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3話

それから数か月が経った。私たち個人には大きな変化が無くても、この国を取り巻く環境が激変した。

かつて私が傭兵部隊の一員として内戦終結に導いた国は、その10年以上に及ぶ内戦で疲弊しきっており簡単に東の大国に飲み込まれた。

一方の西にも大国があり、そこも着実に領土を広めていった。そんな東の大国と西の大国のせめぎあいの最前線がこの国だった。

戦になれば勝ち目がある訳もない。よってどちらの国に白旗を振るかの問題になっていた。

「どうせなら東の方が良いわね。これまで通りできそうだし。」

東の大国は文化的にも宗教的にもこの国に近い。そちらであれば、エミール先生の言うように生活にそこまで変化が出ないであろう。

逆を言えば西の大国は全くの異文化。エミール先生の仕事でもそちらとのお付き合いはほとんど無いらしい。

そんなきな臭い雰囲気は、私に否応なしで護衛という任務を再認識させた。

「考えすぎよ。たかが彫刻家を狙う訳ないでしょ。」

それが最近のエミール先生の口癖だった。言わせているのは主に私の言動が原因だが。

心に若干の警戒心を持ち続けたまま日々は流れていった。


その晩、不意に目が覚めた。

普段の生活の中では嗅がないようなかすかな匂い。

普段のようにエミール先生のノミの音が続いていたら絶対に聞き取れなかっただろうごくごく微かな足音。

そんなわずかな違和感を無意識が感じ取り、私を覚醒に導いた。

確証は無い。足音に聞こえただけの別の物音かもしれない。それだったらそれで良い、取り越し苦労なんて買ってでもしたい所だ。

物音を立てないように周囲を確認して、立ち上がる。

相変わらず床で丸まって寝ているエミール先生を見つけ、風邪を引かないように毛布を掛けなおす。

近くに落ちているノミが目に入るが、これは駄目。定石では使えそうなものは何でも使うべきだが、エミール先生のノミを使う気にはなれない。

ゆっくりと慎重にキッチンに移動して包丁代わりのナイフを取り出す。玄関の扉の横で息を潜める。

外の気配をうかがっていると、残念な事にやはり家の外で足音がする。人数は多分1人。

侵入口が玄関とアトリエの搬入口しか無い事が幸いした。行動が読みやすく、侵入するなら玄関だろう。

玄関の鍵が壊され外から開けられる。入ってきた侵入者目掛け飛び掛かるもすんでの所で避けられる。

「なんだよ。番犬はただの奴隷一匹じゃないのかよ。」

玄関の外で悪態をつく少年。月明かりが照らすその顔を見て驚いた。

「26・・・Zなの?」

かつての傭兵部隊のボスが見つけてきた子供達。その名前はアルファベット一文字か番号。

私の同期と呼べる数人のうち、内戦終結を迎えることが出来たのは私と彼だけだった。

最後に見た時以上に眼窩はくぼみ頬はこけて、明らかに万全な状態でないことが一目で分かる。

「その声は27か。・・・なんだその恰好、一般市民の真似か。奴隷の分際で。」

擦れた声が返ってくる。向こうも私を認識したみたいだ。

「はあ、簡単な任務だと思っていたのに。道理で上手くいかないはずだ。」

言わば同門同士の対決。お互い行動のセオリーを知っていればその崩し方も知っている。

「君と戦いたくない。武器を下ろしてくれないか。」

「お前は護衛の任務に命を賭したんだろ。俺は暗殺の任務に命を賭した。それが全てだ。」

襲い来る彼のナイフを持っているナイフでいなす。向こうはとっくに覚悟ができているようだが、私には彼にナイフを突き立てる事なんて出来ない。守ることで精いっぱいになってくる。

