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名無しの関係  作者: 青空
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ファーストコンタクト

 教室。前の席で机をそれとなく近づけている二人の男女が仲睦まじそうに体を寄せ合い、何かを話している。

 その様子を見て、恋人が欲しいと漠然と絵空事を思い描く。


 だけど、幸せの象徴とも呼べる姿か、心を許せる相手がいることか、単なる本能的欲求からか、そのどれを根拠に恋人に憧れを抱くのか──未だによく分かっていない。



 高校三年生の四月。

 中学、高校と何となく続けていたバスケ部の活動に精を出し、呼び出されない程度の成績を取るだけの二年間を終えて高校生最後の一年がやってきた。


 とは言っても所詮は四月。やることなど決まっていて――


「海崎、図書委員やってくれないか? あとはお前しか頼める奴が居ないんだよ」


 お決まりのクラスの代表やら委員会やらの役割。

 それらを押し付け合うように黒板の空白を誰かの名前で埋めていた。

 ホームルームの時間を使っているので終われば帰ることが出来る。

 だけど、図書委員の横のかっこは空白だ。


 頭を深々と下げて頼み込んでくる我らが担任かつ、バスケットボール部顧問の白石先生。

 新任一年目で、余裕が無いせいかしわが伸びた服で頭を下げている姿はなんとも我が校のOBとは思えない姿だった。


 それを断れば何も始まらなかった。けれど俺は――


「……分かりました」


 あまり迷うこともなく二つ返事で了解した。それが早く帰りたいと願うクラスの同調圧力のせいか、頼まれごとを断るのが苦手な自分のせいか、はたまた両方か。俺には分からないままだった。




「断れば良かったなぁ……」


 誰もいない図書室のカウンターに突っ伏し、一人呟く。

 時刻は四時。放課後になって十分経過した。


 図書委員に課せられているのは週に一度、三十分程貸し出し業務をするだけ。俺の担当は月曜日。


 その貸し出し相手が居ないのはいつものこと。図書室はやや面倒な経路でしかたどりつけず、教室から歩いて五分もかかる。どうしてこんな場所に作ったのかと疑いたくなるほどに遠い位置。


 当然誰も来ない。

 そもそも、中学生の時はまだ図書室は賑わっていたイメージがあったのだが、高校に上がってから図書室を私的な目的で利用している人はがくんと減った気がする。


 ともかく、俺と同じ月曜日が担当の三年生が少なくとも一人いるはずだが、どうやら来ていない。真面目が馬鹿を見るというのはこういうものか。


「誰も居ないなら帰っても……」


 そう言いかけた瞬間。

 築五十年にもなる建付けの悪い扉が軋んだ音を立て、がらがらとスライドされた。

 思わず目がそちらを向く。制服から女子生徒であることはすぐに分かった。


 肩まで伸ばしたさらさらの黒髪を揺らし、横顔だけでも整っていることが分かるキリリとした目と長いまつ毛、ふっくらとした形のいい小鼻。

 両手で丁寧に扉を閉めると、彼女は六人席の長机の端に歩いて行く。席にたどり着いた彼女がこなれた様子で足を揃えて座ると、鞄から筆箱、教科書、ノートと勉強道具を取り出していた。


