鈴の音
「ほら、買ってきた」
「ありがとう」
食堂の長机の端に腰かける木藤の前に買ってきた袋を置く。
中身はメロンパン二つ、チョコチップメロンパン二つ、揚げパン、チョココロネ二つ。計七つ。
奢られるからここまで頼んだのか、普段からこれだけ食べているのか分からないが、いくら何でも食べすぎな気が……。
下手なことを言ってまた睨みつけられるのは勘弁なので、自分用に買ってきたとんかつ定食が乗ったトレイを抱え、木藤の対面の席に座る。
すると、木藤がするすると横に二席分ズレた。そしてそのままメロンパンを取り出して小さくかじる。あまりに自然過ぎたが人によっては傷つけかねないぞそれは。
だが、俺自身は何も思うことはなかった。
むしろ適切だとも思った。端だったのでそのまま自分の分も対面に置いたが、木藤が動かなければ少なくとも一つは席をずらしていただろう。
大した理由はない。その方がいいと思うだけだ。
「いくら奢るとはいえ、買いすぎじゃないか?」
だから距離感については俺も触れず、漬物から箸を伸ばしながら想像よりお金を消費させられたことに言及する。
菓子パンは意外と高い。揚げパンは百円だが、それ以外は一律百五十円。
学食価格のとんかつ定食が五百円に対し、木藤の分は計千円。俺の二倍だ。バイトを辞めた学生には辛い出費。流石に一言言いたかった。
「そう? いつもこうだけど」
そう言われて昼休みの木藤の姿を思い返してみるが、注視したこともないので記憶にない。
だが、彼女の当たり前と言うような口振りが証拠なのだろう。
「それだけ食べるのになんで飯食わずに図書室に来たんだ?」
「だって混んでるもの」
「そりゃそうだろ」
学校が終わってから一時間ほど経っている。食堂はテストが終わった学生でしばらく混むものの、この時間帯になるともう居ない。
「人込みは嫌いなのよ」
「まあ、好きな奴は居ないだろうな」
「それに、何されるか分からないし」
「スられる程うちの治安は悪くないっての」
「断言はできないから」
そう言われてしまえば何も言えない。
ただ、木藤の物言いは人に対する疑心がよく表れていた。
だからと言って、俺が何か言うことはない。言ったところで俺一人に何かできる力はない。
それが過去の物ならなおのこと。
「……じゃあ、代金代わりに一つ質問していいか?」
「何?」
メロンパンを小さくかじりながら小首をかしげる姿は不覚にも可愛いと思った。
「──クラスメイトってやつをさらに細分化できるか?」
突拍子もない質問だったが、木藤になら伝わるという謎の信用があった。こんな質問をする時点で、俺は彼女をクラスメイトとは違う何かと区分していた。だからこの区分が何かを知りたかった。
こうやって好奇心のままに何かを探るのは中学校以来で、もう高校の終わりも見える年頃──大人に近づいているというのにワクワクしていた。
予想通り、彼女は俺に尋ね返すことなく右手を顎に添え、考え込み始める。
その間も左手が口元へパンを運ぶのが止まることはない。パンを頬張った口はもきゅもきゅと動き、すぐに胃の中へ落としていく。繰り返される二手の動き。
ちゃんと考えてくれるのか少し不安になった。押し殺すために目の前のとんかつを頬張る。
そんな木藤が口を開いたのは残りのパンが揚げパンとチョココロネだけになったころ。
「知人未満のクラスメイト、知人と同じ程度のクラスメイト。知人よりかは話すクラスメイト……の三つかしら」
「クラスメイトは知人の亜種なのか?」
まさかすべての要素に知人が引っ付いてくるとは思わなかった。
だが、意外としっくりくる。
「そうでしょう? クラスメイト自体は距離が近い近所の人。みたいなものでしょう?」
「まぁ、そうだな」
