さすがによく見ている。家長として、子供たちに刺青を入れる儀式には必ず立ち会っているので見慣れているのかもしれない。
何があった、と聞かれたのだから、まずそれに答えるべきなのだろううが、
「その話の前に、誰が龍族の鱗を煎じて刺青のインクにするのを決めたか教えてよ」
サシャは少し眉をひそめたが、答えはした。
「それは初代の決めたことだ。三代目、つまり私たちから刺青が入っている。子どもの成長を祝う、というのが建前だが、ぶっちゃけた話、遺体確認のためだ。戦士の数も増えて、、頭がなくなってもすぐに分かるように、ということなんだろう」
知っていはいたが、あからさまに言われると気持ちの良いものではない。
「染料に関して言えば、元は、口には出さない暗黙の了解のようなものがあったのではないかと思う。何しろ暗黙の了解、はっきりそれが記されているものはない」
何だ、それは?
「推測はしてるんでしょ?憶測でもいい」
読書好き研究熱心なサシャのこと、なにか考えているはずだ。
「憶測を口にしたくはない」
あのね!とフレイヤは大声を出した。
「ララバイみたいなこと言わないでよ!イライラする!」
う~ん、と唸って誰にも言うなよ、と小声で言ってから続けた。
「ハンスと地龍の話は知っているだろう?あれは実話とおとぎ話が混ざったような寝物語だが、そんなもの故に何らかの真実が隠されている。私は、刺青はスレイヤーズと龍族の間に何らかの同意がある、という意味ではないかと思うのだ」
「あの話は事実に基づいたサシャの、、創作じゃないの?」
スレイヤーズの五人の英雄のうちの三人が、それまでは聞いたこともなかった地龍の心話を聞いて契約を結んだ、というあの結び。子供の頃はともかく、今のフレイヤにはおとぎ話でしかない。ましてや水龍や翼龍との契約などは話にすら聞いたことはなかった。
「わからない」
「わからないって、自分で作ったのを覚えてないの?」
サシャは不意をつかれた、というように体を固めた。
「そうではなくて、、私にそういった寝物語をしてくれたのは母、マクシーだ。叔父は旅に出て滅多に帰ってこなかったし、父がお話をしてくれたという記憶はない。あの最後の地龍との契約のエピソードは、私が結末をもう少し印象的にしたい、と思ってつけたんだ。
地龍をペットのように思っている子供たちも喜んだし、、」
サシャは、フレイヤの反応を見るようにちらりと見てから言葉を続けた。
「でもあの話を何度もするうちに、最後の部分は自分の創作ではなくて、誰かに聞かされたものだった、という思いが強くなっていった。そうだとすると、その話をしてくれたのは父か叔父だ。彼らはあの現場にいたんだからな」
「なんか頼りない記憶だね」
「時が経てば記憶はあやふやになる。ヒトの記憶力なんてそんなものだ。
直接、大翼龍の血を被った初代と、その力を受け継いだだけの後の世代が同じ力を持っていなくとも不思議はない。先代たちは私たちより、ずっと多くのことを知っていたのかもしれない」
「そうかも知れないけど、自分で作った話かどうかくらい、、」
サシャは肩をすくめた。
嘘も百ぺん繰り返せば、皆、信じる、とガスパルが言っていたな、、嘘ついている本人すらいずれ信じる、と。
嘘か真か地龍たちとの契約。どうやって確かめる? 水龍や、ましてや翼龍との契約って何だろう?それに、色が変わった刺青は、、
そこまで考えてハッとした。
「今度はお前の憶測を聞こう」
サシャが言った。
「私はララバイの真の名を食べたんだ。だから彼と私の間になにか同意ができたってことかな?色が変わった三番目の刺青は、その証かもしれない」
「真の名を食べたってなんだ?」
そのことに関してフレイヤは何も言ってなかったのだ。こうなるともう全て白状するしかなさそうだ。
何を言われるかが予想できて、渋々話した。思った通りの反応が返ってきた。
「なんでそんなこと、したんだ!? しかも彼の目的もわからずに!?」
「私は彼を信用したんだ。直感だよ。そのおかげでサイキック能力について随分わかったんだし、、直感は正しかった」
う~ん、と彼はまた唸った。
「ますますカミーユに言いづらくなった。彼女以外は皆、知った。しかし彼女に言う機会が見つからない」
「ララバイのことは言わないわけにいかない。いつかバレる。もう、皆が隠し事していると気づいてる。さっさと済まそう。バーっと二人でまくし立てて、お母さんが理解する前に逃げるって、どう?私はアロンの砦に行く」
サシャはいまいましそうにフレイヤを見た。
「お前はそれで良くても、私はどうなる?」
「サシャは家長様だもの、どうにでもなる。ね、そうしようよ」
「自分の都合の良いときだけ家長様なんて呼ぶな!」
フレイヤは肩をすぼめて上目遣いにサシャを見た。
娘がいないサシャは女の子に弱いのだ。というか、どう接していいかわからなくて甘くなる。
「カミーユと話すときは、お前も同席すると言ったな」
サシャは気弱に言った。
カミーユは一人で館を離れた。
信じられないサシャやフレイヤとの会話。聞かされたときは動揺してはっきり理解できなかった。暫く考えて、やっとその重要性と意外性に気がついた。
人を食べない大翼龍、それにしても大翼龍が館のそばにいる!?
