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名無しの関係  作者: 青空
15/18

偽善

 放課後。

 俺は黙々と立て看板の修復作業を進めていた。白石先生がペコペコ頭を下げてくれたとかで、ペンキの使用が例外的に認められた。あくまで表の犯人である俺が行うというのも効いたらしい。


 思い返せば黒歴史になるのだろうかと己の行動を後悔しつつ、誰も居なくなった場所でペンキを塗りたくっていた。

 よりにもよって他教室の窓から見れる場所なので、そこかしこからひそひそとこちらを見ながら何かを言われているのが視界の端で映る。気にしてしまえば余計に気が散る、ペンキは塗るがこれ以上恥の上塗りをするつもりもないので、粛々と作業に励んだ。


「れんー?」


 声の方を振り返ると、悠介が手を挙げてこちらへと歩いて来る。


「なにさ」


 ぶっきらぼうに答える。手が空いている人で手伝うなんてまやかし、実態は人数など変わっていない。何なら木藤さえも来ていない。

 あの、ワンオペとか聞いてないんですけど。正直、木藤来てくれると思ってたし……一応助けたんだからさー……。

 ──駄目だ。見返り欲しさにやったわけじゃないんだから。変なこと考えるなって。


 一度考えると螺旋並みに周りに回ってどこかへ思考が飛んでいきそうなので、体を向きなおした。


「そりゃ勿論応援だろ。人手、足りてねぇんだろ?」

「足らないどころか減ってるよ」

「……木藤は?」

 

 辺りを見回した悠介が尋ねてくる。木藤については俺も良く知らない。あれから一度も話していない。返せた答えは首を横に振ることだけだった。

 もともとクラスで話さない。放課後ぐらいにしか話す機会はなかったのだから。


「不義理な奴だな」

「そりゃ嘘って気付かなかったら、俺がやったって思ってるだろ」

「木藤がそんな馬鹿な奴に見えるか?」

「……見えないな」

「だろ?」


 けれど、らしいと言えばらしいのかもしれない。

 恩を売ったと言えど、それを律儀に……。


 いや、おかしいのか。むしろ木藤は変なところで律儀な奴だ。

 だからと言って、俺がやったと思うような奴でもない。

 じゃあ、何故?


 考えたところで答えは出ない。月曜日の放課後でもなければ少しも会話を交わすことのなかった俺たちに、まともな話し合いの機会など訪れない。


「まぁ、とにかく手伝ってやるよ」

「上からだな」

「そりゃ、周りから見ればそうだろ?」


 ちらりと悠介が視線を他所へ向ける。視線の先には、大して話すことのないクラスメイトの女子二人。こそこそとこちらを見て何かを囁き合っている。少し歪んだ表情を見る限りロクなことを話していなさそうだ。


「濡れ衣なんだけどなぁ」

「濡れ衣を被せられたなら分かるけど、被ったやつに言われたかねぇよ」

「それはそう」


 筆でぺしぺしと塗りたくる。

 出来は悪い。やはり木藤がいないと上手くいかない。俺の力量、もとい美学センスは皆無なのだから当然だ。

 上塗りを重ねる。

 真実を隠したことが正解なのか、俺には分からなかった。


「……? ──おい蓮」

「なんだよ。今ちょっと神経使ってるから──」

「後ろ」


 有無を言わせぬ物言い。ひどく真面目なものだから仕方なく筆を止めて振り向いた。


「……木藤」


 そこに居たのは、腰に手を当てて険吞な目つきで俺を見下ろす木藤の姿だった。

 思わずつぶやくも返答はなかった。言いたいことでもあるのかと彼女の動向を待つが、仁王立ちする木藤は一向に口を開かない。

 向かい合って黙り込むのは憚られる。恐らく彼女が放つ謎の圧のせいだろう。それにに動かされるまま、口を動かした。


「……何か用か?」


 思えば、木藤から話しかけられたことはない。

 何故かも分からない高揚。こんな奴に惹かれているのかと自分で自分に引く。

 少し不満げに突き出された桜色の唇。

 ためらうように揺れる瞳が意を決して強く見開かれた。


「時間、ある?」

「見ての通り、全くない」

「……はぁ」


 素直に辛いことを明かせば呆れたと言わんばかりのため息が零れる。悪かったな不器用で。

 同時に、謎の圧力も霧散した。正直、長い間受けたいものではなかったので、内心で胸をなでおろす。

 

 その顔を下げてしまった一瞬のうちに、横目で誰かが屈んだのを捉える。

 腰を下ろした勢いで一瞬浮き上がるスカート。人は猫ほどではないが、揺れる者に目を惹かれるらしい。ついスカートに目を向けてしまったのは、本能か下心か。

 ともかく悠介ではない。よって隣に来たのが木藤だと分かった。


「……ほら、手伝うから早く終わらせる」

「……へいへい」


 もとよりこの絵は木藤一人で書いたと言っても過言ではない。

 所詮俺が出来るのは誰でもできる作業程度で、彼女が加わったことにより今までの苦労をあざ笑う数倍以上の速度で修正作業は進んだ。

 たった数分で目に見える進捗が現れ始めるのだから、感嘆の息も零れる。 


「やっぱ速いな」

「逆、貴方が遅いだけ」

「そうですか……」


 素直な感心への返答は鋭いナイフの如き指摘。

 事実とは言え、人から指摘されるとやはり少しへこむ。


「そこ、塗っておいて」

「うっす」

「その次はここ」

「あいあいさー……」


 しばらくこの作業をしてたので、木藤が言いたいことは大体分かる。どうすればいいのかもだ。

 言われると同時に握っていた筆で指定の場所を塗りたくる。俺に任されているのは、大雑把な塗り。丁寧に塗ろうとしなくてもいいのはここ数日でよく理解していた。


 最初は足並みをそろえるように飛んでいた木藤の指示と俺の返事は次第になりをひそめて、やがては木藤が丁寧に縁取った内側を俺が塗りたくる作業に変わっていった。

 