 ここで勉強? また勤勉なことで。


 集中にするには確かに良い場所だとは思う。皮肉にもここの図書室の雑音の少なさはお墨付きだ。本のページをめくる音すら聞こえない。……図書室とはなんだろうか。

 それと、迷いもなくあの席に座るのを見る限りここへは何度も来ているようだ。


 やることもなく、長机に教材を広げた彼女を暇つぶしに観察し続ける。


 まともに話した覚えはないが、知らないわけでもない。

 確か同じクラスの木藤。下の名前は忘れた。


 分かっていることは十分な美人、成績優秀、愛想悪い、義理堅い、計四点。

 話しかければ最低限は応えてくれるが、最低限しか答えない。


 怠惰を嫌うのか隣の席の子が授業の質問をすれば簡潔に答えるものの、板書の写し忘れは見せてくれない。


 しかし、彼女に貸しを作れば必ずかつすぐに返す。それが意図的でなくてもだ。

 彼女に作った貸し、例えば授業で落とした消しゴムを拾ったような些細なこと。


 些細だろうと授業で困っていることを突然教えてくれるし、板書だってその時に限れば見せてくれるそうだ。


 部活仲間からの人聞きだが、貸しを作ることを嫌がっているような振る舞いだ。

 彼女の愛想悪さが邪険にされていないのはこの義理堅さにあるのかもしれない。

 黙々と勉強に励む彼女を見ながら俺は勝手に結論付けた。


 それより、彼女を見ていたら何もせず突っ伏している自分が恥ずかしくなってくる。

 進路も何も決まっていない、大学に行こうとぼんやり考えているだけで勉強に身が入ることはなかったが、同じく勉強に励んでいる人がいると少しやる気になれた。


 そうしてペンを走らせた結果、ノートには国民的ひげおやじの落書きが出来ていた。

 今日はノートを広げたからそれで許して欲しい。

 ──と、誰に向けたかも分からない懺悔を一つ残し、今日の仕事を終えた。




 翌週。

 木藤が勉強しているのをまたカウンターから眺めていた。


 少し進化したのは俺もノートに加えて数学の参考書を広げていること。もちろんノートに数式など並んでいない。

 それと、先週と違うのは木藤の奴が目の前に広げている教材の数が少ないこと。


 遠目に見る限り、今日の授業で使った数学のプリントらしきものがあった。どうやら数学をやるつもりのようだ。

 だが、教室の皆が持っている参考書の姿はない。多分忘れたのだろう。 


 どうせいくら探してもないものはないのに、繭を落としながら不安げに鞄の中を漁る姿を見れば彼女も同じ人間なのだと思えた。


 何となく見過ごせないのが性分。放っておけばいいのに中途半端に偽善を成そうとするのが自分。

 中学の頃から変わっていない。他に見ている人がいないのも理由だが。


 俺は図書委員か先生しか入れない蔵書室へ預かっている鍵で中に入る。木藤が忘れたであろう参考書を誇りの被った本棚から抜き取り、彼女の元へと歩いて行く。


「要る?」

「──っ!?」


 いきなり話しかけたのもあって、ガバッと椅子ごと振り向いた木藤の目つきは鋭かった。警戒心も合わさり、削った後の鉛筆のように刺々しい雰囲気だ。


「頼んだ覚えはないけれど」


 こちらを睨みつけたまま低い声。拒絶する一歩手前だ。

 いきなり話しかけたのもあるだろうが、噂通り人の善意を素直には受け取らないらしい。思わず苦笑いを浮かべてしまう。


 必要なのは理由か。


 俺を勉強の入り口に立たせてくれたこと、と言ってもいいけど説得力は薄い。

 そんなこと知るかと言われても不思議じゃない。俺だってそう思う。


「仕事だから。本棚の陰に隠れてりゃともかく、カウンターから見える席で勉強している奴を無視するのは都合が悪い」


 だから、あくまで図書委員という建前を使う。


「……噂は本当ってわけ」

「噂?」


 初耳だった。

 別にキャプテンでも副キャプでもエースでもない。

 勉学の方も良くもなく、ネタに出来るほど悪い訳でもない。

 過去はともかく、噂にするような浮いた話も今はない。

 呆然と過ごしてきた俺の学生生活によく噂を作れるなと一人で感心する。


 そんな気持ちのこもった感嘆の息を漏らせば、向こうが呆れたような息を吐いた。失礼な。


「海崎蓮。部活動、勉学共に特筆した点はなし。しかし押せば弱いので空いた役割に埋めやすい。と先生の間で噂よ――メリットもないことをよく無償で引き受けるわね」

「あぁ……」


 合点がいった。むしろ否定できなくて口をつぐんでしまった。

 彼女の言う通り、空いていた生徒会の席を何度か埋めた覚えはある。先生の頼みで。

 別に深い理由はない。ないからこそ受けている。


 ……強いて言えば、断ることで嫌われるのではないか、と俺の豆腐より柔らかいメンタルのせいか。それとも少しでもいい成績を取っておきたいという打算か。ある種の履行的な人間とでも思っている。