地龍たちの警告もない。
彼らが許したのか!?
長いこと歩き、誰もそばにいないのを確認してから意識を集中させた。
ララバイという名の大翼龍。確かになにか巨大なものを感じた。山や森、静かに澄み渡る空、、心を乱す邪気がない。
これが気づかなかった理由か?
ドラゴンではない大きな翼龍、とサシャは言った。ハンスもドラゴンとは違う大翼龍の存在を知っていたと聞く。
もっと探ろうとしたが、強い障壁に遮られてその先に進めない。
カミーユは彼の名を呼んだ。
ララバイは神妙に現れた。龍でも親というものは苦手なのかもしれない。しかも自分の真の名を与えた娘の親。
_お前の目的を話しなさい。
_フレイヤを傷つける意図はない。
_そんなことしたら、地の果て時の果まで追いかけ、お前を殺す。真の名を私の娘に与えた理由を言いなさい。
ララバイはまじまじとカミーユを見つめた。そしてまあ仕方ないか、というようにため息をついた。
_そんな理由、隠すこともないでしょうに。
カミーユは訝しげに言った。たった今聞いたこと、真実かどうか確かめたかったが、相手は大翼龍。嘘ではない、という確信が持てない。
_プライドの問題だ。
_そんな馬鹿げたプライドは持つものではない!
_やはり母娘か、同じようなことを言う。
と、ララバイは鼻で笑った。
_、、ではなぜ、私には話したの?
今度は静かに聞いた。
_お前は戦士ではない。
ああ、そういうことか。弱みを見せたくない戦士の意地。オディロンにもそんなところがあった、、。
ドラゴン戦に参加しても、真っ先に立ち向かっていくという気性を持たないカミーユ。子供が生まれてからは子育てに専念した。その彼女には理解できない戦士としての意地や誇り。
敵と思っていた大翼龍と自分の夫との間に類似点がある、と考えるのは奇妙どころか異様な感じがした。
だが、ララバイは嘘は言っていない。そうカミーユの直感が囁いた。
_、、私の娘の決断したことでもある。もう、とやかく言いません。でも、もし彼女を裏切ったりしたら、、
_お前は自分の本質を失っても生きたいか?
驚いてカミーユはララバイを見た。
そういうことなのか、真の名を与える、ということは?
