2話
あっという間に数か月が過ぎ去る。その中で私の日常も固定化していく。エミール先生の身の回りのお世話をして、となりのクライン家のキッチンを借りて食事を作り、簡単な仕事の手伝いをする。
休日になれば、教会の礼拝に参加しその教義を頭に詰め込む。ちなみにエミール先生が礼拝に参加した事は全くない。
クライン家のキッチンを借りている関係で、当然クラインさんとも仲良くなり話を聞く機会が増える。中途半端で未収得だった読み書きも、クラインさんの尽力である程度はできるようになった。
クラインさんの足腰がもう少し丈夫だった頃は、今の私の仕事に近い事をクラインさんが行っていたらしい。食事を作り、届けて、ついでに洗濯ものを回収してくる。
そのため、エミール先生の好物などを熟知しているらしい。
エミール先生は昔から集中すると時間を忘れて仕事に没頭するらしく、丸3日ノミをふるい続けた時は、流石に体の調子を崩して病院に連れていくことも検討されたそうだ。
それからは一日を超えて集中している時は、強制的にストップをかけていたそうだ。
「しかし、話しかけたぐらいでは戻って来てくれません。」
「そうね。そういう時は後ろからノックするのが一番よ。」
結局は身体的に何かしなければ戻ってこないようだ。
「それで大体は大丈夫よ。」
「大体ですか。」
「そう。後は一番効くのが、」
確かに効きそうなやり方だが、その後が気まずい。多分怒ると思う。本当にとっておきだ。
エミール先生と私と、そしてクラインさんの三人分の料理が出来上がる。そのうち二人分をいつものように取り分けて、持ち帰る。
「明日は休日でルークさんも帰ってきますね。」
「そうね。嬉しい限りだわ。」
ルークさんは書類上はクラインさんが所有する奴隷となる。それを国の炭鉱に労働力として貸し出す形で収入を得ている。その為、この家にルークさんが帰ってくるのは炭鉱自体が休みになる休日のみ。
クラインさんは自分の子供や孫のように可愛がり、大切に接する。傍から見ていてもとても気持ちのいい二人の関係だ。
明日は4人分作らなければ。と頭の中のメモにしっかり書きつけクライン家を後にする。
エミール先生の家の玄関を開け、そのままアトリエのテーブルに料理を運ぶ。その間もノミの音が続く。
「ご飯の用意ができましたよ。」
声をかける。反応なし。
「エミール先生。」
教わったようにノックしてみる。しかし反応なし。
ちょうど最終工程で、あと少しで完成するといった具合。一瞬そのまま完成まで待とうかとも思ったが、心を鬼にして止めにかかる。既にエミール先生はひどいクマと浮き出たほほ骨で健康とは言えない顔色になっている。
エミール先生の腕を掴み強引に揺さぶりながら、
「先生!!大変です。あっちの作品に傷が!!」
「何!!」
やっと戻ってきた。不測の事態に顔が強張るエミール先生に笑顔で返す。
「嘘です。ご飯の用意ができました。」
状況を理解したエミール先生は頭を抱えながらうなだれる。
「そうか、ばあちゃんの入れ知恵か。全くろくでもないことを。」
「いつまでも反応しないエミール先生にも責があります。」
「・・・わかった。悪かった。けど、もうそれは使わないで。心臓に悪い。」
エミール先生に謝罪をして二人で食事を取る。エミール先生はそのまま少し仮眠を取った後、仕上げに取り掛かる。
今回の作品もまた素晴らしかった。審美眼なんて持ち合わせていない素人の私でも素晴らしいと思う。細部まで細かく作り上げられ魂が宿ったかのようなその作品は、今にも動き出しそうだ。
遠ざかったり近づいたりして全体のバランスを見ながら最後の調整をする。
「ふー。よし、こんな所か。」
そう言って、やっとノミと木槌を置く。それに合わせて、ワインをなみなみ注いだコップを渡す。
エミール先生のいつものルーティン。出来上がった作品を眺めながら、そんな時にしか飲まないワインを一杯飲む。
その表情は普通に考えれば、心地よい疲労感と満足と恍惚になってもおかしくないはずだが、エミール先生はいつも険しく苦々しい表情で作品を見つめる。
私は黙ってそんなエミール先生を見ているだけ。ふと、珍しくエミール先生が声を上げる。
「ジョセフ。君にはこの作品がどう見える?」
