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第二話 黒幕は誰だ その2

沢木田興子殺人事件により警視庁に捜査本部が置かれた。当初は成り行き殺人とみられた節があったが、調べが進むうちに御泥木財閥の根幹に触れるようになった……。

財閥、捜査本部、スケロク商事が渾然一体となって謎に突き進むのであった。

 昼過ぎ警視庁は殺人事件捜査本部を置いた。

「被害者は沢木田興子、四十八歳、独身。御泥木商社東京本店庶務室秘書課勤務。昨夜午後六時二十分頃、帰宅途中の品川区西五反田三丁目付近で何者かに背後から刺され、救急搬送先の品川区立宿六総合病院にて、大量出血による失血死により死亡」

「解剖の結果、全身四箇所の刺し傷が認められ、右脇腹付近深さ十センチの傷があり、それが致命傷となったようです。付近に設置してある防犯カメラ映像の提供からの解析途中ですが、犯行後の足取りは掴めておりません」

 捜査報告に聞き入っている五十代半ばの捜査課長は呻いた。

「……御泥木商社はあの御泥木財閥の関連会社か……」

「はい、財閥グループの中枢を担う一つです」

 捜査課長はさらに唸った。

「御泥木財閥は警察官関連の外郭団体に多大な寄付をされているが……」

 一人の刑事がメモを読み上げた。

「未確定ではありますが、今回の被害者、沢木田興子は御泥木曾太郎総帥閣下の愛人という噂が社内で立っています」

 捜査課長は腕を組むとますます困惑した顔をした。

「愛人だと? ……まず、現状の調査だ。一班は沢木田宅、二班は御泥木商事東京本店、各々事情聴取だ、三班は引き続き防犯カメラの映像を集め解析にあたれ」

「了解ッ」

 一同は声を揃え席を立っていった。


 一方、スケロク商事の事務所では杉田と願成寺が端末を通じて話し込んでいる。

「ラジオのスイッチを入れてたんだけどさ、沢木田興子さんが殺害されたと聞いてびっくりしたわ。一体全体どうなってるのってな感じ。……それとあれほど閑散とした駐車場が満杯状態になってきたんだけど」

 付近の事情を知っている杉田は答えた。

「職員はみんな車で出勤だからな。弥生号の状況はどうかな」

 遠目に見える大型リムジンバスを確認しながら願成寺が話す。

「動く気配が無いね」

 暢気に構えている二人だったが、リムジンバス内部では弥生と勝彦が、リビングルームで大型スクリーンに映し出されている画面を無言で見つめていた。画面には沢木田興子の画像を後ろに、ニュースキャスターが興奮気味に喋っている。

「こちら渋谷区桜丘にあります御泥木商事東京本店前からの中継です……」

 勝彦は画面を見つめながら呟く。

「御泥木商事東京本店は、財閥の一部門ですよね」

「そうよ、我が財閥グループの中心的な商社です」

 勝彦の言葉に弥生は答えた。

 料理長の山本はキッチンで朝食の準備に取りかかっている。甘い香りがリビングルームにも漂ってくる。特製パンが焼き上がった合図だ。ハムエッグにサラダ、フレッシュジュース、と仕込みに忙しい。

 やおら弥生は携帯端末を手にした。

「金四大探偵社さんですね、大変お世話になっております、御泥木弥生と申します。杉田副代表取締役にお取り次ぎを。……外出中ですか、お戻りは? ……分かりました。連絡つき次第、執事長の岡田に連絡くださるようお願い申し上げますわ」

 次に弥生は岡田に連絡を入れた。

「岡田さん、杉田副代表取締役から連絡があるから、明後日後午後二時に拙宅にお越し頂けるよう伝えてください。宜しいですわよね?」

 手際よく切ると次々と指示をする。

「運転手さん、よく眠れましたか? 長い運転本当にご苦労様ですわ。今日は予定を変更して東京に戻りますので、宜しくお願いしますね。勝彦、警備部隊には三十分後に東京に帰る旨、伝えてくれる?」

 急な予定変更に勝彦は戸惑った。

「今日の会議はどうするのでしょうか」

 弥生は答えた。

「今日は技術的な会議だから副社長と技術本部長に任せて大丈夫よ。難しいことは分かりませんしね。それに、ここでは私たちの役目は終わりましたから」


「でもさあ、分からないのは令嬢婦人はなんでこんな辺鄙な場所に出向いたのかなあ」

「その件に関しては浮気とは別にこちらでも情報を集めいてる最中だが、理由はまだ分からない」

「バスに乗り込んだのは午前三時過ぎだよ。何してたんだか分かんないけど、深夜に戻るなんてとんでもない不良令嬢婦人だわ。それにこの厳重な警戒。スーパー財閥ッたってこんなに経費、かけるかさ、社長はどう思う?」

