Ep.3-28
「もう少し楽しみなよ――具体的には死ぬまで、さ」
声の主の姿を見た瞬間、アリキーノは戦慄する。歯の根が合わない、脚の震えが止まらない――アリキーノはおよそその人生において今まで感じたことの無いほどの恐怖を覚えていた。うわ言のような声が、唇から漏れ出す。
「――ばかな――」
「お前は死んだはず、なんて野暮は止め給えよ?」
窘めるような彼の言葉に、アリキーノはびくりとその全身を震わせる。
アリキーノは努めて落ち着いている風を装って、低く静かな声で問う。
「……なぜ、生きているんですか。極大消除魔法は世界の秩序を一時的、限定的に乱し、原初の混沌を再現する術式と聞いています。その力は、物理秩序・魔力秩序さえも原初へと還し、あらゆる防御は無効化されるとも――だというのに、どうして貴方は生きている? エリオス・カルヴェリウス」
極大の魔術の爆心地で、冷ややかに笑う彼――エリオスをアリキーノは強く睨みつけた。服の一部に損傷は見られるが、彼の身体自体には傷一つなく、彼を縛めていたはずの鎖も消え失せている。
エリオスは軽く肩を竦めながら、アリキーノに応える。
「へえ、そんな魔術だったんだ。さぞ美しく恐ろしい光景だったんだろうね――」
「何? 待ちなさい。その言いぶり、まさか貴方――!」
「そ、見てないんだよね。いや、正確に言えば、見られなかった――と、言うべきかな?」
そう言いながら、エリオスは右手の人差し指を空中で遊ばせる。そして、辺りをちらと見渡してから小さく鼻を鳴らす。
「そうだね、どうせ君たちはすぐに死ぬ――私の脅威にはなりえない。だから、教えてあげようか。冥途の土産ってやつさ」
そう言って、エリオスは空中で遊ばせていた右手の人差し指を横一線に薙いでみせる。
「『‥‥‥踏破するは怠惰の罪』」
まただ、またあの呪詞が紡がれる。最後の一音が、エリオスの唇からこぼれた瞬間、エリオスの指が薙いだ跡の空間に黒い亀裂のようなモノが走っていた。
「空間が――割れている?」
アリキーノがそう呟いたのを聞き、エリオスは満足げに頷いて見せる。
「これが私に与えられた権能。ヒトの9つの根源的罪業の結晶たる『大罪踏破』――そのうちの『怠惰』の具現としての御業がコレだ」
「『怠惰』だと――?」
「『怠惰』の罪とは、ただ怠たることだけじゃあない。自分の外側へと興味を示さず、寛容にもならず、ただ拒絶する在り様。無関心、無感動――私が作ったこの切れ目は、現世のありとあらゆる事象から断絶した異空間へとつながっている。つまるところ、この中に私が入り込み、門を閉じてしまったら、私には現世からのいかなる干渉も届かない――即ち、最強の守りとなるってことさ」
滔々と語るエリオス。その言葉に、彼を取り囲んだ兵士たちも、アリキーノも、そして館のテラスからその有様を見守っていたシャールさえも絶句していた。
シャールの脳裏によみがえるのは、かつてリリスたちとエリオスが戦った時の光景。あの時、リリスが先制して魔術で投げつけた火球は、彼の目の前でぱっくりと裂けた空間の向こうへと消えていった。アレも彼の言う、『怠惰』の御業というコトだったのだろう。
そして、その後にリリスが放った極大魔法『絶獄の檻、今誅を下せ』をエリオスが無傷で凌いだのも、この『怠惰』の御業で説明がつく。
「――馬鹿な……貴方は、手など動かせないほどに縛り付けられていたではないか。どうやって」
「ああ、それね」
ぶつぶつとつぶやくアリキーノの言葉を拾って、エリオスはニマニマと笑いながら問われたわけでもないのに答える。まるで、彼の疑問の一つ一つに応えていくことが、彼に絶望を与えることになるとでも思っているかのようだった。
エリオスは、目の前に開いた空間を閉じると、右足を左から右へと横一文字に薙いで見せた。その瞬間、彼のつま先が描いた線の通りに、ぱっくりと空間が割れる。
「足でも行けるんだよね。コレ」
「――ッ! こんな、こんなことが……ありえない」
「あり得ないなんてことはあり得ない、絶対は絶対にない――手あかのついた言葉だけど、今の君に贈るにはちょうどいいだろうね。さて――」
エリオスは、足元の空間を閉じてから、すっと表情を冷たくして、自分を取り囲む千人近い兵士たちをぐるりと見渡す。そして、小さく息を吐いてから吐き捨てるように言った。
「これも手あかのついた悪役仕草だけど――『お遊びはここまで』だよ」
マックのクーポン、どのタイミングで出すのがベストなのか未だに悩んでます。