いつもの柔らかな声とはうって変わり、冷たく固い声。そこに驚きながらも素直に答える。
「素敵な作品だと思います。今にも動き出しそうな。」
「君にもそう見えるか。」
「ええ。」
「だが、私にはそうは見えない。醜悪な作品ね。素敵に見えるのはただ腕が良いだけ。そんなものは私じゃなくても努力すれば身につくわ。
私の作品には魂が籠らない。どんなに見てくれが良くてもただの空虚よ。師匠や兄弟子たちに遠く及ばない。
私に言わせれば、そこいらのちびっこがガラクタで作った人形のほうがよっぽど魂が籠っているわ。」
普段は自分のことをあまり語らないエミール先生が、珍しくしゃべり始めた。
「周りの評価と自己評価のあまりの差に嫌になってね、師匠の元を抜け出したの。
師匠を含め皆私の作品を褒めてくれるけど、その褒めてくれている人の作品の方が数段素晴らしく見えるんだから全部嫌味にしか聞こえなくって。
1人になってから、どうすれば魂の籠った作品が作れるか研究したわ。
自分の邪念が原因じゃないかとか、技術が足らないからじゃないかとか、しまいには私が女だからじゃないかなんて考えたことも有ったわ。結局どれも違ったけど。」
では見つかったのかと、聞きそうになって堪える。それならエミール先生の苦悩は解決しているはず。
「未だに正解らしい正解にはたどり着いていないんだけどね。一番近いと感じたのが私が神様を信じていない事かな。例えばあの作品。」
指さす先には一人の聖人の像。知識の浅い私には誰までは特定はできずとも、そこに彫り込まれている小物などから聖人であるところまでは推測できる。
「海外の何とかっていう町の守護聖人の像。主要な経典に載っている人物だから知っていたけど、作るにあたって当然どんな人物か調べ直したわ。
調べれば出てくるのは偉業の数々。素晴らしい聖人ね。
でも、その偉業のおおもとである神様の存在を信じていなければ、その啓示を受けた人物も私には嘘くさく感じる。
ちょうど、遥か遠方の国でかつては宗教として崇められた神々が、今は信じる人が居なくなってただの神話の中の神々になったみたいに。
神様の方は何も変わっていないのに、受け取る私達の心一つでそれが実在すると信じるに値する存在からお話の中の登場人物にもなる。
だから、私に信仰心が有ればこれらの空虚な作品に魂が宿るのかしら。」
ワインを一口含みさらに続ける。
「私が信仰心を持つなんて無理な話ね。かつて神様や教会がしでかしたことを許す気にはなれないもの。
ジョセフは元々信仰していた神様か何かがいるの?」
不意に振られて言葉に詰まりながらも答える。
「私は知っての通り、物心付いた時には銃と剣で自分の身を守ったり、人の命を奪ったりしていました。神様という存在の意味を理解する前には、そのお膝元に他人を送っていました。
それにエミール先生みたいに賢くないので、そんなに難しくは考えられませんでした。だから、戦場はただの偶然の連続と考えていました。玉に当たるのも当たらないのもただの偶然。
内戦終結まで何とか生き残れたのも、偶然に過ぎないと思っています。そこに神様の御業はありません。
ボスがたまに言っていました。こちらもあちらも同じ神様に助けを求めているのに、結局は片方の願いしか叶えられない。
そんな中途半端な事しかできないなら、全知全能で有るはずの神様なんて居るはずがないと。
だから、いもしない神様に縋る時間があったら剣を研いで銃を掃除しろって。」
「相変わらず合理的な考えの人ね。」
「大っ嫌いでしたが、私が今生きているのはボスの教えと偶然によってです。」
「結局、私もジョゼフもこれっぽっちも信じていないのに、そんな神様を信じる人たちに作品を売りつけて生きているのよね。」
自虐的な発言をしてワインを一口運ぶエミール先生を見ていて、ふと思いついた。
「では信じられる人をモデルにするのはどうでしょう。エミール先生が実際に目で見た人物、クラインさんとかルークさんとか。そういった人をモデルにすればもしかしたら。」
「そんな市井の人々を題材にしても買い手はつかないわよ。」
否定しながらも、エミール先生の表情は明るい。
「ではそういった人をモデルにしてそれを聖人の像に仕立て上げるとか。」
「却下。出来上がるのは聖人の扮装をした市民になるのがおちよ。神様やら聖人やらに生きている人たちを覆いつくすだけのリアリティが無いわ。」