真の名は己の本質を示す名前、それを誰かに与えるのは絶対的信頼、その誰かを失うのは己の喪失、、。
カミーユはララバイの首に触れた。自分の頭を押し付けた。
この大翼龍は己の命と同様にフレイヤを守る。そう確信した。
「それは良くないよ、フレイヤ」
ガスパルは諭すように、しかしはっきりと言った。
フレイヤは唇を噛んだ。母親にララバイの事を伝えたので、すぐ砦に向かう、とガスパルに伝えた。
ガスパルも喜んで承諾すると思ったのだ。
「お前の母はドラゴン捕獲のために夫を失った。彼の死から立ち直っていないと、お前自身が言っただろう?少しは母親の気持ちも考えてみろ。サイキックのお前は、考えることも必要ないんだろうな、、それを、、逃げ出すなんて、そんなの、お前らしくない」
フレイヤはうつむいた。それを言われると耳が痛い。
「第一、ララバイは皆に色々、教えている最中だ。俺にとっては復習だし、サイキックでなければ出来ないと知っていることもある。だからゆったり構えていられるが、彼は、スレイヤーズは先入観がありすぎて俺より物わかりが悪いとご機嫌斜めだ。もっと時間が必要だろう」
ララバイの事を伝えてから、何を言われるかが恐ろしくて母親の目を見られない。外では一人前のように振る舞っていたが、家族に会って心が萎えたようだ。
甘えているのか?私は、、。
久しぶりに家族のもとに帰って、つい気が緩んだのかもしれない。
「ガスパルの言う通りだね」
と答えたものの、彼の言葉は正論すぎてムカついた。
「おはよう」
シャロンは上機嫌でガスパルに声をかけた。彼は砦に行ってララバイのことを皆に伝え、昨日帰ってきた。
彼はガスパルを睨みつけるのはやめたようだ。それどころか旧知の仲、というようにガスパルの肩を軽く叩いた。
まさかララバイの詩に感動したわけではあるまい?ガスパルは思った。
フレイヤが、
「大翼龍を恐れもせずに言い争いをしたからだ。それにあの、、曲芸飛行もとってもカッコ良かったよ。皆、びっくりしてた。スレイヤーズを驚かせるなんて、ノンサイキックではガスパルが初めてじゃないかな」
と囁いた。
飛行恐怖症を克服し、その上、龍上でのトンボ返りに丸太転がし。シャロンですらガスパルを受け入れたようだ。
ガスパルのために嬉しい、というだけでなく自分の目に狂いはなかった、とフレイヤは誇らしい。
ガスパル自身も嬉しかった。しかし照れくさくもあったので、ありがとう、と短く呟いた。
これからガスパルは、ララバイやシャロンと共にスレイヤーズが建設中の新しい砦に向かう。
「気をつけてね」
砦にはここよりずっと多くのスレイヤーズがいる。フレイヤは少し不安だ。
「ガスパルならどこに行っても立派にやっていけるとは思うんだけど」
と、ガスパルの手を握りながら言った。
_俺がいる。
とララバイ。
「心配しなくていい。俺は大丈夫だよ」
フレイヤの気持ちは嬉しいが、彼女の後ろにいつまでも隠れているのでは情けない。ガスパルにも誇りがある。
彼女の手を握り返すと、フレイヤは彼の頬にキスした。それを横目に、
「俺が面倒見るよ」
とシャロンが言ったが、それは逆に怖い気がした。
二人を乗せたララバイが飛び立ち、彼らの姿が見えなくなるまでフレイヤは見送った。
気配さえもが吸い込まれて消えて行く澄み渡った空、見つめながら、フレイヤはどうしようもない寂しさに襲われた。
なぜこんなに寂しいのだろう?
ガスパルは自分の存在価値をここの皆に証明した。砦に行っても同じだろう。
彼を心配することなんてないのに、、。
そう考えるとますます寂しくなった。
要するに、彼には自分が必要でない、と思えるのが寂しいのだ。だがフレイヤの思考はそこまでは行き着かなかった。
「思い出したことがあるんだ」
とサシャに話しかけた。
「旅の途中、時々、現れた地龍たちのこと。彼らは私たちを見ていたんじゃない。マティアスを見てたんだ。今になると、そう思う。それを皆で考えなくちゃ、と思って砦に行くのは延期したんだ」
「地龍たちがマティアスを見ていた?」
彼女の言葉に考え込んだサシャを残して、フレイヤは一人で館に帰った。
「ごめんなさい。お母さん」
フレイヤは母親の前に立って、まっすぐ彼女の目を見て謝った。
「、、サシャに任せず私から言うべきだった。彼を盾に使ってしまったような気がする。家長だからって、嫌なことを彼に押し付けて自分は涼しい顔してしまった。口先ばかりで無責任なヤツラ、と皆が批判している権力者たちと同じことしてしまった、、私、怖かったんだ。私の行動をお母さんがどんなふうに考えるかと思うと」
「謝る必要なんてないけど、あなたの口からそれを聞けて、とても嬉しいわ。成長したのは体だけじゃない、とわかったから。
、、あなたはララバイを信じたのね。私も信じる。彼と話をして、私もそう思った」
その言葉にフレイヤは驚いた。
「彼と、、話したの?」
父が死んでから大翼龍の話など聞く耳持たぬ、というような母が、ララバイと話をした?どんな覚悟で向かい合ったのだろう?