二度三度といなしているうちに、その物音でエミール先生が起きてしまった。

「ジョセフ、何があったの?」

「先生!危ないですから来ないで下さい。その辺の何かで身を守っていて下さい。」

「わかったわ。」

アトリエからごそごそ物音がする。エミール先生なりに身を守っているのだろう。

暗殺の対象には見つかり防御を固められ、護衛が邪魔で室内にすら入れていない。彼のほうが相当不利なはずだ。

「・・・ジョセフ、ねえ。」

「お願いです、引いてください。セオリー通りに言えば一旦撤退して立て直すべき状況です。」

「今の俺に二度目は無いんだよ。暗殺に成功して解毒剤を飲んで助かるか、失敗して色々しゃべる前に毒で死ぬか、くそみたいな依頼者だろう。」

「そんな。」

「まあ、成功しても解毒剤が間に合わないかもしれないし、そもそも解毒剤なんて存在しないかもしれないけどな。」

自虐の笑みがこぼれるも彼の目から殺意は無くならない。

「素敵な名前、素敵な服、素敵な居場所。俺に無いものばっかり。牢屋に居た頃までは俺もお前もおんなじだったのに、何が違ったんだよ。」

彼は苛立ちまぎれにそこら辺のものを蹴り飛ばす。

「落ち着いて。一回落ち着いて話し合いましょう。」

私の声は無視されて、彼のナイフが襲い掛かってくる。それを何とかいなすも先ほどより数倍重く感じる。

「これだけの差を見せつけられそれでも妬むなとか、神はどうしてこうも過酷な試練をお与えになるのか。

傲慢であるな、強欲であるな、嫉妬するな、憤怒するな、色欲に溺れるな、暴食をするな、怠惰であるな。

何とか生きているだけの何もない俺には何一つ守れる気がしない。全て欲しいと思ってしまう、だってそれが人間だろう。

・・・それでも、神は慈悲の御心でお救い下さるはず。」

彼は傭兵部隊の中で一番の信仰者だった。どれだけボスに馬鹿にされても、信仰を捨てなかった。

敵味方関係なく弔おうとする姿勢は、本物をほとんど見たことのない私にはまさに聖職者のそれに見えた。

相手を討ったその手で今度はその相手を弔う。周りの皆は馬鹿にしていたが、彼の表情が冴えない事は知っている。

そんな矛盾の中でも彼は、彼の信じる信仰を手放すことはしなかった。

「お願い。もう止めて。」

私は必死に声を上げるが、彼は止まらない。

彼の全力の一撃を何とかかわす。追撃をいなす。

「くそ。」

最初こそ彼が優勢だったが、徐々に毒が回った為か体力の差かわからないが、拮抗し、そして私が優勢になる。

彼のナイフをいなした所で、とうとう彼の体勢が崩れる。そこに私の体が勝手に反応してしまう。

傭兵部隊に居た時に何度となく練習させられた、身に付いてしまった動きで彼の急所にナイフを突き刺してしまう。

「あ、ああ、」

声にならない叫びをあげたのは私の方だった。

力なく崩れ落ちた彼を抱き起す。

「だ、駄目。死なないで。」

「なに、言ってんだ、完璧に、急所、だぞ。」

何とか言葉を口にする彼の口角からは一筋の血が流れる。

最後の力を振り絞り、見送る側の左胸に拳を当てる。戦場で幾度と見てきた最後の儀式。

残された者を鼓舞するかのように、自らの遺志を継いでもらうかのように。

「俺の、分まで、生きてくれ、、ジョセフィン。」

彼の腕から力が抜ける。

「あ、ああああああああ。」

今までに戦場で何人もの人を倒してきたくせに、その時はむしろ高揚感すら覚えていたくせに。

たった一人、彼を自分の手で討った事に後悔と絶望を覚えて、泣き叫んだ。


しばらく泣き叫んでいた。気が付けばいつの間にかにエミール先生が隣にいてくれていた。

エミール先生は服が汚れる事も厭わずに優しく彼を抱きかかえた。

キッチンには既に一枚の毛布が敷かれており、その上に彼をそっと置いた。

彼の両手を胸の上で組ませて、毛布で優しく包む。

「明日の朝。明るくなったら彼を弔ってあげましょう。」

「・・・はい。」

「それまでゆっくり休みましょう。」

「・・・はい。」

その日はエミール先生の寝床で二人で寝た。子供みたいに泣きじゃくる私を先生は優しく撫でてくれた。


泣き疲れて仮眠をとった。気が付けば東の空がぼんやりと明るくなりつつあった。

既に寝床にエミール先生の姿は無かった。

寝床を出てキッチンに向かう。そこには昨夜の事が夢ではない事をまざまざと見せつけるかの如く、毛布にくるまれた彼が横たわっていた。

昨夜は気が動転してまともに見られなかったが、改めて見る彼の表情はとても穏やかだった。

アトリエの搬入口の方から音がして、エミール先生の声が聞こえてくる。

「ジョセフ。彼を連れてきてあげて。」

私は毛布にくるまれた彼を抱きかかえて、裏庭へと向かった。

裏庭の雑草は冬の訪れを前に枯れ果てている。一歩進むごとに足元で乾いた音が響く。

裏庭の最奥にある一本の木。その根本には何も刻まれていないあの人の墓標。その横に新しく穴が掘られている。

エミール先生は泥だらけの格好のままそこで待っていてくれた。

彼をその穴の中にそっと降ろす。

「有り合わせで作ったから、少し歪だけど。」

そう言ってエミール先生は花束を渡してくれる。この裏庭に自生する草花の花束。

秋の香りが詰まった花束を彼の胸の上に置く。

「私は彫刻家であって司祭ではないし、彼の信仰していた神様がどんな神様かも知らないわ。

だから正しい方法ではないかもしれないけど、彼の助けをしてくれる事を願って、これを彼に授けるわ。」

