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名無しの関係  作者: 青空
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ミステイク・ファーストコンタクト

 恩が必ずしも恩で帰ってくることがないと、ただの善人であることが正解でないと気付いたのは、私が小学生の頃だった。


 とっ、ととん。


 消しゴムが自分の足元を転がった音。当たり前のようにそれを拾って持ち主を探す。転がってきた方向を見れば、私が拾った消しゴムと、拾った私を交互に見る男子の姿。

 言葉を探して見つけれずフリーズしている彼の意図を汲み、拾った消しゴムを手の平に乗せて見せる。


「これ?」

「うん」

「はい、どうぞ」


 母から人と目を合わせた時は微笑んでおけと言われていた。

 それに従って作り上げた愛想と問題が解決したことに喜ぶ本心、半分半分の笑みを浮かべて消しゴムを渡した。


「あ、ありがと」


 小学四年生。少なからず異性を意識し始める頃。男子と女子が喋るとはやし立てる風潮があって、それを嫌った彼は小声で迷いがちに受け取った。


「どういたしまして」

「っ!」


 活発でクラスの中心であった彼は、純粋な女子の笑顔にでも引っかかったのだろう。頬を紅く染めて、ぷいと黒板に向き直った。

 その行動の意味は当時の私には理解できず、小さく首を傾げて授業に戻った。


 それから、ふと彼と目が合うことが多くなった。

 自意識過剰かもしれないが、私のことを目で追っていたのだろう。

 母の言葉に従い、にこりと微笑み返しておく。すると、彼は毎度そっと目をそらすか、ぎこちない笑みを返してくる。


 今にして思えば思わせぶりな、なんと罪深い行動だったのだろう。

 弁明の余地があるとすれば、当時の私に無視という選択肢がなかったのだ。

 目を合わせてはよく分からない行動をとる彼。それが数週間続いた後のことだった。


「わっ!」

「ゃっ!?」


 移動教室から帰ってきて扉を開けると、彼がわっと体を大きくして驚かせてきた。腰を抜かした私が尻餅をつく。理解が追い付かない頭がぼーっと彼を見つめたままショートして指示を出さない。


「もぉー。脅かさないでよー」

「あははは!!」

「ちょっと男子―! ……大丈夫?」

「……うん、ちょっと驚いただけだから」


 はたから見ればただの悪戯。別に小学三年生であることを鑑みればさしておかしな風景ではない。彼の友達も私の反応に大口を開けて笑っていた。そんな男子を一緒に歩いていた私の友達が咎めながら私に手を差し出してくれた。


 些細な、日常風景の一幕。

 わざわざ親に話そうとも思わない。気付けば忘れている一瞬。


「もーらいっ!」

「えっ? あっ……」


 席が横だった彼が消しゴムをひょいと取り上げる。私が椅子から離れないよう手を伸ばすも、私より一回り大きい彼が腕を伸ばせば届く訳もなく。


「あ、ちょっと返して」

「へっへー!」


 ぐい、ぐいと腕を伸ばすも彼の腕にすら掠らない。身長差は大きかった。

 もとより体を動かすことは得意でもなく、運動神経が抜群だった彼に手も足も出ない。

 しかし、そんなやりとりを繰り返せば先生の耳にも入る。


「こら、木藤さんに返してあげなさいっ」

「……はーい」

「ごめんなさい、でしょ?」

「木藤、ごめんなさい」

「……いいよ」


 正直、いきなり悪戯を始めた理由が分からなくて、納得は出来ていなかった。

 けれど、謝られたら許さなければならないという義務感に従って彼を許す。


 それは小さな一幕に過ぎなくて。


 エスカレートしたのはそれからだった。


「あれ……?」


 体育の授業。靴を履き替えようと下駄箱から下靴を取り出そうとするも、靴が見つからない。その場にいた友達と一緒になって探し、授業が始まるギリギリに誰も使っていない下駄箱から見つけ出した。