 照り返す朝日の中、願成寺は汗を拭きながら喋った。

「それは判明している。御泥木警備保障の職員だ。表向き民間警備会社を装っているが、一般向けの警備ではなく御泥木財閥関係者専属の警備会社だ。総帥閣下の厳重な警戒態勢も考えようによっては異常だよ。もっとも闇社会では曾太郎を亡き者にする計画が出されているからすると……」

 突然願成寺からの携帯が切れた。杉田は携帯電話を見つめる。

「……ちえッ、充電しとけよ」

 願成寺も舌打ちした。

「電池切れちまったよ。安物使っているからこうなっちまうんだ。新人さん、充電器ある?」

 的場はリュックをガサゴソと探るが見あたらない。

「クソ社長、用意しとけってんだ」

 願成寺が不満をぶちまけた。無理もない。緊張の連続で寝てもいられない状況が続いているからだ。

「腹減ったなあ」

 的場が愚痴った。

「昨晩から何も口にしてないからねえ」

 願成寺が運転席で伸びをした。

「こっから近くのコンビニまで車で二十分はかかるしなあ。その間にいなくなっちまってたら、元も子もないし、もうちっと我慢するしかないかねえ」

「で、しょうなあ」と諦めるかのような的場の口調だ。

 暖かい日の光に誘われてあまり寝ていない二人はうつらうつらした。程なくして的場が願成寺を揺り起こした。

「姉御ッ姉御ッ、てぇへんだッ、リムジンが消えたッ」

「ええっ! 消えたって?」

 的場の言うように遠目でもはっきりと見えていた大型リムジンバス『弥生号』の姿が見えなくなっていた。

「なんて……なんて……どうしよう新人さん」

 願成寺はパニくった。

「公衆電話探して連絡するしかないでげしょう」


 スケロク商事の事務所に電話が鳴った。管弦が出ると、それは公衆電話からかけている願成寺だった。

「コンビニからかけてんだけど、社長お願い……ああ、社長。申し訳ない、ちょっと目を離した隙に、弥生号が移動しちゃった」

 願成寺は、何やってるんだ、馬鹿野郎、と口汚く罵られると思って巨体の身を竦めたが、以外と杉田は穏やかだった。

「資料によると明日邸宅に帰る予定になっているが……まあ無理も無いさ。君たちは深夜早朝、と活躍したんだからな。……あれだけ大々的にマスコミが報道しているんだから、沢木田の事件は令嬢婦人の耳に入っていないはずはない。と言うことは、殺人事件で予定を変更したか? しかし何処に行ったか分からない以上、そこにいる価値はない。二人とも戻ってきてくれ」



 捜査第一班は鑑識を伴い、沢木田興子の居住していたマンションの部屋の前に管理人と沢木田の母親と一緒に立っていた。マンションの道路を隔てた向こう側では、数人の報道関係者と野次馬が集まっていたが、異様な光景の中静かに注目している。

「なんでこんな目に娘は遭わなければならなかったんだろう」

 沢木田の年老いた母親は嘆いていた。

「開けますよ」

 管理人が鍵を回し開け放つと、男女捜査員数名が母親と共になだれ込むように部屋に入った。ワンルームのちいさな部屋で荒らされた形跡も無く、永遠に来ることのない主を迎えるかのように整然と整理されていた。

 隅々まで調べる捜査員の目の前に、机の上にノート型パソコンがあった。

「電源を入れてみたいと思いますが宜しいですか」

 母親の許可の元、電源を入れた捜査員だが、パスワード入力画面で止まる。

『まあ、そうだろうな……』

 捜査員は振り返り母親を見た。

「お母様ちょっと宜しいでしょうか」

「はい、なんでしょう」

 捜査員は頭を下げた。

「非業の死を遂げた娘さんを弔うためにも、このパソコンを私たちに提供してもらえないでしょうか。何か証拠があるやもしれません。お願いします」


 同時刻第二班は三方に分かれ、情報を集めにかかった。その中の男女刑事が御泥木商事東京本店応接室で店長と話をしていた。

「秘書と言う役割からすると、やはり支店長等予定を調整する役割ですか」

 東京本店長は徐に答えた。

「この東京本店は関東一円の御泥木財閥グループから上がってくる売上などの情報を一元的にまとめ、最高経営取締委員会に報告する役目があります。財務部の担当ですが、沢木田もその一人として参画しておりました」