「私にもわかった。彼は信頼に値する、と」
「ありがとう、お母さん、、」
フレイヤは彼女を抱きしめた。
やはり強いのだ、この女性は、、父が選んだ女性。
母親としてではない、一人のスレイヤーの女をフレイヤは感じた。
率先して剣を振り回すことはなくとも、自分の立つ場所からは決して退かないスレイヤーの女。
ちゃんとお母さんに謝れてよかった。
ガスパルの忠告に、やっと素直に感謝した。サイキック同士といえども、はっきり言葉に出して言うことも時には必要なのだ。
「青月の書?あれはセリーナが自分で焼却したわ。彼女の亡くなる少し前に。皆の和が乱れる、と言って」
サシャは書庫を探したが青月の書は見つからなかった。それでセリーナの娘である妻、ミューズに聞くことにしたのだ。
フレイヤやカミーユも同席しての小規模家族会議。
「燃やした?それではマティアスの力の謎が解けない」
サシャは呆然としたが、頭を振って考え直した。
「憶測ならいくらでも出来るが、筋道の通る仮説を立ててみよう、、。誰か意見はあるか?」
皆、顔を見合わせた。しばらくしてフレイヤが言った。
「マティアスは、外見はセリーナに似ているんだよね。プラチナブロンドの髪に目の色も。外見が似ているから、その能力も似ている、と仮定して、、」
「仮定にしてもちょっと弱いな、、かと言って私にいい案があるわけでもない、、」
話の腰を折って悪かった、続けてくれ、とサシャ。フレイヤは横目で彼を見たが、話は続けた。
「、、セリーナが持っていた力は未来を見る力。つまり予言の力だよね。そんなものを持っているのは、稀だとしてもモンダイではないよね?彼女自身の力だもの。 皆の和が乱れる、と恐れて予言の全てを燃やす必要のあるものではないよ」
「フレイヤが覚えている言葉、、月満ちずに産まれた男の子、というのが重要なんじゃないの?セリーナは女性よ。早産だったとも聞いてないわ。そんな男の子が持っているのはただの予言の力ではない、ということなんじゃない?」
とカミーユ。
「マティアスは、、月が満ちずに生まれたわ。普通より小さかったけど、なんの問題もなく元気に育ったわ、、」
ミューズは言って不安気にサシャを見た。
自分たちの息子の力についての憶測を口にしたくはないのか、サシャはただ彼女を見返した。
「、、セリーナが恐れた力をマティアスが持っているの?」
「セリーナには予言の力があった、これは事実。
でも、いつどこで何が起こるか探ろうとして知ったわけではないよね? もしそれができたら、人がしたくなるのは、、多分、、」
「過去を変えたくなる?」
カミーユが恐る恐る言った。彼女にも変えたい瞬間があるだろう。
「過去は既に決定された、変えてはならないもの、とララバイは言った。
変えれば翼龍の羽ばたき、、気流が乱れ、揺らぎが生じ、それがいずれ世界を壊す大きな動きになる。、、自在に時を飛ぶ力があったら、過去に干渉したくなっても不思議ではないよね?」
「で、でも、時を飛ぶのは幽体でしょう?幽体があると言うことは、強い精神エネルギーがあるということよ。マティアスにはないわ!」
ミューズが自分の子供に特異な力などない、と思いたいのは当然だ。
「マティアスには不安定な、、あるいはそう思える精神エネルギーがある。それはもしかしたら、、」
サシャの言葉に皆、沈黙した。
夜遅くまで議論したが話は堂々巡り、眠ればいい考えも浮ぶかもしれない、とサシャが言って皆、寝室に散って行った。
マティアスの力の謎。ララバイは気づいているのではないか?