 授業にこそ間に合ったものの、ずいぶんとギリギリに集団に入った。

 すると、四方からクスクスと嘲笑のような気持ちの悪い声が聞こえてきたのだ。

 それは本当に些細なもので、たったの一瞬だった。


 だけど、確かに不快だった。


 身の回りの物が隠されることと、些細な悪戯を繰り返す彼を結び付けた私は先生に相談を持ち掛けた。

 すると、先生は私と彼を呼び出し、


「──さんは木藤さんと話したくって、ちょっと加減が分からなかったんだって」


 それを聞いた私は困惑した。子供ながら、その異質さを理解した。

 だけど、先生からもうしないから許してあげて、と言われれば。


「……いいよ」


 そう言う他なかった。

 仮に断ったとして話は進まない。選択肢を見せているようで、結局一択しかない理不尽な質問だった。



 そして、いじめと言っても過言ではないその行為はさらにエスカレートした。


 表面的なものはない。でも、ものを隠されるのは日常茶飯事。

 幸いと言うべきか否か、服を汚すなど、跡が残ることは誰もやらなかった。先生にバレることを恐れたが故に。お陰で上限こそあったものの、中学卒業まで続いた。


「ふふふっ」

「探してる探してる」

「そんなとこにないのに」


 雰囲気というものは非常に重要で、雰囲気が許せば人間は容易に理性の枷を解いて、何にでも手を染める。赤信号、みんなで渡れば怖くない。というやつだ。

 後になって知ったことは、ものを隠し始めたのは彼が好きだった女子だったこと。

 私に構ってばかりの彼が気に食わないと、私に矛先を向けたのだと。


 その悪戯をするさまはクラスの人が目にする機会はあって、幼い純粋さはマジョリティーである悪に染まった。

 いや、悪であることさえ自覚せぬまま行っていたのだろう。

 彼も、友達も、これに加担しているのだからやるせない。友達に関してはなるべくやらないようにしていることは見て気付いた。だから、憎みこそすれ、怒ることは出来なかった。そうしなければ、標的にされるのだから。


 嘲笑に晒されるまま、次の授業の教科書を探す私は幼いながらに考える。


 ──どうして、どうしてこんなことになったのか。


 遡り、遡る。思い出したのは彼とのファーストコンタクト。

 消しゴムを拾ったというつまらない一幕。

 けれど、それこそが最悪の芽だと、私が幼いながらに思いついた。


 随分と馬鹿な考えであることは後に気付いた。けれど、それ以外に思いつかなかった。だって、私は何も間違ってないはず。私がいじめられる理由などどこにもないはず。

 仮にあったとして、悪いのはいじめを始めた奴だ。


 だから私は周りとの交友をすべて打ち切った。

 愛想も振り撒かず、義理だけはこなした。


 中学までは同じ面子であるため、ほそぼそと面倒なことが続いた。

 その最中、彼が私に告白してきたのは学生生活で最も笑った出来事だったと思う。


 ──滑稽にもほどがある。


 何をどう思えば私がそれを受け入れると考えたのだろう。つい爆笑してしまったのも無理ないと思いたい。

 爆笑の後、半笑いで告白を断った。彼は随分と傷心した様子でとぼとぼと去っていったが、あの後失恋ソングも聞いたのだろうか。

 告白されて気付いた。恋愛ソングというのは大抵、恋をしている側の話しかしない。それは当たり前だと思う。

 だけど、告白された側がどう考えているなど考慮していないのだから片腹痛い。まるで被害者のようなことを歌うが、私に気を寄せなければこんなことも起きていない。むしろ、被害者はこっちだと言いたい。

 それに、こちらに思いを馳せる暇があるのなら、何故断られたかを考えてくれといいたいものだ。


 鬱憤が晴れたのは嬉しかったが、その後にまたいじめが増えたのは少し面倒だった。


 ろくに友達とも遊ばなかったがために勉強に打ち込む時間も増えて、同じ中学の子がいない高校に入学できたのは幸いだった。慣れてしまったとはいえ、気にする必要がないというのは随分と楽だった。

 義理だけをこなす、愛想のない振る舞いを続けていたせいで、まともに友達は出来なかったが、特に放課後、図書室で思い思いに過ごす平穏な時間はそれなりに充実していた。


 まあ、その平穏も今壊れようとしているのだけど。



「何とか言いなよ!」

 どんと机に両手を叩きつけた女子生徒が言う。名前は知らないし、興味もない。

 分かることは後ろで足を組んで机に腰かける大空さんの取り巻き、ということだけ。

 飛んだ濡れ衣。けれど、理に適っているのも分かる。


 確かに最後に立て看板を倉庫に運び込んだのは私だ。海崎さんが手伝うとうるさかったが、部活に集中してと追い払ったから彼は除外。

 そうなれば私しかないのも頷ける。

 つまり否定材料がないのだ。倉庫前は施錠の時間まで先生が立っているから、必ず監視の目が入っている。無論私がやったなど言う証拠もない。

 でも、否定できないのも事実なのだ。



「……私は知らないわ」


 だから、言えたのは知らないという言葉のみ。

 大空さん達と私の会話を眺める中野さんと角町さん。どうしていいか分からないまま右往左往している様は、少し微笑ましい。なんとかしようともがいている行動そのものが、私が間違いでないことを示していて、唯一の救いだった。

 ……救い?


 ──何に救いを求めてる?


