第472話 ダリアとカミル
「ダリア、か……」
シトリンの問いに、メストは思わず口を噤む。
(王都での一件で俺の心は完全に彼女から離れ、彼女との接触を避けてきた。だが、王城で働いていると嫌でも彼女の話は耳に入ってくる。特に、国王陛下が宰相閣下に全権を渡してからは毎日のように聞くようになった)
僅かに目を伏せたメストは、小さく笑みを零すとシトリンに視線を戻す。
「そうだな……最近は、王女殿下の代わりに公務をされているみたいだから、今まで以上に簡単に会えなくなった」
「そう、かもしれないけど……今までだって、会おうと思えば会えたわけだから、その、話すなりデートするなりすれば……」
「『宰相家令嬢だから』と向こうから手紙も話すこともデートを誘うとこも禁じられている状況で?」
「……そう言えば、そうだったね」
(例え、心が離れなかったとしても、婚約者としての振る舞いを全て禁止された状況でどうやって彼女と話せと? 宰相閣下から『娘の嫌がることは断じてしてはならない』と言われているから尚更)
言葉に出来ない悔しさに苛まれ、思わず拳を握ったメストだったが、心配そうにこちらを見ているシトリンと目がかち合あった。
(しまった、今は王族の護衛任務中だった! しっかりしなければ)
小さく首を振ったメストが慌ててシトリンに謝る。
「すまん、大事な任務中に私情に走ってしまった」
「いや、僕の方こそすまなかった。ただ、カミル君に出会ってから、メストはダリア嬢よりもカミル君のことを優先するようになった心配になって……特に、休みの日に泊りに行くようになってからは尚更……ね」
「そう、だな」
シトリンに指摘されたメストは、ふとカミルとの日々を思い返す。
(出会った時、騎士の俺に対して冷たい態度を取る彼がどこか放っておけなかった。そして、彼の洗練された優雅な太刀筋に一目惚れした俺が強引に弟子になってから、俺は彼の冷たさの奥にある優しさやお人好しさに気づいた。その奥に潜む優しさがいつしか居心地のいいものに変わって、手放せないと思ってしまった)
『メストさん、今日の何を作りますか?』
『それじゃあ、シチューを作ろう』
『またシチューですか……仕方ありませんね。では、サラダをお願い出来ますか?』
『分かった』
穏やかで温かい時間を思い返したメストは、思わず本音を吐露する。
「はぁ、カミルの作ったシチューが食べてぇなぁ」
(肉や野菜がたくさん入った具だくさんの甘いシチューが)
幸せそうに微笑みながら呟くメストに、シトリンも笑みを零す。
「カミル君のシチューね……僕もご相伴に預かろうかな?」
すると、メストが突然困ったような顔をした。
「それは、ちょっと……」
「ん?」
(いつもなら、『それなら、お前も一緒に来るか?』って誘ってくれるのに……拒否するなんて珍しい)
いつになく難しい顔をしているメストを見て、シトリンが不思議そうに首を傾げる。
すると、メストの脳裏に最後に会った日にかけられたカミルの顔と言葉が蘇る。
『メスト様、どうかご無事で』
(そう言えば、最後に会った時、俺を見送ったカミルの顔、どこかで見覚えがあるんだよな。それに、俺のこと『メストさん』じゃなくて『メスト様』って……)
「うっ!」
「メスト? どうしたの?」
「いや、何でもない。少し疲れているようだ」
(まただ、また何かを思い出す度に頭痛が襲ってくる。本当、これは一体何なんだ?)
突然襲ってくる頭痛に、思わず額を抑えたメストは引いていく痛みに眉を顰めていると、馬車の反対側にいたフェビルが異変に気付いて2人のもとに来た。
「メスト、どうした? 頭が痛いのか?」
「団長、すみません。少し疲れているみたいで」
申し訳なさそうなに頭を下げるメストに、僅かに眉を顰めたフェビルはメストを気遣うように肩を叩く。
「まぁ、ここ最近休日返上で毎日朝から夜遅くまで働いていたからな。無理はするな」
「ありがとうございます。ですが、もう大丈夫ですから」
「そうか。それと、雑談はほどほどにしろよ。もうすぐでコロッセオに到着するからな」
「「ハッ!!」」
フェビルに注意され、2人が綺麗な敬礼をしたその時、馬車の先を歩いていた騎士の足が突然止まった。