脳内をひねり上げて、知恵を絞りだす。
「いっその事、そういったエミール先生が実際に見てきた人たちを聖人にしてしまうとか。」
言ってしまってからあまりの荒唐無稽さに、笑ってしまった。エミール先生もつられて笑う。
「そこまでいったら、もう既存の宗教では無いわね。」
「そうですね。まったく新しい別の宗教になってしまいますね。」
「ほんと、言う事まであの人そっくり。」
エミール先生に笑顔が戻り、ちょうどワインも無くなった。空になったコップを私に渡しながら話題が変わる。
「明日は街に行くんでしょ?」
「そうですね。休日で市場が立ちますし、ついでに役所に行って完成の報告と出荷の手続きをやってきてしまおうかと思っています。」
「ちょうどいいタイミングで一仕事終わったから、私もたまには一緒に行こうかしら。」
「いいですけど、買い物の前に教会の礼拝に参加しますけど。」
「それはパス。じゃあ現地集合ね。」
「・・・わかりました。」
頑なに礼拝には参加しないつもりらしい。
簡単に明日の予定を確認してその日はエミール先生は寝床で寝ることにしたようだ。制作途中だったりすると寝床まで移動する体力も残っておらず、そこらへんに適当に丸まって寝ていたりする。
だから、ちゃんと寝床に収まっているエミール先生は珍しかった。
翌朝、私が起きた時には既に次の作品に取り掛かっていた。いつものノミの音が響く。私は朝食もそこそこに外出の準備をする。
一般市民の服に、守護聖人のカメオ、そして手袋をはめて街に行くための装備を固める。
「では先に行っていますね。」
「気を付けてね。」
珍しく反応が返ってきた。その声とノミの音に送り出されて、街に向かう。
朝の気持ち良い空気の中、教会に入る。この数か月の礼拝への参加で顔なじみも増えた。エミール先生ほどではないにしろ教義に対する知識や理解も多少は増えた。
それでもやはり、その教義は私の心には響かず、それを信仰する気にはなれなかった。形だけの礼拝を終えて、顔なじみに挨拶をしてから役所に向かう。
基本的にエミール先生と顧客を繋げているのは国お抱えの商人。商人が顧客からリクエストを受けてエミール先生が制作し、出来上がったらその商人が運ぶ。
その間々に国が入り込みありとあらゆる名目で手数料を持っていく。国としては美味しい収入になるのだろう。
役所のいつものところにいる、いつもの役人に完成を報告してそのまま出荷の手続きをする。数日以内に実際の運搬要員を集めてくれる旨を確認して記憶にメモする。
あまり長居したい場所ではない。いくらカメオを首から下げていても奴隷の身分であることは変わらず、彼らの機嫌を損ねるような事をしてしまえば彼らの持っている権力で簡単に牢に放り込まれてしまう。
気持ち足早に役所を出て市場に向かう。市場で必要な食材を物色していると、エミール先生と遭遇する。既にエミール先生の手には少量の食材と花束。
「これもよろしく。」
「あ、はい。」
渡された食材はほとんど見た事が無いものだった。
「これは、どんな食べ物なんですか。」
「あ、ああ。ばあちゃんに聞けば調理の仕方はわかるはずだから。」
なんとなく答え方が歯切れ悪い。花束だけを手に持って心此処に有らずと言った具合だ。
花束の事を聞きたい所だが分をわきまえる。いくら優しくしてもらっていても親友ではない。所有者と奴隷である事には変わらない。
その後もうわの空になっているエミール先生を連れて買い物を続け、そして帰路につく。
私はいつも通り大量の食材を持って、クライン家にお邪魔する。エミール先生はそのまま家に戻っていく。
迎えてくれたクラインさんにエミール先生が購入した例の食材を見せながら問う。
「クラインさんなら調理の仕方を知っていると仰っていたのですが。」
「ああ。そうだね。もうそんな時期になったんだね。」
「・・・」
「それはね、先生の思い人が大好物だった料理の食材なのよ。年に一度その人の命日に作ってお供えするのが、先生なりの弔い方なの。」
そんなに大切な思いが込められているなんて予想だにしなかった。
「では、いつも以上に丁寧に作らないといけませんね。」
「そうね。じゃあ始めましょうか。」