 私は救われるに値するほどの善をこなしたか。勿論否だ。情けは人の為ならずなんて、糞くらえだと投げ捨てた人間なのだから。

 だから、これは正当な断罪……正当ではないかもしれないけど、順当な結果だ。


「知らない訳ないでしょ!? 木藤以外に誰がそんなことをするのよ!?」


 私でもしないと思う。自分で描いたものを自分で滅茶苦茶にするとか、ただのサイコパスだ。


「そうよ、もう時間がないのにどうするの!?」


 問題はそこだった。時間さえあればどうとでもなった。


「木藤にやらせておけばいいだろー?」


 外野の、誰かも知らない男子の声が野次を飛ばす。腹は立つが、そうしてもらえる方がある意味穏便に済みそうだとは思った。

 まぁ、それを許さないのが……


「処罰よりも、謝罪でしょ? ねぇ木藤さん。まずは謝って貰わないと」


 机から降りて私の前にまで来た大空さんが、私の目を覗き込みながら妖艶に笑う。

 その目線から逃げるように目を逸らした先。彼女の靴下が何かを隠すように折られているのが見えた。

 僅かに透けて見える黒いしみ。予想出来ていた結論。

 けれど、それを述べたところでという話。前のようにもみ消されるのがオチだ。

 間違いがあったとするなら、私が下手に大空さんにも作業をやらせようとしたことだ。

 あれだけで怒りを買ってしまったというのも理解できないが、彼女の立場を下手に揺るがせたのが大きかったのかもしれない。


「……ごめんなさい」

「はぁ? そんな誠意がこもってない謝罪。誰も求めてないの。分かるでしょ?」


 彼女の指先を地面に向けられる。それが意味することもすぐに分かった。


「大空さん! 何もそこまでしなくてもっ!」


 中野さんが割って入る。彼女の善性が見て居られなくなったということ……か。そんな人もいることは知っていても、行動に移した人を見たことがなかった。


「……そりゃ、立て看板触ってない中野さんはそう思うかもだけどさぁ、ウチとか海崎君が作ったものを台無しにされたんだよ?」

「それは……っ」


 中野さんが言葉を詰まらせる。困惑するのも良いところだ。何せ一度も手伝ったことがなく、中野さんもそれを知っている。

 言ったところで無意味だと解してしまった察しの良さが、ある種の理性が中野さんから言葉を奪っている。


「ねぇ? みんなも思うでしょ?」


 くるりと振り返り、妖艶な笑みをそのままに教室中を見回す。

 女王の圧政。首を縦に振る人はいても、横に振る人はいなかった。


「だから、これは必要なことなわけ。いいでしょ?」

「……」


 中野さんの答えはなかった。それが答えでもあった。それがマイノリティーの限界だった。

 いくら善人であろうと、巻き添えを食らうのはごめんだということ。

 仕方ないし、責めようとも思わない。それにどうせ、担任が――白石先生が来れば一度終わる。


 そう思った時、丁度教室の扉がスライドされた。ガラガラとたて付きの悪い扉の音共に、入って来たのは白石先生ではなく海崎さん。タイミングがタイミングだったせいで期待してしまった自分が憎たらしい。彼が現れたことに落胆してしまった自分が恥ずかしい。


 そんな私の内心を知る由もない彼はやけに息を切らせていて、入り口から動かず、膝に手を付き肩で息をしている。

 朝礼までまだ十分もある。買い被りかもしれないが、何故急いでいたかはすぐに分かってしまった。


「あ、海崎君。聞いた? 木藤さんのこと」


 嫌らしく口角を吊り上げた大空さんが彼に話しかける。猫を被った声は虫唾が走りそうだった。


 けれど、彼は答えない。しばらく黙り込み息を整えた彼は持っていた鞄を地面に放り投げる。


 そして、見事な五体投地で地に頭をつけた。


「ごめんっ! 立て看板は俺のせいなんだ!」


 綺麗な土下座と共に言い放った言葉に教室中の誰もが目を疑った。

 まさか彼がそんなことをするなどと、誰も夢にも思っていなかったに違いない。

 先程まで口端が上がっていた大空さんもぎょっとしている。

 ……いえ、違う。弱くとも彼女の拳が握られている。私の推測通りなら――彼女が私に擦り付けようと

していたなら――そうなるのも納得はいった。


「……どういうこと?」

「土曜日に少し修正をしようと思って、引っ張り出したときにペンキの缶を倒しちゃってさ……」


 あっけない白状にクラス中が静まり返った。その沈黙へ畳みかけるよう、彼が独白する。


「みんなの言い分も分かってる。本当にごめん! 文化祭が始まるまでにはどうにかして直すつもりだから……」


 先手を打って見せられた誠意。誰も彼に言葉を浴びせることが出来なかった。

 すべてが嘘で塗り固められているのに、誰も口にしないのはこの場の雰囲気が沈黙させているからだろう。マジョリティーなんてそんなものだ。


「……」


 ここは彼の雰囲気が場を支配していた。

 大衆を、クラスを動かす先頭が口を開かぬ限り、誰もこの沈黙を壊すことはない。

 結局、間もなくして顔色を変えた白石先生が飛び込んできたことで騒動は終わった。


 一限は丁度白石先生の担当する数学だった。これを消費しての事情聴取が始まり、話の大筋は「彼」の虚言通りになった結果、修正作業を行うことで話は落ち着いた。

 無事に話が落ち着いたときに見た彼の顔。


 やけに安堵したような、肩の荷が下りた表情を見て、嫌悪感が湧きたつ。

 何に対して嫌悪しているのかは自分でも分からない。

 強いて言えば、誰も助けなど求めていないというのに、不覚にも救われた。

 その事実に、苛立ったのかもしれない。


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