「沢木田さんも担っていた、と言うわけですね? しかし秘書がそこまでやるものなのでしょうか」

 女性刑事の問いかけに本店長が答えた。

「分かりませんが、総帥閣下から何か極秘の指示を受けていたような感じでしたね。それもあって報告書にも目を通していたのでしょう」

 勢い込んで女性刑事が尋ねた。

「極秘指示ですか。その指示とは」

 本店長は首を横に振った。

「総帥閣下直々の極秘指示には我々には関与することが出来ません」

 男刑事が問いかけた。

「部下に対しても聞けない、と言うことですかね」

「そうです」

「本店長という上司であっても?」

「そうです。総帥閣下のご命令は絶対です。例え挙動不審な新入りでも『総帥閣下の指示』と言われれば、それ以上追求できません」

「何をどうしていたか分からない、と言うわけですね」

 本店長は腕を組み、宙を見上げた。

「ただ御泥木電源開発社からの報告は熱心に調べていたようです」

 男性刑事はメモを見た。

「御泥木電源開発社ですね? そこは原子力以上の電源開発を任されている、との情報がありますが」

「これ以上は私にも分かりかねます。あとは御泥木電源開発社にお尋ねください」


 三班はかき集められた防犯カメラ映像を複数のパネルで解析に当たっている。そして一人の男に焦点が当てられた。

「犯行時の直接映像は無いが、前後の関係からするとキャップを被った背の高い男が怪しい。黒っぽいジャケット、作業着のズボンのようなのを着ているように見える」

「その先に被疑者の後ろ姿が映っている。歩道橋の手前か」

「次は斜め上からの映像だが、犯行前になる……ちょっと待ってくれ……少し戻せるか……それだ、右手に何か光るものを持っている」

「右手付近の映像拡大。……確かに光っている。映像からすると犯行に使用したナイフか」

 犯行直前、特徴的なかぎ鼻の男の横顔が浮かび上がる。

「映像一時停止。……よし、みんな、顔を覚えろ。プリントアウトして各警察署に送れ。特徴はかぎ鼻の男だ」



 前後を警備車両に挟まれるように大型リムジンバスは高速道路を順調に走っていたが、急に高速道路から一般道に入り、国会議員宿舎に向かった。

 到着したリムジンから黒い鞄を抱えた弥生と警備車両から三人の男が宿舎に降り立った。そのうちの一人が弥生から鞄を受け取った。

 宿舎前で警察官が二人敬礼する。年配の警察官が言う。

「これはこれは、御泥木弥生ご一行様、どちらへご用ですかな」

「米村副大臣とお目にかかりたくお邪魔したのでございますわ」

 警察官はタッチパネルを見る。

「副大臣はあいにく不在でございますね」

「では秘書官の松島様はご在宅ですかしら」

 もう一人の若い警察官が言う。

「秘書官はおりますね。内線で確認しますので、その間にこちらへお名前のご記入をお願いします」

 バインダーを差し出す若い警察官の物言いに弥生は柳眉を逆立てた。

「私は御泥木財閥曾太郎総帥の妻、弥生ですのよッ」

 老練の警察官は若い警察官を叱咤した。

「この方には必要ないッ。確認次第通せ」


 ……役目を終えた弥生号は屋敷裏側に向けた。丁度邸宅丘陵地帯の真裏である。

 屋敷に入る道筋は、一般的に警備が常駐している正面だが、家族を含め財閥一門は特別に屋敷裏からはいることが出来るのだった。

 屋敷裏には巨大なシャッターの口が開いている。誘導員が指示棒を振っている。

 先導していた警備車両がシャッター口より先に停車すると、警備部員がわらわらと降り、辺りを警戒する。物々しい警戒ぶりだ。

 遙か先に一台のパトカー停車している。

 弥生号はシャッターまえを過ぎ一時停車する。バックギアに入るとゆっくりと後退する。誘導員は大声を出し、バスを誘導する。

 完全にバスが入るとシャッターが閉められる。恐ろしく背の高い車庫は巨大な寒々しい空間だ。安全を確認した警備車両は丘をぐるりと回り、正門に向かった。

 同時にパトローカーも動き出した……。

 一方、運転手と料理人併せて四人がバスから降りると、エレベーターまえで迎え入れる岡田が待っていた。

「お帰りなさいませ弥生様、勝彦様。金四大探偵社の杉田様、連絡がございまして、伝言を伝えました」

「ご苦労様ね」

 エレベーターに乗り込んだ四人は、一階に止まり、運転手と料理人が降りる。最上階に到着すると三人が降りる。

「直ぐにご夕食の用意を致します。本日は和食でございます」

 岡部が恭しく言う。

「曾太郎様、雅弘様もお待ちです」

 弥生はアーモンド型のしゃれた高級腕時計を見た。

「十分ほど時間下さる? 着替えてから食堂に向かいます」

「かしこまりました」

 岡田は深々と頭を下げた。

 来客用リビングダイニングと違い家族向けの食堂はかなり狭い。狭いと言っても二十畳近くの空間があり、透明なガラスケースには品の良いカップやソーサーが整然と並べられている、誠に優雅に落ち着いた部屋だった。