 会話もなく意図が通じるこの感覚はまるで周囲の環境が自分の手足になったようで、妙な全能感を得られる。けれどその雰囲気の中で異物というか、アウェイに呑まれてもぞもぞする存在がいた。


「……俺、要らなさそうだな」

「人手は多いほどいいけど?」

「んー、邪魔しちゃいそうだし、やめとくわ。本当に要りそうなら電話でもしてくれ」


 居心地悪そうに頬を掻く悠介が半笑いで言った。

 彼の言うことは納得いかない。人手は絶賛募集中なのにここで抜けられるのは少々困る。

 しかし、呼び止める前に彼は手をひらひらと振りながら去って行ってしまった。


「おい──って」

「半分は事実よ。放っておけば?」

「……そっすか」


 邪魔なのか? 別に悠介も難しい作業をしていた訳でもない。でも木藤がそう言うのなら俺が口を出す権利もない。

 彼女が加わった今、この作業の主導権は木藤にあるのだから。


「それに丁度良かったもの」

「それは……そうだな」


 木藤が何やら話をしたかったのは明白だった。俺だって少しは聞きたいこともある。

 けど、俺は勝手に物事を進めただけの人間で、特に話せることもない。結局は彼女がどう思うかで、筆を動かしながら木藤が切り出すのを静かに待つ。


 紙のトレーに貯めたペンキを筆にぺちゃりと浸す音。

 ペンキで固まった筆の毛先がキャンパスを叩く音。

 やがてはペンキが減り、質量の減った筆のかすれた音がキャンパスをなぞる。

 

 横で細筆を構えて精密になぞる木藤から僅かな息遣いが聞こえた。

 ぶれないよう息を止めるようなものから、止めすぎて呼吸を欲した口が漏らす艶めかしいかすれ声。

 体で地面に押さえつけられるビニールシートがぱりりと乾いた音を立て続ける。


 それは放課後で部活に励む学生に消されるような小さな音でありながら、どれも耳に残った。

 その一瞬一瞬が、一つも欠けてはいけないパズルの一ピースのように大切だった。

 

 そうやって、()()は長く続いた。


 そう感じただけかもしれない。

 二人で一つの絵を描いているだけあって、体の距離は近い。

 彼女の声が聞こえるまで筆がキャンパスを撫でる音を何度も聞いたのは確実だ。


「どうして、あんなことをしたの?」

「あんなことって?」

「とぼけないで」


 あんなこと。そういった木藤の口ぶりにはどこか非難するようなニュアンスが込められていた。

 何故かと言われても、理由なんて自分にも分からなかった。

 ただ、あのチャットを見た時に背中を這って来た焦燥感に取りつかれていただけだ。

 その焦燥感の正体は分からないが、結局はそれを拭いたい自分のためじゃないかとすら思っている。


「さぁ?」


 渦巻く内心を奇麗な形には出来なくて、返せたのは曖昧な返事。

 木藤が怒ることくらいは分かっていたけど、俺はここで歯の浮くような台詞を言える人間じゃない。

 むしろここで軽口を叩けるくらい頭の回転が速ければとすら願ったくらいだ。


「……本気で言ってるの?」

「半分くらいは」

「じゃあ、そのもう半分は」

「……偽善かな」


 わざわざ嘘を言ってまで罪を被るのが果たしてどちらなのかは分からなかった。

 それが本心かどうだったかなど分からないのだから。強いて言えば、理にかなっていないからかもしれない。不条理だと思ったからかもしれない。

 自分でもうまくまとめられなくて、心の内で唱え慣れた言葉がこぼれ出た。

 その言葉を口にするのが愚策だと知っているのに。でも、自分に取って愚策な行動をとった時頭の片隅でよぎる単語はいつだってこれだった。


「そう」


 淡白な二文字。たった二文字が聞いたこともないくらい冷たかった。

 彼女の顔はキャンパスに向けられたままで、どんな表情かは見えない。ビニールシートを踏みつける音の重みが増した気がした。キャンパスを叩く筆の音が大きくなった気がした。


「それが聞ければ十分よ」


 依然として冷たい声だったが、ほんの少し温かみを取り戻していた。でも、マッチに火を灯したぐらいの暖かさでしかないそれに木藤を暖かくすることは不可能で。


 なんて声をかけていいのか分からず、黙り込む。

 陸上部の掛け声が良く聞こえた。サッカー部の顧問が怒鳴っている言葉も、一言一句逃がさないくらい耳に入った。


 遠くの音が良く聞こえるぐらい俺の耳は研ぎ澄まされているのに、木藤から聞こえるのは淡々と作業する体がビニールシートに擦れる音と、鳴りを潜めた息遣いだけ。

 

 なのに、嫌なくらい作業は順調に進んだ。

 おかげと言っていいか分からないが、修正作業も無事に済んだ。

 一時間では終わらなかったので、部活も休んだ。それで済んだなら御の字だと信じて。


 

 何とか迎えた文化祭はあっけないくらいあっさりと終わった。


 きっと学生にとって華々しい行事で、三年生であれば悔いを残さないよう楽しみたいものである。

 だが、なんとか絵を仕上げ切った俺にそれを楽しむ体力も気力もはなかった。


 クラスごとに与えられた準備室で過ごし、悠介に引っ張り出されて軽く出店を回った程度。

 クラスのグループチャットには様々な写真があげられていたくらい。

 自分でも不思議なくらい気力が尽きていた。その理由は明白だったが、あえて無視していた。





 それきり、木藤が図書室に来ることは無くなった。





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