第9話
「……それが報告を受けていたとおり、ほとんどの方が重度を表す紫色の痣が全身に現れているので、早く対処しないと手遅れになってしまいます。あと、必要な薬草をお持ちしました」
メライアは解毒薬のもととなる薬草の束をヘイリーに手渡す。
ヘイリーはありがたく受け取ると、病室に入って患者の様子を確認する。メライアの言うとおり、騎士たちの腕や脚、顔といったあらゆるところに紫色の痣が浮き出ていて、毒の恐ろしさを痛感する。
痛々しい姿を目の当たりにしたリズは辛くなった。
(もう大丈夫ですよ。司教様が解毒薬を作ってくださいますので、あと少し辛抱すれば身体が楽になりますから)
祈るようにして手を組むリズは、心の中で患者たちに語りかける。
すると、眉間に皺を寄せたヘイリーが深刻そうな表情を浮かべてさっと病室を出た。
メライアとリズは顔を見合わせると慌ててヘイリーの後を追いかける。
「司教どうされたのですか?」
メライアが尋ねるものの、ヘイリーは浮かない顔をしたままで黙り込んでいる。
やがて、意を決したように重たい口を開いた。
「全員があれほど重症だと解毒薬を作るにしても私の聖力も薬草の量も足りませんし効き目があるかどうか……。替え馬を使って教会本部から使者が来てくださるにしても、数日は掛かりますから、そうなると……」
――命の選別をしなくてはいけない。
そう言って口を噤んだヘイリーの表情に暗い影が落ちる。自分の無力さに憤っているのか薬草の束を持つ手は小刻みに震えていた。
メライアもリズも彼の話を聞いて無力さを感じていた。
(全員を助けられないなんて……)
今回は薬草の量に対して患者の数、そして重症者が多すぎた。
確実な解毒を行うには人数を絞り、解毒薬を飲ませることが必要になる。かといってみんなに行き渡らせることを優先すれば、解毒が中途半端に行われるだけ。
聖力の込められていない解毒薬では毒の進行を遅らせるだけだが、聖力が込められた解毒薬は毒を消すことができる。ところが重症者の場合は体内の毒を消すことに加え、最終的には体内に溜まった邪気を浄化しなくてはいけない。それには充分な聖力の持ち主が必要になる。
一先ず、薬を中途半端に飲ませていいのだろうか。解毒薬は効き目が薄いと却って苦しみが増すだけだ。かといってそのまま放置しておけば命の危険に晒される。
ヘイリーが命の選別をしなくてはいけないと言っていた意味がひしひしと伝わってくる。
リズは悔しくて唇を噛みしめた。
ヘイリーの意見は正しい。確実に救うためには隊員一人一人を天秤にかける必要がある。
頭ではちゃんと分かっている。それでも、リズは全員を救いたい。
ただの自己満足だと非難されるかもしれないが、毒に苦しむ聖騎士たちの心を和らげたい。
リズは拳に力を入れると顔を上げてヘイリーを見据えた。
「司教様、私はここで諦めたくありません。手を尽くしてもいないのに命の選別をするなんて絶対嫌です。なので、患者さんたちの苦しみが少しでも和らぐように氷枕を作っても良いでしょうか?」
薬でなくとも何か別の形で聖騎士たちの苦痛を和らげたい。
瞳に強い光を宿してリズが必死に提案するとヘイリーが虚を衝かれたような顔をした後、柔和に微笑んだ。
「……もちろん。ええ、もちろんですよ、リズ。……すみません。私はとうに諦めてしまっていました。あなたが頑張ろうとしているのに、打つ手がないと嘆いている場合ではありませんね。自分にできることをやらなくては。まずは解毒薬を作ります」
小さなリズが頑張ろうとしているのに大人であり、司教である自分が使命感を失っては聖職者の名折れだと思ったのだろう。ヘイリーの表情から悲哀の色が消える。
メライアも腕捲りをしてやる気に満ちあふれていた。