バイト仲間と似ているようで違う。バイト仲間とは顔を合わせれば仕事上とはいえ、最低限のコミュニケーションが必要だ。だけど、クラスメイトは顔自体合わせているのに、全く喋ったことのない人が居る。勿論、本人の人脈だとかで変わる要素だ。
だから、知人未満が全く喋らないクラスメイト。知人程度が席の都合とかで少なからず喋るクラスメイト。知人以上がプライベートで遊ぶことはなくとも、学校では話し、話しかけられるクラスメイトってことだろう。実に分かりやすい話だった。だが――
「だけど、この答えじゃ満足できないのよね?」
「……そうだな」
この中に俺と木藤の関係を示すものはない。強いて言えば学校で話すクラスメイト。いわゆるクラスメイトの最上級的な関係なのだろうが、俺たちが話すのは放課後だ。それ以外はそれぞれの関係と学校を過ごしている。お互いのことなど知りもしない風に。だがら……少し違う。
「私と貴方の関係はこの三つとはどれも微妙に、違うってことでしょ?」
「ああ、お前でも分からないんだな」
「失敬ね。貴方よりは正解に近い答えを返したつもり」
最近木藤の口振りがそれとなく辛辣になって来た気がする。
だからと言って悪い気もしない。
「そっすか。……まだ俺の意見は言ってないんだけど」
「じゃあ、どうぞ?」
凛とした口調と声色で言い放つ木藤。彼女の瞳に少し眉をひそめた自分の姿が映っている。少しは興味を持ってくれているようだ。
左手にチョココロネを持っていることと、口元にチョコが付いていなければ完璧だった。
それについては素知らぬふりをして、考えを纏めた言葉を綴り始める。
「大部分は木藤の奴と同じだ。だから俺と木藤の関係を表す言葉を探した。」
無言で木藤がこくりと頷く。
何かの関係の間というのなら、これは知人程度と知人以上の間だ。
「依頼人と請負人の関係、だと思う」
お互いが誠意をもって、お互いの持つ何かを求めて作る対等な関係。利害関係と似ているのかも知れない。
俺の意見を聞いた木藤が興味深そうに、色素の薄い茶色がかった黒の瞳を震わせ、最後のパンである揚げパンにかじりついていた。今しがたかじったそれを飲み込んだ木藤が佇まいを整えて口を開く。
「なるほどね……。最適解じゃないけど、きっとそれが現時点で及第点を満たした解――だと思うわ」
俺が聞いたはずなのに木藤が満足しているのもおかしな話だが、この考え自体、木藤のクラスメイトを区分した話を聞いたからこそのもの。
「お陰様で良い答えを見つけたよ。出費が痛かったことを除けば」
「これぐらい安い買い物でしょう?」
買ってきたパンをすべて平らげた木藤が微笑む。やはり、口元にチョコが付いていなければ完璧だった。彼女のこんな姿を見れた時間もセットと思えば、安い買い物かも知れない。
あと、周りに人も居ないので指摘しなかったが、さすがにそろそろ言うべきだろう。
「木藤さん、口にチョコ。ついてるぞ」
「――っ!」
頬を紅くした木藤がポケットティッシュを取り出し、慌ててチョコを拭う。
「ははっ……!」
あまりの慌てぶりに思わず噴き出す。
追加注文はごめんだと笑いを抑え込むが、チョコを拭きとった木藤は怒った様子を見せるない。それどころか、新しいポケットティッシュを取り出し、こちらに突き出す。
目の前の美少女は、口端を吊り上げて悪戯な笑みを浮かべていた。
「――」
その笑みに不覚にもまた見惚れてしまう。そして、惹きつけられた顔の口が開き、
「海崎さん、口にソース、ついてるわよ?」
「えっ」
予想だにしていなかった事実を告げられた。
ありがたくポケットティッシュを借り、慌てて口元を拭う。
確かにとんかつに使ったソースが付いていた。
「あははっ!」
木藤のころころと楽し気な声が誰も居ない食堂に響く。鈴のように心地よく響くこの声を聞いたのは初めてだった。
「ふ、はははっ!」
それに感化されたせいか、俺も久しぶりに遠慮のない笑い声を食堂に響かせた。