未知の食材と未知の調理法に悪戦苦闘しながら、それでも丹精込めて作り上げる。
それは嗅いだことのない異国情緒あふれる香りを漂わせた料理となった。味見で少し食べてみたが味もまた未知のものだった。
エミール先生と私とその人の3人分取り分けたところで、ふと気になる。
「お供えをするにしても、そのお方の眠っておられる場所は教会の墓地ですか。」
教会の所有する墓地は教会のすぐ近くにある。そしてその協会は中心街にある。これを持ってそこまで行く事もできなくはないが、やや躊躇してしまう。
「いやいや。そんなところじゃ無いわよ。それに先生が大切な人を教会に預けると思うかい。」
「・・・いえ。まったく。」
考えれば当然の事だった。エミール先生が教会の墓地を利用するはずが無いことは十分予想の範囲内だったはずだ。
「先生の家の裏庭に行ってごらん。先生も多分そこに居るから。」
エミール先生の家は手前のキッチンと奥のアトリエの二部屋から構成されている。そのアトリエにある搬入口に馬車を横付けする為に、家を取り囲むように私道が整備されている。
搬入口から私道を挟んだ反対側が裏庭となる。家庭菜園で野菜でも作ろうとしたらしい畑の跡地は雑草の生い茂る野原の変わり果てている。自分さえ管理しきれないエミール先生に野菜の管理は不可能だったようだ。そんな野原の先に土地の境界を示すように一本の木が植えられている。
そこまでが今までに実際には踏み入れたことの無かった裏庭に関する知識だった。そんな裏庭を雑草に足を取られそうになりながら進む。
木の根元にエミール先生がしゃがみこんでいた。そしてその視線の先には何も記されていない墓標が佇んでいる。
先ほどの花束はその墓標に供えられている。
エミール先生の表情からどれほどその人を慕っていたかが分かる。
「・・・とても大切な方だったんですね。」
「そうだね。大切にし過ぎで10年以上経っているのに、全然立ち直りきれていない。」
自虐交じりに答えてくれた。
特徴的な香りがエミール先生の鼻を刺激したのだろう。視線が私の手の上の料理に移る。
「その料理はね、あの人の遠い遠い祖国の料理らしいの。こっちに連れてこられても同じような味が味わえるって喜んでいたのよ。」
遠い目をするエミール先生。きっとその人との数多くの記憶が蘇っているのだろう。
「それだけ思ってもらえたら、その人も嬉しいでしょうね。」
「どうかな。もしかしたら、「自分の事なんかさっさと忘れて前を向け」って思ってるかも。そんな人だったから。」
「墓標にお名前は刻んで無いのですか。」
「あの人に付いていた名前は管理番号だけだったから。そんなものを墓標に刻んで亡くなった後まで縛り付けたくない。」
「すみません。余計な事を聞いてしまって。」
「いや。いいのよ。当然の疑問ね。あの人は何の前触れもなく病気になったの。医者に見せようにも独り立ちしたばっかりの彫刻家の収入じゃあ全く足りなかった。
あっという間に亡くなってね。」
「・・・」
「教会の奴らは奴隷を丁重に弔おうなんて考えにはならないのよ。それもそうね、次から次へと来るんだから。
今の私だったら、財力と権力で教会をねじ伏せて強引にでもやらせる事も出来るんだけどね。
当時の私に出来た事は、あの人を教会の手から取り戻してここに埋葬し直してあげる事が精いっぱいの抵抗だった。」
そこからエミール先生の教会ひいては神様に対する猜疑心が生まれて、信仰しないという結論に至ったのだろう。
「私の選択があの人の為に成ったかどうかはわからない。でも、自己満足と言われようともやって正解だったと思うの。」
「私もそう思います。少なくともそのお陰でこうしてエミール先生なりの形で毎年その人を偲ぶ事が出来ている訳ですし、きっと満足していると思います。」
「そう。ありがとう。」
「では、私は先に戻っています。」
その人の分とエミール先生の分の料理をそこに置いて、辞退した。
亡くなった後もあれだけ思ってくれる人が居るというのはとても嬉しい事だと思う。私が亡くなってもそこまで思ってくれる人はいないだろう。
空を仰ぎ見て信じてもいない神様に願いを掛ける。
「神様。せめて今日ぐらいは雨を降らせるなんて野暮な事はしないでください。」
願いが届いたかどうかは不明だが、空には雲一つ無かった。