フレイヤはベッドの中で考えた。だが、彼は憶測は口にしない、と言った。
ララバイをマティアスに引き会わせなかったのは間違いだったろうか?だが、その理由は今でも正当だと思える。かと言って、今になってララバイとマティアスを会わせるのは、まるで探りを入れているように思われないかと不安だ。
ガスパルは、家族というものはある意味では厄介だ、馴れ合いすぎるのはよくないが、だからといって遠慮しすぎるのも問題だよ、と言った。
彼の言ったことを考え始めた途端、フレイヤの頭はガスパルで一杯になった。
どうしてるのだろう、ガスパル?無事到着はしただろうが、新しい環境に戸惑っているだろうか? 否、戸惑ってなどいないかもしれない。
どうしてこんなに不安なのだろう?
すぐにでも彼のいる砦に向かいたかったが、マティアスの持つ力の謎を解くことが先決なのだ。彼の問題は一族の問題だ、とフレイヤにもわかった。
でも、寂しい、ガスパルがいないと寂しい、、。
彼に恋していたわけではない。でも彼の眼差しが恋しい。心に届くような眼差し、、。彼の声が恋しい。心に届くような声が、、。
とても、とても恋しい。
フレイヤは上掛けを頭からかぶり、眠ろうとした。
「そんなに見たいなら見せてやる!コソコソか嗅ぎ回られるよりマシだ!」
叫ぶようにナディは言って、剥ぎとるに服を脱ぎ始めた。
ち、ちょっと待て、と言うマティアスを無視して靴やらスカーフなどを投げつける。
メリッサから、湿布を取り替えてるときにナディの体を見た、腕や腹には、やはり奇妙な傷がある。腫れやあざが消えたので見えてきた、という報告を受け、どうナディに切り出そうかと自分の部屋で考えあぐねていたところに彼女が走り込んできた。メリッサが、何をしていたかに気づいたのだ。
部屋に錠をつけなかったことを後悔したが後の祭り。他のことはさておき、自分の部屋で女の子が服を脱いでいるのを誰かに見られたら、と思うと気が気ではない。
ど、どうしよう、、。
下手に触るのも恐ろしい。よせ、やめろ、と言うしか他に思いつかない。
「どうした!? 」と言って扉を開けたのはモロウだった。
あっ、と彼は扉を閉めようとする。
「行くな!入ってこい!! 」
マティアスも必死だ。ナディ相手に噂などたてられたら、たまったものではない。
「本当にいいの?」
と怖々、モロウが覗く。
ああ、助かった、、マティアスは助けを求めるようにモロウを見た。その間もナディは服を脱ぎ続け、彼女は下着姿になった。
「じっくり見るといい!」
モロウは目を伏せていたがマティアスは彼女の腕や腹を見て、ギョッとした。
「その傷、、もしかして」
そう言いながらもそんなハズない、と心のなかで否定した。
「知っているんだろ!マティアスならわかるんだろう!? なんでこんな傷があるか!」
「こんな傷って、、」
モロウも上目遣いにナディの体を見る。腕や腹に平行に並んだいくつもの切り傷跡がある。なんだろう?マティアスならわかるって?
モロウはマティアスを見た。
「そんな、、ハズがない、、君は、、サイキックじゃない、、もちろんスレイヤーでもない、、ドラゴンの血を被ったわけでもない、、だろう?」
「もちろん違う!そうだったら、こんな傷、とっくに治ってる!」
「じゃあ、なんでそんな傷、、??」
マティアスは見たことがあった。自分の故郷で、誰かが館に連れて来た怯えた子供、その腕につけられた平行に並んだ傷、、。その子の傷はすぐに治った。
「どう言うこと?」
モロウがまた、問いたげにマティアスを見る。
「サイキックの血は、傷を治す力があるって噂、君は知らないのか?」
あ~、っとモロウは思い出したように言った。
「でも、それは嘘だって、大ババ様は言ってたよ」
「もちろん嘘だ。でもそんな噂を信じてる連中もいるんだよ!」
「私はサイキックではない!私の血に治癒の力なんてない!、、なのに皆、やめないんだ!つけ方が足りないだの、飲んだほうがいいだの!諦めなかったんだよ!」
ナディが叫ぶ。
「でも、、なんでそんな噂が、、」
ナディがいきなり黙った。考えるのも忌まわしい、といった様子だった。
暫くして、絞り出すような声で静かに話しだした。
「私たち家族は山で暮らしていた。うさぎ取ったり薬草採って売ったり、出来る事は何でもして生きていた。
ある年、大雪が降った。今までにない寒い長い冬だった。食べ物がなくなって山を下りた、、でも麓の村人に追い払われた、、自分たちも大変だ、分けてやる食べ物などない、そう言ってクワやカマを振り回して追ってきた、、仕方なく山に戻ったけど、食べるものがない、、お腹空いて、お腹空いてどう仕様もなくなった、、だから食べたんだ。唯一いた生き物たちを、、」
「それは、、なんだ?」
「、、いつもは一緒に遊ぶ仲間だった、、木の実が沢山あれば、そのありかを教えてくれる優しい隣人だった、、ほら穴の中の、こまい神様と呼ばれていた、、なのに食べちゃった。お腹が減ってどうしようもなかった、、」
「、、こまい?」
小さいっていうことだと思う、モロウは囁いた。
「ほら穴の中の小さい神様?、、地龍?まさか地龍を食べた?」
あんな、骨ばった腹わたばかりの生き物を食べるなんて、、考えられない、、そんなに切羽詰まっていたのか?