 配膳はずでになされており、弥生と勝彦は給仕係が配置されている席に座った。

「では食事にするとしよう。君、シャンパンを」

 曾太郎の声に給仕係の女性はグラスに冷えたペルノ・リカールを注いだ。曾太郎は眺めると一口啜った。

「さすがに美味い。夢見るようだ」

「和食にシャンパン、とは何か意味でも?」

 次男雅弘の言葉に曾太郎がにやりとした。

「ただ私がシャンパン好き、と言うだけだよ」

 そして各々に食前酒が振る舞われ、食事が始まった。

 しかし何処にでもある家族団らんの食事風景のはじまりのはずが、会話も無く冷ややかだ。

 ワインをあおる曾太郎がやっと口を開いた。

「どうだった、勝彦、今回の地方出張は」

 曾太郎の問いかけに勝彦は答える。

「非常に疲れました。会議までの待ち時間がやたらと長く、漸く始まったと思ったら、延々と会議が続きますし、話している内容も技術的な話で全く分かりませんでした」

 曾太郎が笑う。

「一日二日で音を上げてはならないぞ、勝彦。私と雅弘は明明後日から一週間、財閥経営委員会最高幹部数名と共に東欧諸国並びにアフリカ諸国へ営業に出る。弥生の方はどうだ?」

 弥生は顔を上げた。

「敷地の一部を無償でご提供頂けるようですわ」

「そうか……議員の方々も賛同してくれるようかな」

 弥生は首を振る。

「未だ分かりませんわ」

 曾太郎は気を良くしたように笑った。

「ま、功を焦ってはいかんな、弥生に任せた計画は三年五年と続く長丁場だからな。私も原子力分化委員会にも手を下しておるが、最終的には勝彦、お前が後を継ぐのだぞ、いいな」