「……性分、みたいなもん」

「そう、それなら――」


 睨んでいた彼女の目つきが和らぐ。……ようやく信頼を得られた。


「貴方、嫌いよ」

「ぇ?」


 全身の力がふっと抜けた。

 持っていた参考書を取り落としそうになる。いきなり心臓を銃弾に貫かれた時ってこんな感じかもしれない。


 顔を合わせて大真面目に嫌いと言われるなんてそうそうない。陰口ならまだしもここまでくると清々しさまで感じられる。


 それよりも、嫌いと言われたことに背筋がぞわりと蠢く。

 加えて、意識が遠くなった。まだこんな自分が居たことに苦笑が漏れる。


「それは貰っておくわ」


 辛うじて手に収めていた参考書が木藤に奪われる。力の入っていない腕は参考書を奪われてだらりと垂れた。取るのかよ。

 嫌いと言いながら受け取ることも疑問だったが、あまり考える余裕はなかった。


「なんで嫌いか、知りたい?」


 これまた意味の分からない質問を投げかけてくる。質問を投げかけてきたのは彼女なりの貸し借りの帳消しということだろうか。

 願ってもないことだったが、そんなことを聞いた所で意味がないのも分かり切っていた。

 好き嫌いに明確な基準や理由があっても、それがすぐに変えられることなら苦労なんてしないし、容易に嫌われることもない。


 ――なんて自分に嘘を叩きつける。

 知りたい。けれど知りたくなどない。知ってしまえば自分への失望が加速する。自分が被害者であるために、自身の過失につながるものなど蓋をしたかった。


 思考するうちに、ドラムのような重低音の鼓動が落ち着いてくるのを感じる。

 しかし、返答するのが遅かったらしい。木藤が追い打ちとばかりに口を開く。


「表面上は嫌われないように偽善の意思で動く。だけど、いざというときは流れに逆らわず、長いものに巻かれて、判断の責任を取らない人間。作られた良い人間。私はそれが大嫌いではないけど……嫌い」