「私たちは呪われたんだ!神様食べて、呪われた!」
ナディは、また叫びだした。
「やっと春が来て、村人は私たちが生きてることに驚いた。村でも餓死した人がいたのに、私たちが生きてるのを不思議に思った。そして、山にこまい神様がいなくなったのにも気づいたんだ。
私たちは捕えられた。誰が喋ったのか知らない。でも誰かが喋った。大人たちは罪人として処刑された。こまい神様の怒りを鎮める生贄にされた!お父さんもお母さんも殺された!私は小さかった。殺されなかった。代わりに檻に入れられ血を取られた。それが私への罰だった!」
堰が切れたように溢れる涙を拭いもせず、ただひたすらナディは泣き叫んだ。
「やれやれ、まだ信じられない」
とモロウ。
泣き叫ぶナディをなんとか二人でなだめて部屋に返した。
嘘を言ったわけではない。今まで言わなかったのは、また檻に入れられて同じ扱いを受けるのではないか、と怖かったからだ、と体を震わすナディを哀れに思った。
確かにナディの言うことは、モロウにとっては信じがたいことかもしれない。しかしマティアスにとっては荒唐無稽、というものではなかった。祖母や曾祖母が、自分たちの仲間をあとにしなければならなかった理由は、まさにそれだった。
「地龍を食べた者の血に治癒力があるなんて、聞いたことない。それに、もし本当に彼女の血で傷が治る、と信じていたなら、なぜ黄土の民に彼女を売ったりしたんだろう?」
「暫くして何やっても傷が治らないのに気づいて、金に変えようとしたと考えられる。確信はないが」
「う~ん、やっぱり信じられない。そんな噂を信じるっていう事自体がさ」
「集団心理ってヤツかな。集団による弱いものいじめ。理由なんてどうでもよかったんだよ、きっと。山に住むナディの家族は、もともと差別されていたんだろうね」
「大ババ様が聞いたら絶対、ナディをかばったと思うよ」
「大ババ様は立派な人だった。皆が頼りとする豊かで確かな知恵を持っていた。でも、全ての部族がそういう人に恵まれているわけではない。
それにね、ドラゴンの血は大抵の人間には死に至る毒だ。僕らスレイヤーズの傷の治りが早いのは確かだけど、僕らの血も毒だ、飲むと気が狂う、という連中もいる」
「え?薬ならともかく毒?全く噂なんてそんなものなんだね。どっちに転んでもいいような、オチがある」
「僕の父は、人の血を奪うなんて、そんな恐ろしいことをした、という良心の呵責に耐えられなくなるから気が触れるのだ、と言った」
「つまりは自分の想像の産物ってわけだ。自業自得だ」
ともかくマティアスもモロウも、このナディの生い立ちについては皆には黙っていたほうがいい、ということで同意した。
マティアスは激しい腹痛で目が醒めた。夜中、窓の外は真っ暗だ。
痛たた、、。
吐き気も襲ってきた。机や椅子を頼りに部屋を出て、トイレに駆け込んだ。
ああ、苦しい、、。
「マティアス!大丈夫か?」
階段を登ってきたのはモロウだった。
どうして彼は気付いたのだろうと意外にも思ったが、それどころではない。吐けるものを吐いても、まだ苦しい。モロウの手を借りてなんとか立ち上がると、ベッドに連れていかれた。
「他の者たちもやられた。それで様子を見に来たんだ。スープに毒キノコが入っていたんじゃないかって言ってる」
毒キノコ?