取り出したのは私が持っているものと同じ、この町の守護聖人が彫られたカメオ。

「ジョセフ、君を今まで守り抜いてきてくれたこの守護聖人。おそらく彼の事も助けてくれると思うの。」

そう言って花束の横に置いた。

「彼が彼の信じる神の元に、迷わず行けますように。」

しばらく黙祷した後、エミール先生は優しく彼に土を掛けた。

最後に墓標をたてる。

「彼の名前を刻みましょうか?」

ゆっくりと首をふり断った。きっと彼もまた名付けられたその名前の事は好きでは無かっただろう。

参列者がたった二人だけの葬儀。それでも最大限に心を込めた葬儀。

しばらくの沈黙の後、ぽつりと呟いた。

「彼は幸せかもしれません。戦場で散っていった仲間達には看取ってあげる事は出来ても、こうやって丁寧に弔ってやれる事はまずできませんから。」

「そうね。」

「ボスに言わせると、「信仰を捨てられない彼は心が弱いから真っ先にくたばるはず」なんだそうです。しかし結局、同期で生き残ったのは私と彼だけでした。

だから彼もそれだけ何人もの仲間の最後を看取ってきて、その度に彼なりに仲間を弔ってきた。そして最後に彼自身もこうやって弔う事が出来ました。

彼は彼にとって正しいと思う事を行ってきたはずです。だからきっと彼は彼の神様の元に行けるはずです。」

「そうね。」

エミール先生は優しく答えてくれた。


室内に戻り、泣きはらしてぼろぼろになった顔を洗い、着替える。

一般市民の服とカメオと手袋。いつもの装備を整える。

「一人で大丈夫?」

エミール先生は相変わらず優しい。しかしいつまでもその優しさに溺れている訳にもいかない。自分で踏ん切りをつけないとその優しさにずぶずぶと埋もれてしまいそうになる。

「大丈夫です。役所に報告しにいくだけですから。」

中心街に向かう。今日は休日ではないため人通りはまばらだ。中心街のそばにある役所に入る。

いつもの作品の輸送担当でも良さそうだが、今回は顔見知りのまったくいない公安のほうに向かう。

知っている人が居ない。それだけで若干心細くなるが、それでもやるべきことをこなす。

公安に所属する役人に昨夜起こった事の顛末を報告する。

エミール先生が暗殺されそうになった事。その犯人が傭兵部隊の時の仲間だった事。そして彼が奴隷として乗せられた馬車の特徴と、向かった方角。

話を聞いている役人の表情から、馬車の特徴と方角は十分に有益な情報源となったと思えた。そこから追えば依頼主の特定もできるかもしれない。

「私の提供できる情報は以上です。」

「わかった、ありがとう。・・・ところで、」

今まで聞くだけだった役人が聞き返してきた。その表情は硬い。何かまずい事が起きそうな嫌な予感がする。

「その犯人。26番だったか27番だったか。そいつは本当に死んでいるのかい?」

「い、言っている意味が理解できません。」

あまりに突飛な事を言い出すから、反応が遅れた。

「そのまんまの意味だよ。君はその犯人とお友達だったんだろう。殺したことにして匿っている可能性も0では無い。」

役人の視線がどんどん鋭くなっていく。そんな未来が掴めていればどんなに良かった事か。

「君たち奴隷はすぐに集まって反乱しようとする。君個人にしたってその恰好。実に反抗的だ。

君の持ち主があの著名な彫刻家の先生でなければ、即刻牢屋にぶち込むんだがね。」

「お言葉ですが、」

怒りだしそうな自分を抑える。ここで暴れれば向こうの思うつぼだ。そんなことになれば確実にエミール先生に迷惑が掛かる。

「彼は確実に殺害しました。その遺体も私が処理しました。

そして、この服装はエミール先生、私の持ち主であるエミリー・ノイマン様の御好意で着させてもらっています。

それを駄目だということは、エミリー・ノイマン様への注意喚起として受け取り、後ほどエミリー・ノイマン様にお伝えいたします。

ですからひとまずここは、この服を脱いで下着姿で帰る事でよろしいですか。」

そういいながら手袋を外し来ている服に手を掛ける。流石にバツが悪くなったのか私を静止する。

「やめないか。奴隷の汚い下着姿なんかを見せびらかすな。君の事なんてどうとでもなる。

それよりもその犯人の方だ。君の証言だけでは君が彼を殺したという確証にはならない。

君が殺して処分したと言うならその場所を教えてくれないか。我々で掘り返し確認する。」

それはこいつらにエミール先生の大切な場所を荒らさせる事になる。それだけはさせない。

それに安らかな眠りについた彼をこいつらに掘り返させるなんてさせたくない。

「わかりました。しかし、そのご足労は取らせません。エミリー・ノイマン様のご自宅に戻り次第、私自ら掘り起こして、必要な部分を持って再度こちらに赴きます。

どこがいいですか?頭ですか?腕ですか?ご所望なら彼の死体をそのままこちらまで運んできますが。」

気が付けばぼろぼろと涙があふれていた。あまりの感情に耳が熱い。怒りと悲しみが語尾を荒げさせる。

そんな私を鬱陶しいものを見るかのように適当にあしらう。

「わかった。わかった。君の言葉を今は信じよう。但し、何かあったら今度は容赦しないからな。」

そして私は帰る事が許された。廊下に放り出されるなり泣き崩れた。

何とか立ち上がり、止まらぬ涙を拭きながらエミール先生の待つ家に向けて歩いた。

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