 言語化された彼女が嫌う人間像。それは俺の中にストンと落ちて来た。反論したいのに、彼女が正しいと認めてしまっていた。だから口は開きたくても微動だにしない。


「貴方は嫌い。でも、貸し借りは別。貴方の成績、あまりよくはないわよね?」

「――あ、ああ。良くはない」


 反論しようともがいていた口が簡単な質問に答えようとあがく。


「何か教えましょうか?」


 とても上から目線だったが、もう腹は立たない。俺の中にあったのは諦観のみだった。

 知りたかった疑問を嫌でも解消させられ、少しだけ安堵していた。頭が急速に冷え、彼女に尋ねたい何かを探す。


 ただ、勉強に興味のない人間にとって彼女に聞きたいことはあまりなかった。先生に聞けば解決しそうな問題をこの場で聞くのは少し勿体ないと思ってしまった。


 代わりにふと思いついたものがあった。分かっているようで分かっていないような疑問。せっかくぶつけるのだから難しいものの方がいいと考えて。


「恋ってどんな感情なんだ?」


 そんな思考の末に出た質問。俺も自分でどうだろうと思ったし、彼女も予想外の質問に口を半開きにしていた。その顔が見られただけで質問した価値があった気がする。


「はぁ? 何を言って……」

「ただの疑問。頭のいい奴なら言語化できそうだなって」


 本当に思い付き。思春期の男子高校生なりの疑問。勿論、今の状況と多少の結びつきはある。そうでなければ聞いていない。


「………………」


 正直、まともな回答を期待していなかったが、木藤は真剣に考えこみだす。

 こう見ると良い奴なのかと思ってしまうのに、さっきの衝撃がまだ抜けていない。


 陰口は質が悪いと言われるものだが、面向かって直接言われる恐ろしさを知らされた。

 でも、それだけじゃない。恨みというか、怒りというか……とにかく大きな感情が乗せられていたからだと思う。


 こういうことはせめてポジティブな方でお願いしたかったけれど、皮肉なことにネガティブ感情でも心をこめれば相手に伝わることが証明された。


「……………………」


 木藤はじっと椅子の横から足を出した状態。つまり、振り向いたときの状態から腹辺りで緩く腕を組んだまま一つも動かない。ここまでくると噴き出してしまいそうだ。


 さすがにここで笑ってしまえばどんな言葉が飛んでくるか予想できないので気合で堪える。


「少し聞きたいのだけど……」


 自分から質問したはずなのに、なんでもいいから早く答えて欲しいと思ってしまっている自分がいたことに内心苦笑していると、木藤が急に口を開いた。


「なんだ?」

「貴方にとってはどうなの? その、恋って感情は」

「へっ? ──はははっ」


 まさか木藤が質問に質問で返してくるとは思わなかった。それなりに困る質問だったということはなのは分かる。

 ここで分からないと投げださないこともらしいというべきか。

 まあ、彼女のことなんて何も知らないけど。


「……なんで笑うの? 先生にセクハラされたって言うから。」

「シャレにならないからやめろ!?」


 目が冷たい。早く弁明しないと社会的に死にかねないので、慌てて訳を話す。


「……ごめんって、あんまりにも真面目に考えてくれるから」

「貴方が頼んだくせに……それで? あなたにとってはどうなの?」


 問題は俺も大した考えは持ってない。だけど、俺も分からないとは言いたくなかった。


「んー、優先順位がその恋の対象がすべてにおいて上に来るみたいな? 狂った感情、かな」


 俺は恋に狂えなかった。だから縁をなくした――と思っていた。


「変な考えを持ってるのね、恋が狂っているなんて」

「別におかしくはないだろ? それを売りにしてる商売もあるんだからさ」

「否定はしないわ」


 木藤が口端を僅かに持ち挙げてくすりと笑った。やはり美人は少しでも笑えば絵になる。

 図書室に居る孤高の美少女。文面だけ見れば完璧じゃなかろうか。

 そんな人とこうやって意味の分からない哲学的会話を交わしているのに、妙な背徳感に近い高揚を覚えた。

 

「だろ?」

「ええ、貴方が意外と物事を言語化出来る能力があることも意外」


 どういう意味だ。話が違いすぎるし、挑発にしか聞こえない。ちょっと嬉しくなってた数秒前の自分を返して欲しい。

 彼女が浮かべている微笑は俺を小馬鹿にしているようにしか見えない。ムカついてきたので時計を見るふりで顔を逸らす。


 四時二十五分。

 後五分で終わりか。


 面倒だからこのまま出て行ってしまおうか。なんて思っていた俺の内心とは裏腹に、口が疑問を吐き出す。


「ほっとけ。で、質問の答えはまだ?」

「もう少し時間を頂戴」

「適当でいいんだぞ? 木藤も勉強するんだしさ」


 そこまで難しく考える問題じゃ――考えようと思えばいくらでも考えられる問題だけども、別に凄くしっくりくる答えを求めているわけでもない。

 せっかく木藤に質問できる機会が出来たから質問をしただけに過ぎないのに。

 そのまま時間は過ぎて、時計はついに四時半を示した。

 真剣に考えこんでいる木藤には悪いが、ここでお暇するのがお互いにとって幸せだろう。


「ごめん、俺部活だから答えはいいや。考えてくれてありがとう」

「ちょっと待ち――」


 考えてくれたせめてもの礼に軽く頭を下げ、いつでも出られるようまとめておいた鞄を担いで外に出た。


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