「君は大丈夫なのか?」
「食べなかった。僕はキノコ、嫌いなんだ。子供の頃、いとこに毒キノコ食わされて、それ以来見るだけで気持ち悪くなる」
「皆、僕みたいな状態がなのか?」
いいや、とモロウは首を横に振った。
「君ほど酷いのはメリッサの他に二人だけだ。殆どは吐き気くらい。食用キノコに少しだけ毒キノコが混ざっていたんじゃないかな。君とメリッサたちは運悪くそれを食べたんだろう」
まいったな、、。
「君が無事で良かった。二人揃って倒れたらどうしようもない。皆の面倒、見てやってくれ」
うん、わかっている、と言って彼は出ていったが、少しして戻ってきた。
「蜂蜜入りのホットミルクだ」
「何も欲しくない」
「ミルクは毒を中和するというし、水分、取らないとよくない。無理にでも飲め」
そう言われて飲んだが、味もよくわからない。甘いどころか苦いような気がした。
「鎮痛の薬草も少し入っている。薬草入り湯冷ましも机の上においていくから、できるだけ飲むようにしろ」
後でまた様子を見に来る、と言って彼は去った。
ああ、苦しい、、。視覚までブレてきた。自分の手が二重に見える。しばらく痛みに耐えていたが、そのうち眠ったらしい。
目が醒めると朝だった。少しマシだがまだ吐き気がする。おまけにない、と知っているものが見える。幻覚だ、とわかるのがせめてもの救い。
小さな遠慮がちなノックが聞こえた。
「起きてるよ」
入ってきたのはなんかホヨホヨとした三人の子供たち。輪郭がはっきりしない。身体中にカビでも生えているようだ。
ああ、、マティアスは固く目を閉じた。
「僕たちじゃない!」
ダリとミロが叫ぶように言った。
あっ、
キノコを取ってきたのは子供たちなのだ、とマティアスは気がついた。目を閉じているのに周りでキノコが踊りだした。
「僕たちのキノコじゃない!」
子供たちは必死に言った。
キノコのダンスとカビの生えた子供たちと、どちらがマシだろうか?
マティアスは子供を選んで目を開けた。
よく見直すと子供たちにはカビが生えている、というわけではなかった。だがやっぱりホヨホヨしたものが体の周りにある。
目がぼやけているのかな?突発性近親?それとも乱視?
そうではない、とすぐわかった。その証拠に椅子や机ははっきり見える。
「誰もわざとやったなんて、思ってないよ」
きっとオトナたちに責められたのだろう。
違う!違う!と子供たちはなおも叫んだ。その叫びに応じるように、子供たちの周りのホヨホヨが乱れた。
あ、カビが胞子を飛ばしてる、、。
「きのこの見分け方は大ババ様に教わった!大ババ様が死んでもちゃんと言いつけを守ってる!採るとき調べて、、」
「二人以上で確認する!」
「三人でやった!」
「選り分けするときも調べて、確認する!」
「わからなかったら採らない!」
ホントだよ、ホントなんだ!!
子供たちは口々に叫んだ。エルは涙さえ浮かべている。
子供とはいえ、自分たちのすることに自信も誇りも持っているのだ。
なのに大人たちは彼らの言うことに全く耳を傾けず、ただ責めたてたのだろう。その悔しさが子供たちの小さな体を震わせている。彼らの周りホヨホヨも震えている。
マティアスは彼らを可哀想に思った。とは言え、子供たちの言葉をそのまま信じたわけでもない。
間違いはどんなに注意していても、起こるときには起こる。
だが、子供の言う事、と無視するべきでもない。言い分は聞いてやるべきだ。
「、、わかった。残りのスープはもう捨てちゃったかな?あったら持って来い。それと、病気の皆にスープ以外に何を食べたか、飲んだか聞いて書きとめておけ。特に重症の者たちが何を口にしたか、夕食の前後も含めて聞いておけ」
干キノコがガラス瓶の中でくつろいでいるのが見えた。
あ、痛たたた、、
トイレに駆け込むマティアスを子供たちは不安そうに見送っていたが、暫くしてなにか決心したように部屋を出ていった。
マティアスはベッドに戻って子どもたちの言ったことを考えた。
そしてふと、メリッサが自分の近くに座っていたのを思い出した。モロウが隣でその隣が彼女。モロウは食べなかった。他の二人はどこに座っていたのだろうか?誰が運んできた?