「はい、お父様」

 計画通りに進んでいると思ってか曾太郎は柔やかに笑った。しかし、弥生が話題を変えると、曾太郎の箸の手が止まった。

「御泥木商事東京本店の沢木田興子さんが何者かによって殺害されたようですわね」

 曾太郎は素っ気なく答えた。

「そうだな」

「あなた、その方ご存じ?」

 弥生はたたみかける。

「ああ、秘書課勤務だからな。いくと顔を合わせたな」

「顔を合わせたくらい?」

「言葉くらいかけるさ。それに彼処は商社中枢の重要な一部門だから、商事会社全体の動向を聞かなければならないしな」

「それだけ?」

「そうさそれだけさ。……君、シャンパンもう一杯」

 曾太郎は待機している給仕係に声をかけた。高級シャンパンが惜しげもなく注がれる。話の腰を折ろうとした曾太郎だったが、弥生はなおも食い下がった。

「秘書課って相当忙しいでしょう。日頃の労を労う意味もあって、たまにはお茶でも、と言うことだってありますでしょう?」

「秘書といっても我が財閥関係会社には何十人もいるんだ。いちいちお茶してたら時間が足らんよ……弥生、何が言いたいのかね?」

 トゲのある曾太郎の言葉だった。

「お父様、お母様、いい加減にしてください。食事中ですよ」

 雅弘がいうと、勝彦も加勢した。

「雅弘の言うとおりです」

「あはは……ちょっと言い合いだったかな、すまん」

 曾太郎はそう言うとこの話を打ち切った。後は皆無言で食事が続いた。


 同じ頃、スケロク商事事務所では杉田と和道が出前の天丼にかぶりついていた。

「サヤカ達、遅いな」

 杉田は時計を見た。しゃくしゃくと音を立てていた和道の箸が止まった。

「何かあれば連絡があるだろう」

 そういった和道の言葉が消えないうちにスケロク商事のドアが勢いよく開いた。

「社長、只今、帰りましたッ」

 威勢の良い願成寺の声が響いたが、髪はボサボサで脂ぎった顔をしていた。

「いや、ご苦労だったな」

「親方、タイヤがパンクして大変だったですぜえ」

 的場の言葉に対して、願成寺は事もなげに言う。

「スケロク号が一瞬、ふらついたのが分かったからね。経験上コリャやばいと思って、高速から下道に降りてタイヤ見たらもうズタズタ。鉄チンホイールも歪んじまって」

 突然、願成寺は鼻をひくつかせた。

「なんだかとっても良い臭い……これは天丼かなあ。……あたしら昨夜から何も口にしてないのよねえ。社長命令には絶対だからねえ……」

 皮肉めいた願成寺の言葉に、杉田は顔を顰めながら財布を和道に渡した。

「コンビニで何か喰うものと緑茶とビールを適当に、それに……煙草、メメウスメンソールロング二箱買ってきてくれ」

 杉田のその言葉に的場は憤慨した。

「彼処には禁煙の文字がありますぜえ」

 杉田は手を合わせた。

「勘弁してくれ、宝来警察で勧められてから、元に戻っちまったようだ」

 しょうがない、と言いたげに和道は財布を受け取った。

「二人ともご苦労だったな、願成寺は明日から三日間休んでくれ、的場君も三日休んでくれていいぞ」

「わっちもですかい?」

「良いとも……だが、的場君、弥生と長男との関係はそんな仲なのか?」

「天井の換気口から微かに聞こえた声だけなんだけんど、なんとなくアヤシイ雰囲気でしたぜ」

 的場は、分からないと言いたげに、両手を広げた。

「やっぱ、浮気相手って長男とちゃうの?」

 願成寺の声に杉田は答える。

「それはまだわからんさ、勿論的場君の証言は信用するが、決定的な証拠がないからな」

「二人でラブホに入るとこ、抑えるとかしないとねえ」

 願成寺の言葉に的場は言う。

「ラブホに入らなくても、あんだけ大きな御殿だし、密会する部屋なんていくらでもありまさあ、ねえ親方」

 的場の言葉に願成寺は訝しがった。

「そんなに?」

「姉御は知らんでげしょうけど、何十部屋あるか分からん位巨大な御殿ですぜぇ」

 杉田は答えた。

「……敷地だけでも東京ドームひとつ分はある。なにしろ調べれば調べるほど、御泥木財閥には胡散臭い話がつきまとっているようだ。令嬢婦人とその長男がわざわざ秋田まで行ったのは何故か。赴いた理由が不明だ」

 和道が戻ってくると、早速杉田は煙草を吹かし、煙草が苦手の的場は弁当を手にするとそそくさと部屋に戻っていった。

 願成寺は缶ビールの蓋を開けると一気に飲み干す。「プハー、うンめえ~」

 弁当をガツガツと平らげる願成寺を横に、杉田は煙草を吹かしていたが、彼の頭脳はめまぐるしく回転していた。

『沢木田興子が殺された理由はなんだ? 知るためには、あの御殿に蔵前や管弦を使用人として雇わせるか? いや、無理だな……身元調査がかなり厳しいと聞いている。怪しい連中を雇うわけはない。……御泥木財閥の親子は何故あんな警戒厳重な暮らしをしているのだ? 曾太郎は命を狙われているようだが、ビクビクしている風もない。まあもっとも総帥がびくついていたら、財閥をまとめ上げるなんて芸当は不可能だろうぜ。……回廊のようなガタガタ道と丘の上の豪奢な建物……あの周りにはそれ以上の建物はない。……ということは、どんな凄腕のスナイパーでも狙撃される心配はない。あの道も危険分子が車で突入しようと思っても時間がかかる……数え切れない部屋数……それにあの異様な警備体制……そうか! 全ては身の危険を避けるためだ。何にしろはっきりしたのは、単なる浮気調査ではない。隠された陰謀が絶対あるに違いない……』


 食事を終えた曾太郎四人は、隣接しているリビングにある百インチはあろうかと思える巨大スクリーンの前に立った。雅弘は電源を入れ、ソファの真ん中にどっかりと腰を下ろした。

 サイドボードにはあらかじめ高級ウィスキーが置かれており、雅弘はそれを手にしながらリモコンを操作した。

 大きな歓声が響いた。丁度「御泥木フォーティナイナーズとロンゾー&オスカーマリンズ」のサッカー中継が始まったところだ。両軍のスタンドでは各々大きなフラッグがはためいている。

