Ep.7-81
「——反撃も抵抗も、とっくに済ませてるんだよね」
エリオスのその言葉を聞いた瞬間、ナズグマールはその掌に全霊の力を反射的に込める。この一瞬で、この少年の首をへし折らねばならない。そんな本能の啓示が、思考を飛び越えてその筋肉を励起させた。しかし——
「素早い対応だね、流石だよ。でも、気づいたのが絶対的に遅かった」
先ほどまで苦悶の喘ぎと血を垂れ流すだけだったエリオスの口の端が皮肉っぽく吊り上がる。
その瞬間、エリオスの首を掴んでいたナズグマールの左手を掴む力が強まる。否、これは握りしめるとかそういうレベルではない。まるで万力がモノを押しつぶすかのような、潰し砕くような加圧の仕方。
ナズグマールは自身の腕に食い込んだその力の主を見て表情を歪める。
そこには黒い手が絡みついていた。まるで赤子か或いは両生類のようなのっぺりとした曲線的な節の無い手――それでいて、その力はこの世の尋常なる生物たちをはるかに凌駕するようで。
ナズグマールはそれを渾身の力を込めて振り払おうとするが、その手は解けないどころか、次第に彼から手の先の感覚すら奪っていく。
力を失った彼の手の先から、ぽろりと解き放たれたエリオスは首元を摩りながら、四肢を黒い手に拘束されたナズグマールを見遣る。
「さて、形勢逆転かな?」
エリオスがそういうのと同時に、黒い手が立ち上りナズグマールの首を掴む。喉や気道はおろか、頚椎さえも潰さんとするその力に、流石の彼も苦悶に似た表情を浮かべる。首筋を走る冷たい汗を感じながら、ナズグマールは途切れ途切れの声を上げて笑う。
「――く、くふふ……さす、がに神に連なる力を持つもの……」
そう言いながら、彼は左手の掌をエリオスに向ける。その掌中には煌々と燃える黒い炎が。
腕に力が入らずとも、その手を通じて魔術をエリオスに叩き込む――ことを狙ったのだろう。しかし、その炎を見てもなお、エリオスの表情は変わらない。
「言っただろう。絶対的に遅いんだって」
嘲笑の言葉が消えるのと同時に、周囲に厭な音が響き渡る。流体の噴き出る音。ぶちぶちという繊維質の引きちぎれる音。柔らかな肉が引きちぎれ、弾ける音。ばきりぼきりという骨の折れ砕ける乾いた音。次の瞬間、ナズグマールの目に映ったのは、切断された自身の腕が黒い手に弄ばれている様――黒い腕は、彼の目の前でその腕を軽く振ってみせると、ぱっと彼の腕を離す。
落下した腕の行きつく先、彼の足元に広がる闇に白い歯をむき出した大きな口が浮かび上がる。
「――ッ!」
それを見て、ナズグマールは思わず驚きの表情を浮かべる。そんな彼をよそに、現れた口は彼の腕を捕らえるとぐちゃりぐちゃりと音を立てながら、それを咀嚼する。
無言でその様を見つめるナズグマールに対して、エリオスは口元を指で拭いながら、にんまりと笑う。
「うん、悪くない味だ。さて、他の部位はどんな味がするのかな?」