疑惑が湧いてきて、マティアスは自分の考えにゾッとした。
干キノコがガラス瓶から出てスープに飛び込んだ。目を開けて自分の両手を見ると、それははっきり二つづつあった。
「具合、どうだ?」
モロウがまた、薬湯を持ってきた。
「疲れた」
痛みと幻覚で体どころか心が休まらない。
「メリッサも幻聴が聞こえる、と言った。幻覚系毒キノコかな?」
モロウは言って、心配そうにベッドの端に腰掛けた。
他の二人は良くなって、寝込んでいるのはマティアスとメリッサだけになったそうだ。
そばにいてやったら、とマティアスは言ったが、モロウは、彼女には両親も姉妹もいるから、、と言って立ち上がった。ふらついている。彼自身もよく眠っていないようだ。
少し眠れ、と声をかけるマティアスに、そのまま手だけ振って出ていった。
フレイヤの声がする、とララバイが言った。
「声がするって、呼んでるのか?なぜだ?まさか彼女になにかあったのか?」
ガスパルの心は乱れた。
_俺が恋しいのさ。
「それだけ?お前が恋しいって、、俺のことはなんか言ってないのか?」
_来いと言っているわけではない。意識せずに呼んでいるだけだ。
意識もせずに龍を呼んでも、俺のことは呼んでくれないのか、、ガスパルは落ち込んだ。
_ともかく俺は様子を見に行く。すぐ来ると言っていたのに来ないのは、やはり問題があるからだろう。一緒に来るか?
「行かない」
呼ばれてもいないのに、のこのこ行けない。
砦の建設が今までにない勢いで進んでいた。ララバイたちの協力で強固な外壁ができた。堀はまだだが裏の岩山を掘り崩し、草の豊富な平野に出られる通り道も、もうすぐできる。
完成すれば遊牧民族に向けて広報を出す。王族や豪族の領地を通るたびに課せられる、法外な通行料を払う必要はもうない、と。
「格安料金、今なら往復割引もついて絶対お得!牛も馬もよだれを垂らす緑の草原にご案内!スレイヤーズの駐在所もある絶好のロケーション!ついにオープン!!」
パブロは既にビラや立て札のうたい文句を考えている。
王族からの反発は避けられないだろうが、大翼龍の攻撃を想定して築かれた砦だ。彼らだとて容易には攻めては来られない。
_ルシア、置いていけないよなあ。
ララバイは意味ありげに笑った。
えっ!?
_それともプリマベラ?競争率高いし、今ここから離れられないよなあ。
「うるさい!」
飛び立とうと身構えているララバイの足を蹴ろうとしたが遅かった。ララバイは飛びたった。
高みからガスパルを見下ろして面白そうに言った。
_嘘だよ。お前のこと、呼んでいる。寂しい、と泣いている。
そう言い残して、ガスパルに何かを言う暇も与えず上昇して行ってしまった。
フレイヤが寂しいって?俺がいないから?本当に?
ララバイを呼び戻して一緒に行きたい、、フレイヤに会いたい。俺も寂しかったよ、と抱きしめたい!
、、でも、出来ない。今はできない。、、フレイヤと対等になりたい。同一線上に並びたい!
何よりも、なによりも、スレイヤーズと肩を並べてドラゴンと戦える男になりたい!
、、今、砦を離れるわけにいかない、、。
続く
本作品は龍の生き血 ドラゴンスレイヤー族誕生秘話 (syosetu.com) の後日譚であり、全国書店とネット上で発売中の「龍のささやき」の前身でもある物語です。
「龍の生き血」に登場したドラゴンスレイヤー族が、後に名門と呼ばれる「ソラリス家」と「クレセント家」として血統を確立して行く過程を描いた愛と憎しみの冒険ファンタジー。
連載形式で月に1-2回、新しいストーリーを追加する予定です。
「龍のささやき」については下記のリンクをご利用下さい。
https://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-24840-0.jsp