 ソファの真ん中に陣取っている雅弘の両耳に立体音響が渦巻く。重厚な臨場感にまさに圧巻である。

「ロンゾー&オスカーには負けが込んでいるからな。今日こそ勝てよ、御泥木フォーティナイナーズ」

 にんまりとした雅弘はウィスキーを片手に観戦に没頭していった。

「雅弘、あまり音が大きいと難聴になるわよ」

 たしなめる弥生の声に、分かっているよ、と言いたげに手を振った。

 雅弘の後ろに立って興味なさげに観戦している曾太郎は、時計が午後八時を回ったことを確認すると踵を返しリビングから出て行こうとした。

「あら、あなたどちらへ」

「ああ……八時からテレビ会議があるんでな。書斎に引っ込むよ」

 振り向きながら曾太郎は弥生に言った。

『何かある』

 疑り深い弥生は同じようにリビングから出た。

 あれほど大きな音にもかかわらず、扉を閉めると天井のシャンデリアだけが煌々と照り輝いているだけで廊下は驚くほどひっそりと静まりかえっている。

 弥生は、曾太郎がまさに書斎に入る瞬間を捕らえていた。弥生の足音を消すには充分な分厚い絨毯がびっしりと引き詰められている。

 曾太郎が書斎に入ると同時に、書斎の鍵をかける音が響いた。それも三箇所。

 弥生は注意深く書斎の扉に耳を密着させる。微かに音が響いた。モニターに電源を入れた音だ。しかしそれ以外、物音がしない。

 弥生は苛立った。しかし執念深く聞き耳を立てる。

 暫くして微かに弥生の耳に曾太郎が笑っている声が入ってきた。

『テレビ会議なんて絶対ウソ。きっと別の女と話しているに決まっている。沢木田が終わった途端、別の浮気相手を物色しているのだわ。そうよ。きっとそうよ』


 その聞き耳を立ている後方の柱の影には、無言で腕を組み弥生の行動をじっと観察している影があった。

 影の正体……それは岡田だった。


 一方、深夜にもかかわらず警視庁捜査本部では摺り合わせを行っていた。

「で、借り受けたノートパソコン、パスワードは分かったのか」

「どんな方法を使ったのか分かりませんが、科捜研シナガワの村山室長からマイクロカードを渡されました。これがパソコンから入手したデータが入っているマイクロカードです。かなり膨大な量のようです」

 刑事は捜査課長に手渡した。捜査課長は三班の班長田原を呼び解析するように命じた。

「沢木田興子自身の生活ぶりは質素ですね。浮ついた話もなく真面目一直線、といった感じを受けました。これは通り魔殺人のセンは薄い、かと」

 捜査課長は鼻筋に皺を寄せた。

「それは経験とかカンとかかな、目黒君。証拠が揃わない限り、軽々にはものは言ってはいけないぞ。君にはそう言ったところが有るな」

「失礼しました」

 目黒刑事は敬礼をする。

「二班の方は何かめぼしいものあったか」

 捜査課長は二班に声をかける。長テーブルの上で資料を広げていた第二班の班長、斉藤が顔を上げた。

「めぼしいものですか? 三方に分かれて情報を集め今解析中ですが、共通するのは電源開発に関わりそうな雰囲気でした。その足で御泥木電源開発会社に聞き取りしてきましたが、さしたる成果はありませんでした」

 別の刑事が報告する。

「御泥木商社東京本部での証言では、秘書課とはいえ御泥木財閥グループの中でもグループの垣根無しに情報共有している節があります。そのマイクロカードと付き合わせると何か分かるかも知れません」

 捜査課長は三班に報告を求めた。

「三班はどうだ」

 数人でモニターを確認中の中で、班長田原が顔を向けた。

「今のところ殺人の前後は分かりません。総合すると大量の返り血を浴びているはずですが、犯行後の映像では衣服にはそれらが見あたりません。行きずりの殺人とは思えないほど手際が良い、と思います。それと渡されたマイクロカード、内容の精査は未だこれからですが、ざっと目を通したところ各種の書類が入っています。そのなかで事件の鍵を握りそうな書類をひとつ発見しました」

 その報告に捜査課長の目が光る。

「おお、そうか。どんな内容だ?」

「書類にはパスワードがかかっていて内容までは確認できておりません」

 捜査課長はがっくりとした。

「なんだよ、そうか……」

「ただ、書類のタイトルに『産業スパイ報告書』という一文があります。これってなんだと思います?」

 捜査課長は色めきだった。

「産業スパイだって? 文字通り産業スパイがいるということだろ。……産業スパイ報告書? 害者はそれを追っていたのか? だとすると害者は……いやいや想像ではものが言えん。とにかくそこに今回の事件を解く鍵がありそうだ。誰が、何処の部署に、何を目的としているか、早いところ、探し出せっ」

「ですが……まず初めにパスワードを解かなければなりません」

「なんにしろ事件を解く重要な鍵だっ。至急、科捜研に連絡して技術者を呼べ。なんならカードを持って今すぐ科捜研に飛べ」

 興奮した言い方の捜査課長に田原はうんざりした。

「お言葉ですが、午後九時を回っています。依頼は明日一番です。とりあえず今晩はウチらで解析してみますが」

「迅速にやれ、迅速にな。時は金なり、だ。それと……犯罪者データベースを調べたか。今までの捜査からすると相当腕の立つナイフ使いと思われる。犯罪歴者かそれらしい人物はいたか」