「まだ何も終わっていないのに諦めるなんて嫌ですもんね。私も引き続きみなさんの看病に励みます!」
メライアは踵を返すと小走りで病室へと戻っていく。
ヘイリーはリズを見ると微笑んで言った。
「ありがとうリズ。お陰で諦めない大切さを思い出しました。あなたの行動が重症の彼らにも勇気を与えることでしょう」
リズは力強く頷くと氷を運んだ場所を教えてもらい、氷枕を作り始めた。
それから三日間、リズたちは付きっきりで聖騎士たちの看護に当たった。
ヘイリーが処方した解毒薬は全員に飲ませることにした。マイロンが日頃の鍛練で鍛えているから忍耐力はある、と後押ししてくれたのだ。苦しみが増すかもしれないのは承知の上だが全員を助けるためだ。
メライアが解毒薬を飲ませる準備をしている傍らで、リズは思い出したようにごそごそと自分の鞄の中を漁る。
鞄から出したのはベリーシロップの入った瓶、それと数個のレモンだ。
リズはもう一度それらを鞄にしまってから肩に掛け、教えてもらった厨房へ移動する。
洗い場で手を洗ってから調理台の上にベリーシロップとレモンを置いた。
「薬のお口直しもそうですが、みなさん疲労がピークに達しているに違いありません。こんな時は疲労回復にも効果があるレモンを使って、ベリーレモネードを作るのが最適です」
まな板を用意して、その上に洗ったレモンを一つ載せると包丁で真ん中をカットする。
搾り器でレモンを搾り、果汁が取れたらそれを小鍋に入れてはちみつを加えて弱火で煮立たせる。
鍋の様子をじっくりと観察していると、三人の妖精が飛んできた。
『リズ、今度は何を作っているの?』
「ベリーレモネードを作っている最中です。丁度良かったです。イグニス、氷を取りに行っている間火加減を見ていてくれませんか?」
『リズが望むなら喜んで引き受け……』
イグニスが最後まで言ってしまう前に「ストーップ」とアクアの横やりが入った。
『リズ、氷くらい私が出してあげるの。それくらい朝飯前なの!』
「えっ、アクアは氷が出せるのですか?」
『私なら氷を出すことだって簡単なの』
アクアは得意げに拳で胸をトンと叩く。
「凄いです。流石はアクア! 是非お願いします」
リズは頼もしい存在の登場で目をキラキラと輝かせる。
『……水の妖精って氷は専門外じゃないのー?』
『シーッ。大きな声で言ったらアクアに聞こえてしまうよ』
ヴェントとイグニスが二人でひそひそと囁きあっていたがリズの喜びぶりに二人は何の反論もしなかった。
ソルマーニ教会から氷は持ってきているが、あれは患者の熱冷まし用だ。この時期の氷は貴重で分けてもらうのも申し訳ないのでアクアの提案はリズにとって非常にありがたかった。
「ではアクア。このボウルの中に氷を入れてくださいね」
『任せなさいなの』
アクアはお腹に力を込めるように呻り始めると小さな両手を前に突き出した。
両手からは青白く光る球が現れ、そこから綺麗に成形された氷がいくつもボウルへと落ちていく。
『わっ! 本物の氷だー』
『水の妖精なのになんで?』
心底驚いているヴェントとイグニスはボウルの中に収まる氷とアクアを交互に見つめている。
『ふふん。私は寒い地域で生まれた水の妖精だから半分は氷属性なの』
アクアは得意げに言い、ある程度の量に達すると氷を出すのをやめた。
その間リズは小鍋の中のレモン果汁と蜂蜜に集中していた。
焦げ付かないよう、液体に小さな気泡が沸々と沸いてきたところで素早く火から下ろし、スプーンでよくかき混ぜる。これでレモネードの一番大事なレモンシロップが完成した。
粗熱が取れたらピッチャーにレモンシロップと持ってきていたベリーシロップ、水、氷を入れてよくかき混ぜる。
液体がピンク色になったらできあがりだ。