 田原はモニターを見ながら報告した。

「過去の犯罪歴データーベスでは冬木夏子、管弦瑠那、大友丈二の三名がヒットしました」

「よし分かった。第一班は明日、三名の事情聴取を行え。人選は第一班に任す。居場所は当然分かっているよな?」

 勢い込む捜査課長に田原は答える。

「まず、冬木夏子は女子鑑別所アダチに収監中です。それと大友丈二は目下所在不明です」

「なんだ……で? その一人の所在は掴めているのか」

「管弦瑠那は女子刑務所アダチ出所後、ヨコハマのスケロク商事に勤務中です」

 捜査課長は腕を組み命令を下した。

「まず管弦瑠那を当たれ。無駄足だと思うなよ。何か解決の糸口があるかも知れない。大友丈二は探せ」

「了解」


 次の日の朝。

「ほう、新たな事実が出てきたぞ、社長」

「どんな事実だ?」

「曾太郎の浮気相手は沢木田興子だけでは無いようだ。協力者からの情報だと御泥木重電製作所総務課祢田無不二子、同じく電源開発会社秘書課小曽礼マイル、と付き合っているようだな。どれも美人だよ」

「よく調べたな」

 杉田は冷ややかな目で和道を見つめた。逆に和道はおどおどした。

「いやいや……私じゃ無い。あくまでも協力者からの情報だよ」

「言い訳上手になったもんだ……まあいい。そうなれば、だ、曾太郎閣下は二股三股とかけていると言うことだな」

 願成寺から提出された領収書を睨んでいた管弦が顔を上げる。

「とんでもないスケベジジイだね」

「スケベかどうか分からないが……」成り行きを聞いていた黒川が言い出した。「ホテルでの密会と今回沢木田さんが殺害されたのは何か関係があるのでしょうか、単なる衝動に駆られた通り魔的な殺人だったのですかね」

 杉田は腕を組む。

「報道関係では密会に関する情報はない。あくまでも通り魔殺人、としての記事だらけだ。掘り下げられれば密会、と言うことも出てくるかもしれないが、マスコミも相手が総帥閣下とは想像できないだろう。またそれがマスコミが見つけたら、それこそマスコミ垂涎の一大スキャンダルだ」

 杉田の言葉に管弦はちょっと不愉快に思った。

「クロちゃんは浮気じゃ無いということ? じゃあ、浮気じゃなかったらなんなのよ。もしかして弥生さんが浮気に逆上して、殺し屋を雇ったとか?」

 管弦の言葉に黒川の黒い眼鏡が光った。

「刑事ドラマの見過ぎだな。それでは依頼として成り立たなくなる。通り魔殺人か。だが、これだけの証拠から推察するのはどうかと思うが、沢木田を殺したのは成り行きではなく確信犯じゃないか。殺す目的で沢木田を襲ったのではないか。今回の事件、少なくとも浮気ではないのでは?」

「じゃあ、クロちゃんは浮気じゃない、と言うわけね」

「確証はない。だが……例えば沢木田が何かを掴んで曾太郎に報告という形で頻繁に会っていた、とすれば、令嬢婦人から見て浮気と思えるかも知れない」

 黒川と管弦の言葉を杉田はじっと聞いていた。

「社長、今晩九時頃麻布三丁目の御泥木麻布ホテルに小曽礼と会うようだ」

 和道は画面を見つめながら報告した。

「それも協力者からの情報かい?」

「そうだよ、社長」

 杉田は皮肉交じりに言う。「相当優秀な協力者だな。何処の誰だい?」

 和道は意外な言葉を発した。

「あいにくと日本人じゃない」

「なに?」

「スタンレーブラザーズ商会からの情報だよ。米国ブラックマーケットでは相当優秀な調査会社さ」

 スタンレーブラザーズ商会の噂を聞いていた杉田は慌てた。

「ちょっと待て。いくらで請け負わせたんだ?」

 和道は平然という。

「社長には報告してなかったな。十日で二万ドル」

 杉田は興奮して拳で机を叩いた。

「どこからそんな金が出るんだッ。費用は抑えろ、と言ったはずだッ」

 そしていきなり和道に飛びかかった。和道の首を絞めかけようとした。

「何考えてんだ、我が社は破産するぞッ! この野郎ッ!」

 法外な請求に杉田は我を忘れたようだ。

「し……しかしこうでもしないと謎はとけんぞ。高額な手付金があることだし」

 ネクタイを締め上がられながら和装は抵抗する。

「そんな事を言ってるんじゃないっ」

「ちょっとやめてよッ二人とも」

 つかみ合っている二人に管弦は必死に二人の間に割って入った。

 杉田と和道の言い合いの中、来客用ソファに寝そべっていた祖父江が顔を上げた。

「俺には複雑なことは分からないが、ボス、行ってきますよ」

 そして祖父江は、傍らの伊東と御手洗に声をかける。

「次のターゲットもゲットだ、いくぜ銀次さん、小僧」

 御手洗は鼻を鳴らした。

「その小僧というのはやめてくんない?」

 祖父江が言う。

「肝心なときは寝てばかりだからな、小僧」

「まあ、失礼ねぇ。ボクだって役に立つ事もあるんだからぁ」

 祖父江はせせら笑った。

「役に立つのか、小僧」

 いきなり、騒がしい事務所の扉が叩かれた。咄嗟に縺れていた三人の体が解れる。

 事務所にやってきたのは男女の刑事だった。

「警視庁捜査本部の山田と鈴木です。管弦瑠那さんとお話ししたいことがありまして、寄らせてもらいました。……いや単なるお話しです」

 杉田と和道は緩んだネクタイを締め上げる。

「管弦瑠那はあたしですけど何か?」

 事務所を見回した刑事達は管弦を見た。

「沢木田興子殺人事件の件でこちらに寄らせてもらったんですがね、確認ですが、一昨日の午後六時頃どこにいましたか」

「午後八時までここで事務作業をしてましたけど……」

 いきなり言われた管弦はおどおどした。

「一応確認ですけどね、証言できる方、いますかね」

 男刑事の問い合わせに女刑事の目が光った。管弦の右袖口に光るものをめざとく見つけたからだ。

 女刑事は平静に言う。

「管弦さん、袖口を見せてもらえるかしら」

 管弦は血の気が引いた。まさか護身用ナイフを見つけられるとは思いもよらなかった。管弦は言い淀んだ。女刑事の言葉に冷や汗が流れる。

「こ……これは……」

 管弦の狼狽え方に女刑事が確信めいたように言葉を重ねた。

「見せて頂けます?」

「料理用のナイフですよ」

 突然和道が事もなげに言い放った。

「いつものことです。仕事が遅くなることが多いので、退社後直ぐに調理できるようにナイフを持っておりますのでね。瑠那、出して見せておやりなさいよ」

 管弦は左腕を隠すようにしてゆっくりとストッパーを外し、ナイフを机の上に置いた。ナイフが重々しい音を立てた。

「とても調理用には見えませんけどね。調理用なら片刃で充分でしょう。でもこれは両刃ですよねえ」

 刑事達は研ぎ澄まされた小型ナイフをじっくりと見つめた。小型とは言え、殺傷するには充分なナイフだ。それも充分に手入れがなされている。

「これなら人間も調理出来るんじゃ有りませんか」

 女刑事はじわじわと管弦を追求する。管弦から脂汗が流れる……。

 和道が言う。

「あくまでも室内で持っているだけですよ。外には持ち出してはおりません。何故ならこの事務所奥に調理場があって、よく夜食を作ってくれますからね。ウソだと思うなら廊下の先をご確認ください。調理場がありますよ。……それにこんな小柄の女性に殺人出来ると思いますか」

 男刑事が言う。

「それは調査上答えられません。……話を戻しますが、午後六時の証言を出来る方、おりますかね」

 突然杉田が椅子から立ち上がった。

「私が証言しよう。私はスケロク商事の代表取締役の杉田だ」

 杉田が言うと二人の刑事は見つめた。二人の刑事は暫くしてはっとした顔をした。

「分かりました。了解です」

 それだけ言うと二人は出ていった。

「危なかった……」

 管弦は冷や汗を拭いた。

「ヤバかったな瑠那、和道君がとっさに機転を利かせたから良かったものの、対応を間違えていたら収監されたかも知れないぞ、それともアダチに戻るか?」

 管弦は俯きながらか細い声で言った。

「……イヤです……」


 スケロク商事を出た女刑事が呟いた。

「ナイフを隠し持っているといっても三班の報告では犯行は男と断定している以上、あの小柄な女性じゃ無理だろうね」

「そうだな」

「でもまさか、捜査課長だった杉田さんが代表取締役なんて、信じられない」

 男性刑事がふっと息を漏らした。

「全く……世の中、分からんモンさ。しかし彼女は要注意人物だ。今後とも目を離さないようにした方が良いかもしれない」

 建物を振り返りながら女性刑事が言う。

「あのスケロク商事もなんだか胡散臭いね」

「ここの監察警察署にも注意喚起として報告しておこう。ここの所場は何処の警察署だか分かるか?」

「ここの区域だと……確か……宝来警察署だわね」


第二話 黒幕は誰だ 完





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